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降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

インプロ集中ワークショップ最終日

最終日、わりとすぐに来た印象。

 
向かいあって、自分が相手に受けた気持ちの影響をただ交換しあうワークは自分の一瞬の感情変化を言葉にする。普段なら気づかずそのままにするような感情を探り、発見できる。シンプルながら濃い密度があるワーク。
 
人に対して自分が緊張するように相手も自分に対して緊張する、自分が適切な振る舞いができないので、相手は自分といると苦しいという受け取り方をする。相手が笑ったり、ポジティブな気持ちを伝えてくれたりするときも、そのいい状態は維持できず、ポジティブな気持ちを持ってくれた分だけ余計に、自分は相手をやがて落胆させ、失望させてしまうという恐れが出る。実は相手を避けていて、そのことに気取られたくない。どちらかというと、人に関わることは自分が生きている社会環境を悪化させると感じる。
 
避けているなら避けているでいいのに、なぜそれを取り繕おうとするのだろうか。自分が環境に適応できないことへの恐れがあり、環境に適応しなければいけないという強迫があるのか、単にがっかりされ、疎まれる自分の姿を見たくないのか。
 
関わって悪くなるということは、関わらない時に相手は自分のイメージを肯定的に保つという信念があるわけだが、相手がそもそも肯定的なイメージを持っているのかを判別することはできない。また関わる、関わらないで相手の頭の中をコントロールできるという信念がなければこの構図は成り立たない。
 
避けたいと思っている誰かと直接関わって騙し通せた感覚を持ったことはないのだけれど、それが「失敗」であると認識すること自体が本来はコントロールできるという信念や憧れを強化しているかもしれない。またこれは関わらない限りコントロールしているということでもあるが、多くの人がコントロール化にあるととらえているのも滑稽なことだ。関わらない限り万能感の中にいられる。問題はコントロールの失敗ではなく、万能感のほうかもしれない。
 
今回の集中ワークショップでは、ワークの合間合間に対話の時間が多くとられている。ワークの体験やワークの体験が引き出したことから、自分の引っ掛かりの原因までさかのぼれた人もいた。名前の呼ばれ方の引っ掛かりが幼年期にあったこと、あるワークに肯定的な気持ちを持てなかったが、それはどうやら以前そのワークで傷つけられる反応をされたことと関わりがありそうだったことなど言及があった。焦点が当てられたことが、後に気づきをもたらす。問いを投げかけること、焦点を当てることは、暗闇のなかにしばらくの明かりを灯すことのようで、その光が無自覚に動き続けているものの運動に気づかせる。
 
インプロをすると、自分のうちに作られた引っ掛かりに容赦なく焦点があたる。安心していられる場で揺り動かされることによって変化はうながされる。そういう場では、ハードディスクが最適化・デフラグされるような作用、あるいは風が自然の剪定をしていくような作用がある。不自然な場所に圧がかかり、そこが取り去られ、なめされていく。すると今まで余分なことに使われていたエネルギーが活用可能なものとして取り戻される。自分というものが、様々な要素が混在しあった現象であるとするならば、より多くのエネルギーが取り戻されたことで、要素間の全てのバランスは新しく再調整され、もはやそこに同じものはない。
 
違和感を感じていても一度自分のうちに取り入れて固まったものを出すことは難しい。違和感を感じながらもさらに蓄積されていくものに殺されていってしまう。その蓄積が自分という自律的な更新運動を疎外しはじめる。その危機に対して向き合い、用いることができるのもまた危機だ。揺り動かされるという危機を利用し、蓄積による危機をのりこえていく。
 
 
往々にしてコントロールする自分を安心の基盤としてしがみついてしまうが、そこには永遠の不安がある。自意識とは過去であり、新しいものに対応しきることができない。
 
 
自律的なエネルギー、自律的な更新運動があり、それがプロセスをおこしていく。コントロールする主体としての自意識は常に古くなっており、実はいつも主体足りえていない。自律的なプロセスを信頼することにより安心がおこる。それは自意識が主人公を降りることであり、降伏であるだろう。
 
代謝し、更新し続けることが、生であるならば、死すべきものであるのに死にきれぬものに終わりを与えることが必要になってくる。死にきれないものが死にきれるように与えるものとは、とむらいなのだと思う。
 
動こうとしている自律的なエネルギーが力を取り戻すときの喜び。その喜びのなかでとむらいは進んでいく。自意識がしがみついた手をそれと知らずに放すとき、現象としての自分はもはや別のものになっている。

今回の集中ワークショップで、今井純さんのインプロは、楽になっていくインプロなのだと実感した。頭で演技するのではなく、状況や自分のなかの瞬発的に現れてくるものとつながること、思考でコントロールするところから踏み出すことによって、興味深いシーンが生まれてくる。思考の範囲から踏み出すことによって、自身への信頼、他者への信頼、世界との生き生きとした関わりが取り戻されていく。
 
ここだけで生まれ、ここで消えていく一時的な一瞬のやりとり。固定化したものの嘘を暴き、破綻させていく。ただ遊び、遊び、遊ぶことによって元に戻り、通り過ぎていく。
 
純さんにキース・ジョンストンが来日したときのワークの記録が書かれた本を紹介してもらった。関心ある人と読み合ったり、何かできたらいいなと思っている。
キース・ジョンストンのインプロ―来日ワークショップの記録

キース・ジョンストンのインプロ―来日ワークショップの記録