降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

哲学カフェで何をやっているか

これまで当事者研究でやった哲学カフェは、まずその言葉を聞いて自分に浮かび上がるものをベースにしてそれがどのように成り立っているのかを見ていくようにしてきました。

 


哲学カフェで何かいい発見があったとして、それはたぶん最初に思い浮かんだものがより正しいものになったりするような「延長線上」のようなことではないだろうと思います。もし延長線上のことだったら、それは実のところ発見未満であったり、遠ざかりですらあるかもと思います。

 

哲学カフェで、問いがあって、それに答えるということをやっていますが、答えをだすためにやっているのではなく、算数で例えるなら、その答えになる「途中の式」が何であるのかを自覚するためにやっているというほうが妥当です。

 

「途中の式」がどうなっているのかを判明させていくために、出てきた答え、イメージから逆算して、どういう計算だったのかを確かめていっています。

 

「途中の式」が浮かび上がり、その成り立ちが理解されたとき、初めて、今まで繰り返されたことの原因がはっきりと見えてきます。日常では、問いに対して出てきた答えが気に入らなければ、そのことを問題視し、別のように考えることで答えを変えようとしたりますが、「途中の式」が自覚されない限り、同じ刺激がきたら同じ答え(反応)が出ます。

 

「途中の式」はどうなっているのか。たとえば、「自分」とは何かと問われた時に思い浮かぶイメージや言葉、考えがあります。自分とは何かときかれた時に思い浮かぶ自分の「途中の式」は何だろうか。

 

出てきた答えから逆算してみると、自分とは「記憶の限りにある自分のネガティブ、あるいはポジティブな傾向」なのか、「性格」なのか「他の一般の人との違い」なのか、「生きていかねばいけない存在」なのか、など色々あるかと思いますが、さらに吟味を続けていくことができるとっかかりが見えてきます。