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降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

自信と信頼の違い インプロワークショップを終えて

演劇
今井純さんの4日間のインプロワークショップ終了。変化はおきるものであり、何もおきないのは変化を自分がとどめているからだ、という言葉が心に残る。


変化を自意識でおこすと考えると人は途端に重圧にさらされ、それに負けてしまう。そして重圧に負けないための考え方の工夫というだけでなく、それは実際にそうだ。自意識が変えるのではなく、自律的なものがその働きによって変える。

よってやることは邪魔するものの働きを相殺し打ち消すこと。自意識の能力はストップさせることだ。だからストップさせるものをストップさせる。邪魔するものを邪魔するというやり方でのぞむ。


自意識としてのわたしが何かをやったと考えることで、人は高揚を得て、その高揚で恐れを麻痺させようとする。自信過剰という言葉があるのは、そういう場合には往々にして様々な盲目性が付随するからだろう。それは鈍感になり、目をつぶることによって目の前のことを乗り越えようとするやり方だ。


自信という言葉より信頼という言葉が使われる。自信が過去を振り返り、安全を確かめながら事にのぞむのに対し、信頼はその時受け取ったシグナルに身を投じる。何も保証はないが、過去の抵抗を捨て、そのシグナルが導く方向に身を賭ける。

一瞬一瞬をそのシグナルに従うことには恐怖がつきまとう。それはそれまでの自分の死を意味するからだ。高まる緊張に耐えられず「安全」な選択をするとプロセスはそこでおわる。「安全」で退屈で欺瞞に満ちゆるやかに自分が殺されていく元の牢屋にもどる。一方シグナルに従った先には、過去の自分の死があり、それが抱え込んでいたエネルギーと自由が解放される状態がある。


そのエネルギー、その自由さの解放の体験を重ねるにつれ、現在みえている自分へのこだわりは弱まり、シグナルに賭けることへの信頼感が強くなってくる。


ワークショップの参加者の9割方はインプロや演劇をやっている人たち。そこには自分の課題を乗り越えないわけにはいかない強い必然がある。


つまるところ人を先に進ませるものは、強い必然だと思う。インプロバイザーでも役者でもない僕が先に進むためには、別の強い必然を作りだす必要がある。

子どものころ、雨の日の小学校の運動場に小さな川や水たまりができていた。それらをちょこちょこつなげると流れの強さは増していった。強い必然とはそのように作りうるものではと思っている。一つ一つの必然が持つ力の流れを重ねていくということなのかなと。


純さんのワークショップ中に得た気づきがある。状況のなかで、古いパターンを選ばす、本当に自分が感じていることを探り、近づき、それを選んだり、確かめることの有効性だ。これは設定の仕方によっては、高すぎる緊張を伴わずにやれると思われた。


日常生活のなかでは、緊張感の高まりによってすぐないがしろにされてしまう自分のリアリティを確かめ、手繰り寄せる。そしてそれを表現しあえる関係性をつくりあう。これを日常的に重ねてやっていける場を作ればいい。