エスコーラで聖なる経済学読書会。話しはベーシックインカムから瞑想までいって面白かった。
ベーシックインカムというのは問いなんだなと思った。
食いつなぐための労働をもししなくてよいのなら私は一体何をしたいのか。何をするのか。
それを空想上のものとして煙のように消させず、人と人の間に滞留させて、何度でも繰り返し対話を生みだし続けるために必要最低限のリアリティをあつらえた問いなのだ。
人が人として生きる意義は何か、わたしの生の充溢とは何なのか。それをどこまでも問い続けるためのものなのだと。
先日、3年ぶりぐらいの友人にあった。お互い変わってないねと言われた。新しい場所に関わったり、作ろうとしているんやねとも。確かに当時は時々行っていても、今はもう行かない場所もある。
たくさんの人と会っても、一人一人同じくらいは付き合えない。茫洋とした関わりは時間が経つとただ消えていく。これは消えていく感じやなと思うところは行かず、集中するところは集中するという感じになってきた。
別れたあとでふと、別に新しい場所が好きというわけじゃないけれど、どういう風に認識されたかなと思った。その時々で必要な体験があり、その必要な体験をするためにどこかに関わったり、場を作ったりする。十分に体験すればその時の状態は終わり、次が現れる。
一つ一つ現れてきたものを終わらせていく。別に何かになろうというわけではないけれど、それぞれを終わらせていけば次の状態がくるから何かになっている。でもそれがこれから先の何かの保証になるというわけでも全然ないけれど。