降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

インプロ集中ワークショップ3日目

インプロ集中ワークショップ3日目。

ワークやエクササイズは、思考が入ると上手くいかなくなる。相手はどんなことを思っているのかと考えてしまうのも思考。先の展開を考えてしまうのも思考。


思考が入るとき、自分のなかに閉じてしまい相手や状況が見えなくなる。相手のことを思って、などという名目もそれによって相手や状況が見えなくなるのがよくわかれば単なる独り善がりなのが明らかになる。

キャッチボールをだんだん難しくしていくエクササイズなどやっていくと、素早く反応しながら、状況を的確に把握することが求められるが、そこに思考が入ると相手や状況が見えなくなり失敗する。


思考をいれず一瞬で反応するのは難しいようだけれど、慣れていくとそのほうが楽になる。創造的なアクションもおこる。創造的なアクションは思考が入り管理されると途端にしぼみ、わかりきったつまらないものになる。


素早く反応するから雑になるかというとそうではない。自分や相手とつながった状態を確立していれば思考によらずむしろ適切なリアクションがおこる。


場をディレクトする純さんは、できるかできないかが50%ずつのラインを探り挑戦することの重要性を繰り返し述べる。余裕でやれることはつまらなく、何も変わらない。できる確率が50%のときにチャレンジするとき、もしそれが失敗しても観客は湧くという。失敗が平気になることがこの場でできることであり、また大事なことだとも何度も伝えられる。


少なくない人にとって思考=自分なのだと思うけれど、自分を信頼するということは、自分の旧知の安全範囲、思考から踏み出せるということなのだ。


そこに創造的な行為が生まれ、自分もまたその行為によって更新されていく。


場や相手とつながり閉じていない状態のとき、考えなくても適切なリアクションがおこる。インプロを続けるなかで、一瞬にしての状況の詳細な把握ができるようになり、状況や自分の複数の気持ちなどを含めて、今までにはなかった選択が生まれてくる。


4年前は自動化した激しい自己防衛によって人とやりとりする感じでなかった人がインプロをしていくなかで、今や早朝の散歩の時出会った喧嘩の仲裁をうまくやっておさめることができたという。その喧嘩の仲裁は今朝の話しだという。


他の人に比べ歩みは遅くても、僅かずつの積み重ねがあり、変化があり、それが動機をつないだという。