降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

これまでの経緯 このブログについて

このブログ、新しく読みはじめてくれる人もいるようなので、年に1度ぐらい、このブログで書いていることが何を問題にして、どこに焦点を持っているのかを書こうと思う。

書き始めた三年ぐらい前と同じく、僕は週に1度か2度夜勤のバイトをしながら、それ以外の時間は自給のための畑と当事者研究など、話しの会をしたり、学びの場を数人で巡っていくことをしている。

 

そうするのは、自分、あるいはこのような社会における自分のような人間がどう生きていけるのか、そのありようを考えているからだ。この社会で自分が生きていくサバイバルの方法を探り、見つけたことを実践して、充実して生きられる環境を作り出し、整えようとしている。

 

サバイバルは、二つある。一つは身体の維持としてのサバイバル。もう一つは自分が自分としてあるためのサバイバル。僕はこの二つをあわせてサバイバルだと思っている。自分がすり減っていくのなら意義は感じない。むしろこの世界の中で逆に回復し、生きていくあり方を探っている。

 

僕は、週に5日フルタイムで働いてやっていけるようなタイプではない。緊張もストレスも強いし、だいたい何をやらしても人より遅いし、周りと価値観も違う。僕は裕福になって結婚して家庭を持ってというようなイメージに希望や救いが感じられない。自分が充実と感じることは何なのか。何を動機に生きていけるのか。それを確かめ、近づいていくことを生きる軸にしている。

中二ぐらいの時にいじめを受け、そのうち特に執拗に絡んでくるクラスメートに強い軽蔑や嫌悪、憎しみを持っていたのだけれど、ある時、彼の性質を自分も持っているのではないかと気づいた。なぜかそれはもう否定することもできなかった。それから彼への軽蔑や嫌悪、憎しみは全て自分に向かってきた。フラッシュバックのように、電撃のように急にやってきた。自分が世界で一番最悪で気持ち悪い人間だというそのリアリティは、強い混乱と耐えきれなさがあった。

それからはそれをどう軽減するかが自分の関心事になった。そして結局それが自分の生きる軸を決定したと思う。フラッシュバック自体は7、8年も経てばそんなに圧倒的なものではなくなったけれど、そこには何を軸にやっていけるかまるでわからない、何でもないただ無能で弱くどうしようもない自分が残っていただけだった。どう生きていけばいいのかまるでわからなかった。

 

東京の予備校に行っていた時、講師たちは面白かった。今まで見てきた学校の教師とは違い、本当に自分の専門が好きで、そしてそれを伝えることを喜びとしていると思った。だから塾の講師みたいになろうかと大学三回生ごろに就職活動もしてみたが、面接に落ちてもショックも受けず、結局やりたい気がないのだと気づき、就職活動もやめる。

 

大学は臨床心理学科に行っていて、心理カウンセリングの勉強をしていたが、自分が人を治療する気は全くなく、あくまで自分が回復していくヒントを得ようとしていた。学外のワークショップなどの情報があれば、参加できるものは全て参加しようとしていた。エンカウンターグループに行ったり、内観療法に行ったり、トランスパーソナル心理学のワークショップなどにも行ったりしていた。

大学の講師たちはだいたい臨床心理士だった。カウンセラーならどう考え、どう動いたり、話したりするのかを見ていたが、割と社会不適応そうな人とか緊張が強そうな人がいて、心理学を勉強したりカウンセラーになったからといって、自分の状態がそんなに変わるわけでもなさそうに思えた。

演劇部に所属していて、大学も私生活も同回生の部員と一緒の時間を過ごすことが多かった。自分の変化には、心理学の知識の蓄積よりも、そちらの方が効いていた。勝手に元気になり、さしたることではないけれども、今までできなかったことができるようになったりした。これは発見だった。

心理学科に属するうちに、カウンセリングに疑問を持ち始めた。カウンセリングは、いってしまえば社会の歯車に戻せばそれでいいわけだ。しかし、その人が病や不適応の状態になったのは、そもそも社会の歪みが問題ではないのか。また結局臨床心理学がカウンセリングという一技法以外のところにはそんなに目を向けてないと思うようになった。「心の専門家」とは害があるほど言い過ぎで、せめて心の病や心理要因の不適応の専門家ぐらいにとどめるのが妥当だと思う。

 

そのことを実感したのが映像作家の坂上香さんが大学に講師としてきた時だった。坂上さんは、臨床心理学科ではなく、文化人類学科か、現代社会学科の講師としてきていたが、犯罪被害者と加害者が対話によってお互いに人間として回復していく取り組みをリサーチされたり、終身刑の囚人がセルフグループを作り回復していく姿を映像作品にしていた。

 

 

癒しと和解への旅―犯罪被害者と死刑囚の家族たち

癒しと和解への旅―犯罪被害者と死刑囚の家族たち

 

 

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僕は、坂上さんのやっていることこそ、自分の知りたいことだと思ったし、重要なことであると思った。「心の専門家」やそれを目指す学生なら誰もが関心を持つようなことだろうと思った。ところが、坂上さんに関心を持ってそれをもっと学ぶ場を作ろうなどいう動きは大学内では感じられなかった。言われたら興味深いけれど、まるで別領域の話し、カウンセンリングとは違うよね、とでもいうような周りの関心の低さがあった。

 

結局一技法としてのカウンセリングしか関心がないのだなと思った。専門家と患者の枠組みで自分は当事者ではなく専門家、治療者だと。お互いただの人として回復し変化していくなんて関心を持っていないのだと思った。

臨床心理学、カウンセリングの世界にはもうそれほど期待せず、周辺領域を探るようになった。別の枠組みを探るようになった。臨床心理士のなかには、カウンセリングの限界性を感じ、プレイバックシアターのような「治療」ではない演劇に可能性を見出す人、キャンプのような自然を通して人と人とが関わり回復していく取り組みを実践し始める人もいた。しかし、それらの人はもはや傍流で、関心は払われてなかった。

 

僕は、むしろ傍流の人たちのほうに可能性をみた。「治療」という枠組み自体が、実は変化を停滞させていることにも意識を持つようになった。「治療」ではない枠組みとは何か。どのような枠組みであれば、人は自然に回復をおこしていくのか。

 

40日をかけて、四国八十八ヶ所を歩いてめぐった。40日をかけたこの旅が自分に与えた変化は大きかった。なぜそうなるのか。臨床心理学は出て、文化人類学として関わろうと思い、人類学の修士課程に入った。フィールドに赴き、インタビューを続けるなかで、人間は適切な環境があり、適切な媒体があれば、自律的に必要な変化に向かうことが実感された。必ず治療者が必要なわけでもない。「治そう」とする関わりには、それ自体に制限があり、副作用もある。


四国遍路にはそれがない。治療者と相対しているわけではなく、道中の人と同じ立場の人間として出会っていく。「治療者」や技法としての「カウンセリング」の制限や副作用抜きに人が自分に必要な変化をおこす。自分が重要視する部分において、カウンセリングが下の上ぐらいなら、四国遍路は中か上だと思った。

 

必要なのは、個人の専門的アプローチではなく、人が勝手に回復をおこす場の設定なのではないか。場づくりに関心をもち、米づくりを介した場づくりや、鹿肉を料理するワークショップなど、色々してみた。興味深いことはおこったが、自分に充実が薄かった。人と人を出会わせたけれど、自分はあまり変わっていってなかった。イベント疲れしていった。

 

行き詰まりを開いたのが、自給という考えだった。京大農学部の近くで、自分の田んぼと畑で採れたものを定食にしている人がいるときき、行ってみた。話しが面白かった。これだと思った。そのオーナー、糸川勉さんは市場や政治に支配される農業に絶望し、模索した結果、自給という地点にたどり着いた。必要なものを自分で満たすことは、サバイバルであり、自分をより力づけていくエンパワメントであるのだ。

糸川さんに学んだ。自分たちの企画を考え、糸川さんを講師に招き、糸川さんが考案した自給農法と自給の哲学を学んだ。自給的思想は現在の僕の中核としてある。自給とは、すり減っていくサバイバルではなく、生きることを自分でデザインし、力を得ていくエンパワメントである。金銭収入を全ての軸とする農業だから苦しい。自給というスタンス、自給という規模なら、自由と元気がやってくる。

 

 


【地域公共人材図鑑】糸川勉さん1

 

現在の自分に生業を成り立たせる能力が直ちになくても、ずっと自分をエンパワメントをしていくあり方を探る。達成するポイントに立ってから物事が始まるのではなく、初動から自分が充実することを選ぶ。またそれが成り立つ環境設定を整えていく。それをずっと続けていけばいい。

 

野菜(食)を自給することは、誰かの都合に合わせなければお金をもらえない=生きていけない世界から抜け出る大きな基盤になる。だがまだ必要なものがある。それは学び、自己更新する環境の自給だ。人間の変化とは、つまり感覚の変化、認識の変化、それによる行動の変化だ。

 

僕にとってかつて「治療」と呼ばれていたものは、「学び」という呼ばれかたに変わった。その本質は同じだというのが僕の今の認識だ。自己更新の機会を奪われることやその停滞が病やさらなる不適応をおこす。しかし、自己更新が自律的におこる環境(僕はそれを文化がある環境と呼ぶが)があれば、人はエンパワメントされ、より自分を生きるようになる。自分の軸に従った活動は疲弊ではなく活力をもたらす。

学びという自己更新がもたらされる環境はどのように作り出され、育てていけるのか。それが自分の関心の焦点だ。それを探求し、実際に近づいていくことが、自分のサバイバルであり、エンパワメントであり、充実だ。

生きる力とは、反発し湧き出てくる力、押し返す力だと思う。アドラーは、過補償という概念を出しているが、目が見えなくなるとより音が聞こえるようになるように、生体には危機に対して強く補おうとする力が自意識を超えて働く。その力は、現状を維持させるだけに止まらず、現状を抜本的に変えるほどの大きな力をもつ。この力を使う。

 

些細な苦しみではなく、自分の最も根源的な苦しみは何かと探る。自分は無自覚であっても、この根源的な苦しみや弱さを乗り越えようと動機づけられている。この動機に従うことは充実と感じられる。この動機は例えばローザ・パークスが非難され迫害されながらもなおバス・ボイコットという反逆を貫き通したように、立ち向かう力にもなる。ただこの動機は自意識で選ぶことができない。すでにあるものに繋がることができるだけだ。

 

生きている限り、自分には尽きることなく与えられるエネルギーの源泉がある。それは根源的苦しみに対する生体としての反発の力だ。この力をサバイバルとエンパワメントに生かすことができる。

自意識には保守性がある。自意識とは過去の記憶だ。そして脅かされると北風と太陽の寓話のように、なおそこに留まろうとする。自意識が成長や変化を求めるというのは全くの誤りであり、勘違いだ。自意識は防衛機制であり、動こうとしているものを止めることが主な能力なのだ。能動的なものは自律的なものそれ自体であり、自意識は受動的で防衛的なものでしかありえない。

自意識が「治療されなければ」「回復しなければ」「もっと〜のようにあらねば」というようにコントロールしようとするほど、実際には抑圧は強まり、かえって求める状態は遠のく。変化は自律的なものによっておこる。自律的なものが動きだし、自分でも思いもしなかったことをついやってしまったり、いってしまったりする状態にするにはどういう設定や環境が必要だろうか。それが問うべき問いだ。

 

自意識の強制停止が弱まり、自律的なものが動き出しやすい環境とはどんなものだろうか。それは、人として尊厳が提供され、場に安心と信頼が満ちている場所だ。それは当然のように「治療」的な場所であり、学びに適した場所である。


学びは派生的にコミュニティを生む。そのコミュニティは人数とか地域とかいう物理的枠組みではなく、関係性の質のことだ。お互いが尊厳を提供しあい、お互いの自律性の自然な展開をサポートしたいという関係性がある時、そこは学びが促進される環境となる。学びは、生命のような自律的展開構造をもっている。学びに適した環境が人を変え、変えられた人がまた環境を育てるという循環がおきる状態を整え、維持する時、学びの空間は自律的に広がり、育っていく。

フラッシュバックは、その苦しみの軽減の求めから、変化とは何かを探究する軸になった。変化は、「治療」すらも意識しない場所で最もスムーズに、自律的に展開するという気づきをえたことで、場づくりや環境設定に向かいだした。自給の哲学にふれ、エンパワメントという考えをもった。エンパワメントを持続的にすすめることは、つまり自己更新を重ねることであり、それは学びの環境を整えることであると捉えるようになった。

自意識の緊急停止的な傾向を弱め、自律的なものが自然と動き出す環境設定。このブログで書かれていることの焦点はここにあって、今の現在の僕の活動もそれを探究し、確かめ、近づき、そのものになっていくことにある。しかし、「到達」を価値とすると途端に自意識に緊張と抑圧がかかってくる。「到達」や「達成」ではなく、過程を充実させればそれでいい。「結果」は派生的に生まれてくるものであり、自意識ではコントロールできない。死ぬときはどうやっても死ぬし、それはコントロールできない。だから1秒1秒いい状態であることの工夫を考える。それが派生的に次を導く。