降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

緊張感

スマホにいれていたゲームが面白くなくなって削除した。

最後の方は義務的にやっていた。今までやっていた分の蓄積があるから勿体無いというのがあるので少し削除するのが延びただろうか。飽き飽きしてたのはそれまでもあったけど、もういいやとふとやってきたタイミングで。

 

あらためて、必要だったのは何だったろうかと考える。普段の緊張感の高まりを逸らすのが理由だろうなと振り返りながら思う。

 

松本大洋の作品、好きなものが多いけれど、サニーがなかなか読めない。マンガ喫茶行ってもなかなか手に取れない。東京喰種とか進撃の巨人とかアカギとか、アイアムアヒーローとかは手に取れる。一歩とかも手に取れる。バイオレンスが必要なのか。でも戦闘シーンが長いとさっさと終わってほしいと思う。生と死の限界状況でおこるようなことが見たい気がする。

 

 

Sunny 第1集 (IKKI COMIX)

Sunny 第1集 (IKKI COMIX)

 

 

 

今いるリアリティから自分を連れていってくれるのは限界状況ものが多い。

 

普段、だんだん高まってくる緊張感が苦痛で、それを何かに没頭することによって、感じないようにしたり、逸らす。サニーは、日常のだらっとした感じが続く感じがして、緊張感の高まりが逸れない。

 

緊張が高まったからといって別に大声を出し始めるとか、どうにかなる水準ではないけれど、ただ苦痛だ。緊張感の高まりがあるから、なかなか落ち着いてぼおっとしたりできない。寝るときも緊張を感じないように、すごい眠気になるまでなかなか寝ないとか、そういうことになる。

 

文章を書いているときは、割とそこに集中しているから緊張感の高まりは感じない。2時間ぐらい平気で過ごせる。畑も行ってしまえばやりたいと思うことができるので緊張感の高まりという苦痛はない。

 

本を読むのが、中学ぐらいだろうか、あるときからしんどくなった。本はよっぽど集中できるものでないと、緊張が高まってくる。マンガの方がまだ緊張が逸れる。

 

この緊張に向き合うということで、このいたたまれなさをずっと感じるということもできる。何となく逸らそうとして逸れないより、仔細に感じとりどうなっているかをみる方がしんどくはない。基本それをやっていればいいのだろうか? 適当な逸らしに走らずに。

 

パーティーや飲み会の場とか苦手なのだけど、やることがないから緊張が高まる。人と話したらいいと言っても、割と話したいことは決まっていて、何かについてのテーマトークをしたいのだが、自分が最も関心を持っているポイントなどは、なかなか共通の話題とかにならない。読書会なりをした方がまだ話せるので、パーティとか飲み会の意味というのは、緊張感の逸らしというところではあまりない。

 

まああと、あらかじめ持っている疎外感とか、惨めさとかそういうのもあるから、人とやりとりできず困っている自分みたいな図が苦痛というのも大きい。

 

逸らそうと思って、フェイスブックツイッター見るけれど、あくまで代替行為という感じでいまいち。