降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

代々の現象

父に昔の話しをしてもらう。
 
 
インタビューは無駄がなくていいなといつも思っている。わざわざ話しをきくという設定ででてくることがある。関係性もできるし。
 
 
周りの人のイベント疲れの話しを聞くにつけ、ちゃんと後に続く実感があることを考えずに勢いでやってしまうことのロスの大きさを感じる。
 
 
普通にやればロスだと認識して、その危機意識を持ってやる必要があると思う。疲れを後に残すようなこと、結果として気持ちが後退するようなことは断固としてやらないと決めておかないと状況に流されてしまう。
 
 
自分のエネルギーの運用に意識をもたず、なげやりに使う人は全然少なくないと思う。「いいこと」をして疲れを残すと、何だかんだと結局人を恨んでないだろうか。エネルギーは減るわ、人は恨むわになるのなら、それは実質悪いことをしたのだと思う。
 
 
「悪い人」は「良い人」より、多少の利害をこえて協働できたりする。自己一致の水準が高く、融通がきかせられる。
 
 
野性とつながり、なおそれを転用して自分にも人にも生産的になれるというのは、けっこう応用編なのだ。
 
 
自分の深い動機とつながることを阻害された人は、表面上認められる良いことをもって自分の価値づけをせざるを得ないところがある。自分のしたいことをやってないので、嫉妬が深くなるし、不満も爆発しやすい。かと言ってすぐに自分とつながれと人に言われもできない状態。まずはそこからケアされる必要がある。
 
 
自分が尊厳をもって認められ接される環境のもとで、徐々に自分の感じていることをなぞっていくことができればいいのだと思う。これはわざわざやっても基本的に割にあうことだと思う。
 
 
さてインタビュー、ひいおじいさんのお話しで新しく聞いたのは、アメリカから帰ってきた後に大阪で米屋をやっていたこと。米田販二郎が本名で米を販売していたので偽名かと警察に疑われたとのこと。
 
 
僕が前にやっていた無農薬米づくりのイベントで、田んぼの大家族というテーマソングを作ったときに、田んぼの立て看板に書いた歌詞の横に作詞米田量と書いてあった。知人に、誰も実在の人物と思わないのでは?と言われ、なるほどそうだと納得したことを思い出した。
 
 
代々の現象だったようだ。