聞いた話し 学びの場としての大地の再生講座
知識や技術の蓄積は副次的におこるもの、あるいは学びがおこる過程を整えるものとしてあると思う。
学びとは自己更新であり、その更新は認識や世界の体験の仕方自体を変えるものだ。学びとは出会いであり、それがおこったとき、人の感じ方、行動の仕方は変化している。
大掛かりなものを揃える必要はない。しかし、学びがおこるために何が必要なのかを知り、環境を整え、人の関係性を整え、人を尊重する態度を整え、環境を醸成していくことが必要だ。
大地の再生講座の話しをうかがっていると、そこがとても理想的な学びの場であるように感じた。
様々な経験を持っている人も謙虚であって、相手が素人であっても上から指示するみたいなことはしない。既にもう答えはこれだと決めていて人に伝える人と、その人と対話しながら、同時に自分の認識にあらゆる角度から吟味をかけている人は違う。
学びは、どちらかが教える人で偉く、どちらかが言われるまま教わるだけという場ではおこらない。自分の知識や経験で「正しいこと」を知りもう高をくくってしまえるということは、永遠におこらない。
徒弟制度とか、特殊な状況は知らないけれど、ある知識が正しかろうが、それをどう伝えるか、ということはまた全く別の次元のことだ。
普通の場で、自分が「教える人」になっている人は、結局「正しいからこうしろ」と押しつける。どんな有用な知識を持っていても、その態度、その関わり方が、もう全てを台無しにする。
そういう人の扱いがどれだけのものを閉じ、疎外し、終わらせているのかを知るというところからの整えが必要だ。