降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

ハンセン病

岩倉の私塾、論楽社で主宰の虫賀さんにお話しを聞いたとき、ハンセン病の方との出会いが活動に与えた影響が大きかったとのことだった。

 

ハンセン病に関しては、もともと興味もあった。

 

ハンセン病ほど多くのことが奪われる病気があるだろうか。ハンセン病は弱い感染力を持つとはいえ、特効薬が出来たため完治できるのでもはや隔離される必要はないのだが、特効薬がない時代に、顔や手足が崩れ、伝染する病気への世間の恐怖や抑圧は想像にあまりある。

 

公害病は、一応感染しない。(しかし、啓蒙が行き届かず、そのように扱われることはある)しかも、国や企業が十分な保証や責任を認めないとはいえ、明らかな加害者がいる。ところがハンセン病は人によって無いところから生み出されたものでは無い。病気になったことで、誰に怒りを向けられるわけでも無い。

 

本人は苦しむ。そして家族も苦しむ。家族は他の家族への影響のため、泣く泣く縁を切ったり、戸籍を抜いたりする。それでもなお調査され、結婚が破談になったり、離縁されたりということがおこる。

 

療養所に入れられれば、そこで病者同士が結婚するなら断種され、それが失敗すると、7ヶ月の胎児でも堕胎され、まだ動く幼児の口にガーゼをあて殺すところまで見せつけられた人もいる。その上にかけられた言葉は、以下のようなものだったという。

 

「ぜいたくだ。あんたは園の規則に背いたんだよ。国のやっかいになっていて、妊娠したことをどう思っているんだ。恥ずかしくないかっ!」

『証言・ハンセン病 もう、うつむかない』村上絢子 p164

 

 

証言・ハンセン病 もう、うつむかない

証言・ハンセン病 もう、うつむかない

 

 

この『証言・ハンセン病』は、多くの人の体験がその肉声で書かれており、長い本が読みにくい僕でも読みやすい。

 

人間の尊厳とは何か。生きることとは何か。それを彼らの苦しみが問いかける。

 

僕は、自分が生きていくためのヒントを人の苦しみから得てきた。直接的に奪わなくても、苦しむ人の体験を読み、聞き、自分の生きる指針を探ってきた。人の苦しみの上に乗っかって今の自分がある。

 

まだ全部読んでないが、心に残ることがある。

 

ハンセン病の後遺症のため、人前に出ることやその後遺症の影響が見えるようなことを避けていた人が、自分よりひどい後遺症の人が、たどたどしくお茶を出してくれたことに衝撃を受け、変わったという話し。

 

医師や弁護士、療養所の園長などが出ているシンポジウムで、会場から、らい予防法が憲法違反であり、自分たちの尊厳を回復するため裁判をおこすが金も支援も何もないと思いのたけを表明した患者の志村康さんに対し、壇上の弁護士がおそらく国で初めて「らい予防法は憲法違反です。一緒にやりましょう」とその妥当性を認め、応答した話し。

 

出会いなのだと思う。どうしようもない迫害によって、所詮人はこんなものだ、自分はこんなものだという自分の内の認識があるだろう。だが自分を守るため、固くそこに閉じてしまうなら、このような出会いはおこらない。認識の変化はおこらない。

 

自分の内に出来上がったその認識を終わらせるには、自分を賭すことが必要なのだと思う。他者の姿に思わぬ出会いを贈与されることもある。しかし、それ頼みに待つということは、たぶん、自分が生きるということを無くするだろう。

 

自分の内のイメージ、信念を終わらせるために、人が完璧であり、完全に善良である必要はない。ただ、自分の内にあったイメージとそこに現れるものは、たとえそれがその人一人だけのことであっても、明らかに違うということがわかれば十分なのだ。