降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

蝕み

徒歩で四国八十八ヶ所巡りをした時があったのだけれど、山に入ると、一人になったという感覚になっていた。街とかだと、たとえ一人でいても、あまり一人という感じがしない。いい意味で、充実する「一人」の感覚だ。

 

一方、僕は孤独という言葉にいい意味をもたせてない。孤独というのは、僕の感覚では物理的にただ一人であることを指しているんじゃなくて、人を蝕んでいくものとしてある。

 

あまり啓蒙が進んでいなかった当時、HIVに感染したダムタイプ※の古橋悌二さんが施設で使った食器は、使い捨ての食器のように一回の使用で廃棄されたことがあったそうだ。

 

京都市立芸術大学の学生を中心に結成されたアーティストグループ。1984年に設立され、京都市立芸術大学在学中から海外公演を含めた活発な活動を行う。建築、美術、デザイン、音楽、ダンスなど異なる表現手段を持つメンバーが参加し、芸術表現の可能性を模索する。京都を拠点とし、海外公演を中心とした活動を行っている。1995年に中心メンバーの一人古橋悌二の死去後も、メンバーを変えながら活動は現在まで続いている。ダムタイプ - Wikipedia

 

今日は、ある催しで初めて会った人に、結婚しなさいよ、と言われた。どうやらヘテロで(まだ)選べる人としての僕という設定をして、ヘテロでなくシングルで年配で先行きが細っていく自分と対照するためにそうふったようだった。

 

ああ、ダシだよね、と思う。言いたいことは自分が憐れで寂しい状況にあることなんだけど。

 

疲れる。人として空虚に扱われた感じがある。酸素がない空気を吸わされてしまったような感じ。こういうのが日常だったり、何度も繰り返されるなら、蝕まれるだろうなと思う。

 

僕にとって、孤独とは実際に害あるもののことだ。その部分から腐らせていくようなものだ。