降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

インプロワークショップ3日目

後天的に獲得されるものとしての心は、積み重ねられたプログラムのようなものだと思う。

 
 
それらのほとんどは無意識で作動するようになっている。ささいな一つの状況に対しても、少なくない数の無意識的プログラムが働くので、意識で把握することが難しい。
 
 
おそらく往々にして問題となることは、危機的状況がおこる可能性を人間は可能な限り身の回りから排除していることと関わっているのではないかと思う。
 
 
生命に関わるような危機的状況があまりおこらない(実際はどうであれ錯覚していれば十分)ので、危機的状況に該当する基準がどんどん下がっていく。
 
 
結果、生命に関わるようなことでなくても、緊張をもたらすものが自然に避けられるようにプログラムが作られ、重ねられていく。それらはあまりに細かいところまで干渉するし、かつ常駐して働くので、結局自己疎外的な副作用をもちだす。
 
 
プログラムが自分の素朴な意思、自然な気持ちに干渉し歪める。しかし、意識は気づいてないものを操作できない。
 
 
今、インプロのワークショップに来ているけれども、ここでやられていることは、危機的状況をもう一度作り出し、かつそこに日常と違う禁止をいれることによって、生命がどうこうなるようなところより低い水準に敷き詰められたプログラムを機能不全にしていくということではないかな、と思う。
 
ある状況が起こる、それに対して緊張を回避するいつものプログラムが作動しようとするが、そのプログラムに干渉するような設定をしているので、プログラムがその通り働けず、結果としてある状況に対する別の通路、回路がつくられる。
 
 
今井純さんのインプロは起こったことは全て受け入れなければいけないタイプのインプロではなく、自分によりしっくりくるリアリティを軸とする。ノーといえるインプロ。
 
 
外部の価値基準に侵食された心に干渉し、自分のリアリティを軸としてもう一度状況に対する自分の反応を再編していくということをやっているのかなと思う。