降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

当事者研究のスタイル

自分たちでやっている当事者研究、ベースのスタイルは、大体以下のようになってきました。


流れとしては、

1.今日の気分・体調
2.ここ2週間が自分にとってどういう2週間だったか(ふりかえり)
3.自分の苦労とは何だろうか。(繰り返す苦労など)
4.苦労に名前をつける。(苦労のメカニズム・パターン)

 

1は「実際に感じて探る」ということによって、頭の同じ思考がいつもどおりに巡って同じ結論をだすというモードを少し移行させています。探る感覚、探るモード、実際の自分の状態を感じることで心の状態は自律的に整いに向かいます。整いの状態に近いほど、発見があり、観察や洞察が生まれやすいようです。

 


2のふりかえりにも整えの意味があります。自分にとってどういう時間だったかという問いから生まれる吟味によって、バラバラだった経験を整理し、そこから見えてくるものがでてきます。

 

単に事実の羅列ではなく、その事実が自分にとってどうだったかと吟味することが重要だと考えています。吟味されないままあることが思考する際の材料になっていることが余計な混乱や堂々巡りを呼びます。思考の堂々巡りのシフトは、その思考の基準となっている事実や認識は本当に妥当なのかという吟味によって行えると考えています。

 

思うのですが、思考を算数の式でたとえてみると、例えばAかけるBはいつもABになります。思考する人は、思考することによって、ABではない答えを見つけようとしているつもりですが、その答えは何度やってもABから変わりません。そうではなく、掛け算されているの要素は、本当にAやBなのか?という吟味が重要だと思います。そして仮にAのほうが妥当であっても、そこに掛けられている要素は本当にBなのだろうか?という吟味。吟味してみれば、本当はA×Bではなく、C×Dであるかもしれません。

 

3や4も、自分にとってはどうだろうかという吟味を行い、バラバラな経験をバラバラなまま放っておかず、少しでも近いまとまりにすることによって、堂々巡りが変わっていきます。いきなり核心をついたところに行き着くことが素晴らしいのではなくて、わからないと吟味をはじめから放棄してしまわず、少しでも吟味を加えることが堂々巡り状態をずらし、スライドさせます。ちょっとでも吟味することが状態を移行させていきます。吟味には全く無駄はなく、少しだけでもやったぶんだけ変わりますし、100回の同じ思考から同じ結論を導くよりもとても省エネです。

 

吟味しようと意識しなくても、苦労を名前としてまとめるというその作業が自動的に吟味となっています。単ににらめっこしたり、ああだこうだと考えてみるけれど、100パーセントの納得に届かないからといって、まとめを放棄するより、少しでも近いものを持ってくるとそこが基準になって後々よりフィットするものが見つかっていくと思います。

 

1〜4に加えて、メカニズムやパターンを図にしてみたり、実験的に負の強迫観念(べてるではお客さんと呼ばれるようですが「こんなことしたら変に思われないかな」とか自分の自然な気持ちの発露や行動への展開を妨害するような自分の思考です。)をプロフィールやをつけて人にしてみたり物語にしてみたりなどもやってみています。

 

負の強迫観念に対し、正の強迫観念というものもあるようで、例えば自由がいいとか、柔軟であることがいいとか、美しいことがいいとか、気の利くのがいいとか、特に問題視せず思っていることが自分を卑下したり、やっぱりだめだという状態を繰り返しもたらすことに繋がったりしていることもあるようです。自由がいい=自由でないのはダメだ、という風になってしまう。

 

本当に自由がいいのか。その自分が思っている自由とは何なのか。苦しめられるほどのものなのか。このようなテーマが現れた時は、哲学カフェ的に、「自由とは何か」というようにテーマ自体を吟味するのも有効かなと思っています。何かがただ「いいもの」として認識されている時は、強迫になってしまっているときが多いようです。「自由」や「美しさ」などは一回それ自体をテーマにあげてやってみていいかなと思っています。