降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

菅原直樹さんの「カメラマンの変態」を観に行った。

前日の終活ゼミに続き、菅原直樹さんの公演「カメラマンの変態」を観に岡山へ。

 

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今自分がいる現在の世界の物事はとても確固たるもののように見える。他人のきらびやかさやステイタス、幸運もまた確固たるものに見える。だが大きな時間の流れの中で誰もが老い、死に、芥子粒のように消える。

 

 

老えば過去の栄華は他人からは見えなくなっていく。「現実」だったそれももう夢のようなものになる。加えて老わなくても死は突然やってくる。

 

 

公演を観て実感したことは、大きな時間の流れのなかでの人の小ささであり、生きていることの不確かさだった。

 

 

栄華や若さ、美しさ、そういうものが大きな時間の流れのなかでは、意味のないぐらい小さいただの一コマに過ぎないのだと感じた。

 

その時、一人ではご飯もうまく食べられない老人とそこに関わるまだ若い二人との格差はもう感じられなくなっていた。一コマが小さ過ぎて、どのことも儚い夢のようにしか感じられないのだ。

 

 

公演後、京都から来ていた知り合いのお二人に出会い、親切にも京都まで車で送ってもらった。温かな時間をもらった。これも一コマになった。大きな時間の流れのなかで「現実」と「夢」の違いはあまりない。何十年もたったとき、本当にそれが現実だったといえるだろうか。そして同時に仮のひと時がどこまで仮なのかもまたわからないのではないだろうか。

 

逆に考えるなら、あるひと時をつくること、その一瞬を生むことが、生きることの全てであるようにも思えた。

 

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