降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

当事者研究 気の通路をつくるものとして

東山区の本町エスコーラで大地の再生講座が3/4にあるらしい。畑の小学校の市川ジャンさんからよくお話しは聞いたりしていて、とても興味深い。岩倉の畑も手を入れてもらったりした。

 

 

基本的な考え方は、既にある詰まりをとり、空気を通し、水の流れを良くすれば環境は変化していくということなのだと思うけれど、個人としての人間にもまさに当てはまるなあと思う。

 

 

僕が思うに、重要なのは気の詰まりをおこしているものを取っていくこと。気は自律的な循環をしている。少しでもとればその分循環は活性化する。すると、状況に対してより耐えやすくなるし、展開の契機になるような創造的動きもあらわれるようになる。

 

 

日々の当事者研究をやる意義はここにもあって、ひっかかりや葛藤を頭にだけ滞留させず、早めに外に出して、書いたり人に言ったりすることで、気の循環は全然マシになる。

 

 

気(持ち)の循環に焦点をおき、その一貫性で暮らしを整えていけば、むしろ「問題」があり続けていても自分の状態は以前より良くなっているということだってあるだろう。

 

 

周りの人とどのような関係性であれば気の流れは良くなるか。話しの場が、どのようであれば気の流れは良くなるか。そもそも全体的に気の流れがよい状態であるにはどうであればいいか。 

 

自意識の好みや記憶、思い込みやイメージは、気の流れとは別のものとしてある。私とは自意識ではなくて、自律的な気の流れであるとするなら、結構次にやること、やらなくていいことは見えてきたりする。

 

 

循環が言わば本体なのだとしたら、滞りをなるべくおこさず、むしろ今の詰まりを取っていくことをやる。意識しなければずっとそこにある固まった詰まりを取っていく。

 

 

投資するのは、この気の循環に対してなのだとわかる。ここに投資したエネルギーは増えて返ってくる。気の循環を犠牲にしながらやっていたことが馬鹿馬鹿しくなる。

 

 

当事者研究は、自分の認識のシステムを観察し、変な状態があるなら、それを明らかにして取り除いていく。無自覚に、自動的にできてきた認識のシステム、反応のシステムをメンテナンスしていくことだと思っている。

 

 

この勝手にできた認識のシステム、反応のシステムに人は翻弄されてしまう。ここに意識的に光をあてることで、放っておくと変わらない部分の気の通路を整えていくことができる。