降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

本の作成4 北海道〜東京

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北海道では基本的に関わる人に恵まれた。牧場主の友達やの近所の人たちも自分を16歳の子どもではなく、個人として尊重してくれた。3人の子供たちとの関わりを持つなかで子どものためだったら自分にも何かできるのではないかと思うようになった。親や大人の欺瞞を糾弾したいという気持ちもあった。1年が経ち、休みをもらって実家に帰っていた時に、牧場の家が火事になった。死者はいなかったが、部屋のものは全部焼けた。1年いてこれ以上いてもあまり自分には変化がなさそうだと感じていたこともあり、そのまま牧場を辞めることにして、大学に行って心理学を学ぼうと思うようになった。

 

実家でしばらく生活しているとどんどん声が小さくなっていって驚いた。環境の影響は大きいと思った。禅の本に出会って、禅の言葉に関心を持つようになった。仏にあえば仏を殺せ、師にあえば死を殺せというようなリアリティに欺瞞のなさを感じた。

 

親が探してくれた塾に行って、ガソリンスタンドでバイトをしながら高校進学を目指した。塾で同じだった現役生の子たちは2つ年下だったが僕を慕ってくれた。全日制の高校に入ったが、同質空間で年齢が上なこともあり、友人はできたがあまり居心地はよくなかった。1年で辞めて、大阪の通信制の高校に通うことにした。月に1回のスクーリングでは全日制の高校よりは多様な人が来ていたのでいやすそうだったが、課題が簡単だったので、ここを卒業するより大学入学資格検定をとろうと思い、とった。

 

大阪には2年いた。苦しくなると夜に川辺を歩いて黒く浮かぶ松を見た。漆黒のものに癒される感じがあった。フラッシュバックは相変わらずあって、これをどうしたらいいのかはずっと考えていた。変な不安があって、妖怪のムジナみたいなものに出会ってしまうと自分は発狂するというイメージがあって、ムジナにふと出会うのではないかと思っていた。電車は自分が降りるところと関係なくどんどん終点まで進んでしまうので電車に乗るのは怖かった。時々梅田の本屋に行ったが、行くと疲れてしまい、復活に2、3日かかった。ある時どんどんと落ち込む時があったが、底を打った感じがあって、自分はただ落ち込むだけならもう大丈夫だという変な確信を持った。フラッシュバックは落ち込みではなく、直接的な苦しみなのでそちらは相変わらず辛かった。何かいいことがあったりして、気分が上がっている時にフラッシュバックがくると余計苦しかった。

 

21歳になって、東京に行った。朝日新聞を配りながら寮に住み、代ゼミに通った。講師陣は自分の科目が本当に好きなようで、授業はいつも面白かった。学校の先生になりたいなどと一度も思っていなかったが、予備校の講師ならいいかもしれないと思った、朝日は入る前にパンフレットに書いてあった説明の休みや給与と実際の待遇が違って、自分が権利を主張するなら他の人に迷惑がかかる仕組みになっていた。1年やって、ICUを第一希望にしてあとは都立、上智の心理学科に行こうと思って試験を受けたが全部落ちた。滑り止めの京都文教大学の臨床心理学科に行くことになった。ここに行くなら別に予備校行かなくても昨年受けたら受かっていたのにと思った。

 

新聞配達時代は、親しくなった人もいたけれど、内心信頼してないのに表面的には従う自分の姿を指摘され先輩に嫌われたりもした。あまり安心して誰かに本音をいう感じの環境ではなかった。周りの人の人間関係とか、あまりいい感じではなかった。誰かが誰かを嫌っていてその悪口を言っていた。だが思えばなかには優しくしてくれる人もいた。大学に合格して、店長の奥さんに背中が変わったと言われたことはそれまでから見守ってくれていたみたいで心に残った。

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