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降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

尽くすことと学ぶことの違い

大学の学部は心理カウンセリングの学科にいたけれど、人の悩みをずっときく仕事につきたいと思ったことはなかった。自分が聞いて、その人が楽になるなら聞きたいという気持ちもなかった。

 

 

一方、年間を通した当事者研究の集まりをやっていくなかで、参加者が日常で何かひっかかりがあったり、この事を考えたいということになったら、随時追加で話しの場を設けたいと思っている。

 

 

「問題解決」自体に関心はない。あることへのひっかかりや葛藤がどのようなからくりでできているのか、そして話しの場でおこっていることとは何なのか。それを自分なりに明らかにして、掴んでいきたい。まずその動機がある。

 

 

当事者研究に参加する人は、受動的な「被害者」ではなく、学ぶ人だ。ひっかかりや葛藤の仕組みをみていく。問題解決が目的なら「問題」が解決した瞬間にやることは終わる。ひっかかりや葛藤がどのようにおこるか、それを各人が学びたい、面白いと思うとき、「問題解決」というのは、学びをすすめる過程のとっかかりや副産物に過ぎず、学びは続いていく。

 

 

そして、話しの場で、気持ちの解きほぐしや、「問題」となっていることの解きほぐしが、共にできるようになっていくことをやりたい。「問題」が観察され、気づきがおこるための場の整いとはどのようなものか。それを体感で共有する。何が邪魔していて、何が状況を展開させるのか。その感覚を各人が掴む。

 

 

僕は当事者研究を通して、環境をつくる、という事をやっているつもりだ。個々の「問題」を逆手にとって、学ぶ人になり、話しの場をそれぞれがつくれる人になる。そういう人たちが周りに普通にいるという環境を作りたい。僕の認識では、自分が求めるような話しの場は作らないなら自然には存在しない。

 

 

僕はそこまで揃ってはじめて、いわゆる「人の悩み」を聞くというかたちが負担ではないし、学びになる。日常でやれる。週に何回やったとしても、疲れなくなる。むしろ充実していく。