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降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

循環を自分にひきつける サバイバルとエンパワメント

自給とは何か。糸川勉さんに畑を教えてもらいはじめた時からずっと考えている。僕にとって「自給」は糸川さんの言葉であって、自分の言葉ではない。

 

糸川さんの考える自給は、単に自分の食べる野菜を自分でつくるということにとどまっていなかった。この資本主義社会のなかで、不本意を感じながらも仕方なく世界の搾取に加担することへの拒否。同時に他でもない自分として生きることの両立。この世界という大きな矛盾のなかで、自分として生きることが自然と社会への向き合いに通じていた。

 

人と交わりを断ち、自分だけの閉じた世界にいくのではなく、自分が発見した生き方、自分を取り戻していく方法を畑を通して多くの人に伝える。

 

無駄な精神論で語らない。哲学は糸川さんが実践と観察から編み出した具体的な技術それ自体が語っていた。畝間と畝は同じ広い幅をとる。雑草を肥料とし、また乾燥除けに使う。クワは前に進みながらふるう。間引きは大きいものからとる。

 

自給という一貫性のもとにつくりだされた技術と考え方を取り入れると、「普通の農業」がもっていた数々のハードルや矛盾がとりさられていく。薬を使わず省労力で確実にとれる。こうしなければ、ああしなければという考え方から、こうもできる、ああもできる、と心はしなやかに、自由になっていく。

 

自給農法は農法でありながら、同時に自分を取り戻していくエクササイズ。間隙を縫い、この世界で生きていくための野性を活性化させていくリハビリだ。食べものを得ながら、生き抜いていく態度をつくっていく。

 

自給のイメージは畑以外の分野でもヒントをくれる。
ワークショップ等で,何かメタレベルの態度を身につけようとするととき「〜になりましょう」などといって、またそのためのワークをつくったりするのは、わざわざ逆方向に導くようなものだ。

 

効果的なのは、導きたい方法など全く意識させない目標を設定し、状況を乗り越える道具立てはそれとなく用意しておくことだと思う。あくまで自身の意思と力で工夫し乗り越えるとき、それは自分のものとして「つながる」。回路のあり方はそれぞれ。もとあるものに、それ自身の要求する接続方法でつながってもらうためには、自分でしてもらうしかないのだ。もとある回路につながらないものは、ものにならない。

 

自給は、サバイバルとエンパワメントの思想だ。自然はどうなっているのか、自分はどうなっているのか、どのように関わっていけばいいのか。現実を妥協なく観察し、そこから自らのあり方を編み出し、循環を自分のものにしていく。