降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

倉田めばさんのことば 移行的状態としての到達と回復

薬物依存症の回復というものがプログラムの実践や行動の先に訪れるものだと信じてやまない人は厄介だ。よくなろうと歩き始めている今この瞬間こそが回復なのに。

 

 

 倉田めばさんは薬物依存からの回復者で、大阪ダルクセンター長。釜ヶ崎芸術大学の講師などもされている。

 

つながる/ひろがる/フェミ・ジャーナル -ふぇみん-|インタビュー

釜ヶ崎芸術大学

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歩む過程は、手段でありながら、同時に目的であり、到達。生において、何かの自律的なプロセス・中動態的なものが動きだしているその移行的状態自体が充実(目的)であり回復であると思う。達成後の静的な状態が充実なのではない。移行状態になれない状況は、たとえすでに何を達成していても充実がない。

 


この自律的な移行的状態を導くにはどうしたらいいのかという工夫や整えが肝なのであり、強制的に自分に何かをやらすことはむしろ停滞や後退を繰り返す結果をもたらす。自助グループにおいて、自意識が無力だと認めることができた人が依存症から抜けていくが、自意識のコントロールで克服しようとする人は抜けられないように。

 

自分がやるのではなく、この自律的なプロセスがやる。この自律的なプロセスによって、真似や強制ではない新しい状態が現れる。この自律的なプロセスが現れる場は、「支援者」がこの先に「回復」があるとして現在を将来の「回復」と比較して劣った状態とみなしそれを「当事者」に感じさせる場ではなく、がんじがらめになっているその強迫から「支援者」も「当事者」も解きほぐされていく場のほうであるだろう。

 

個々人にとっての実際の「居場所」というものは、あまりキラキラしていない。価値の押しつけが場にないこと、むしろ内在化された価値への強迫までが打ち消されてしまうような場が「居場所」たりうる。そこは自律的なものが動きはじめる場所だ。