降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

死としての出会い

毎月第二水曜の星の王子さま読書会。

 

 

星の王子さま (平凡社ライブラリー (562))

星の王子さま (平凡社ライブラリー (562))

 

 


王子は自分の星から44回日の入りを見た。星はとても小さいので椅子に座ってちょっとずつ椅子を前に移動すれば同じ日にまた日の入りが見れる。

 

繰り返すとはどういうことだろう。足りない、充分でないということではないかと思った。本当に満足する1回に出会えないから繰り返さなければいけないのではないか。

 

王子は悲しみに暮れている。そのせいなのか、人に違和感は感じても、他者の悲しみや痛みに気づかない。星を巡りながら、それぞれの星で欺瞞を生きている大人に出会い、大人って変だなと思って去る。王子に悪気はないけれど、大人は王子に出会って自身の欺瞞に直面させられ、しかしどうしようもできない現実に傷つけられたのではないかと思った。

 

王子は人を傷つけ、そのたびに人の痛みと心を知っていったのだろうか。王子からは存在の希薄さや他者との隔絶性を感じる。深い孤独と悲しみが人格となり、かたちをとったものが王子であって、どこにいても愛するものとのつながりを見いだせるようになった時にそのようなかたちは必要がなくなったのだろうかと思った。

 

このしたやみの演劇を見にいった。ここでも繰り返しがあった。出会い、そして別れることを7たび繰り返す二人。一生を一日に凝縮して初めから終わりまでを何度も繰り返す。ナイフを手に、あの時果たせなかったことを果たそうとしたけれど、なお果たせなかった。苦しみながら死ぬことを求める女性。死のような生を終わらせて、生きているような死を体験しようとする。

 

出会いとは死ではないかと思った。本当に満足できる日の入りを見た時、体験すべき体験をしたとき、それは出会いとなり、それまでの自分に死を与える。与えられた死によって、それまでの自分は次のものへと移行する。