降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

岐阜芸術フォーラム発表原稿その2 生存圏を重ねる

フォーラムの原稿その2です。

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2 この世界で自分として生き残ること
 憲法で保証されることが定められている「健康で文化的な最低限度の生活」という言葉がありますが、これは人が自分で自分をエンパワメントしていけるための最低基準だということだと思います。ただの生存だけを保証されるだけでなく、環境への依存状態、あるいは環境から圧倒されている状態から脱して、最低限自分が環境に働きかけ、調整していく主体となれる外的な状態が提供されるべきだと思います。

 

ただギリギリで生きているだけの状態というのは、実際上は危機状態であって、生きる力が奪われている状態です。作物でいえば、種を蒔いて芽がでても、虫に一定以上葉っぱを食べられてしまったような状態です。生きるのがギリギリで、抵抗力も弱く、同じ時期に蒔いたものが大きくなっていくのに、時が止まったかのようにそのままの大きさです。

 

ギリギリではなく、余剰のエネルギーを獲得し、それを運用し、生きる力を増していく。それが生きものが生きていくことと考えます。弱くなればすぐに虫がつき、病気になり、競争に負けます。生き残りのためには、健康さ、抵抗力の高さを維持することも必要です。

 

個性や障害など、それぞれに固有の条件を背負う人間が、社会のなかで生き残っていくときも、生きるあり方は同様だと思います。余剰のエネルギーを獲得し、運用する。身体的、精神的健康さを可能な限り保持する。そのために環境に働きかけ調整することが必要だと思います。

 

3. エンパワメントのサイクル

僕は発達障害の気もあるので、不得意なことは不得意です。スーツを着て、週5日組織で働くというようなことができるとは自分では思えません。そのため、アウェイの理屈にあわせて働いて生きるというのが難しいなら、ホームをつくるという発想に転換しました。僕にとって畑をすることは、自分の時間を取り戻すことです。疲弊するところからより疲弊しないところへ移動する。そうすると運用できるエネルギーがたまる。自給は、時間の質のコントロールであり、環境のコントロールです。自分の時間の質を規定する外枠を変えています。そして、この外枠は自分が働きかけることによって、どんどん変えていけます。

 

自給農法を考案された糸川さんのカフェでは、何人かアルバイトの方がいましたが、ほとんど芸術系の方でした。僕がなぜここで働くのかと訊くと、自給自足をすることによって、作品がつくれる環境を保持したいからということでした。自分の暮らしの外枠を自分がつくる。それが自給ということだと思います。ですので、それは食べものを得ることだけに限る話しではないのです。

 

エネルギーを得て、それを運用し、暮らしの外枠に働きかける力を増やしていく。外枠を変化させることによって、また自分にとってほどよい環境が生まれ、その環境によって自分が変化する。そしてまた外枠に働きかける力が増す。このエンパワメントのサイクルを自分のものとするためには、アウェイを変えようとするよりも、ホームを成り立たせ、拡げていくことが必要だと考えます。それは遠くなった世界を自分のほうにたぐりよせることです。

 

4 ホームをつくりはじめる

僕が今やっている畑をかりたのは5年前でした。地元の友人が媒介してくれてかりることができました。しかし、そこはまだ畑のことがほとんどわからない個人でやるには、広い畑でした。作物を育てることも雑草を管理することもなかなか難しかったため、友人に声をかけて一緒にやりました。でも夏の暑い間に来る人は少なく、あまりうまくいきませんでした。

 

次に、講師を呼んで月に1回、実習講座をすることにしました。自給農法の糸川さんが講師です。講師料として、参加者には1回500円で来てもらいました。糸川さんが来てくれるおかげで、企画している自分たち自身が学べるので、畑は少しよくなりました。しかし、2年やって、まだ何かぱっとしない感覚がありました。単発で来た参加者が本当に何を学んだのか不明で、何かやっていてエネルギーが奪われる感じがありました。

 

3年目から大きくやり方を変えました。1回だけの参加ではなく、年間を通した参加者を募集しました。手軽にできる自給農体験ではなく、自給の作物づくりを身につける意思をもった人を少人数募集しました。畝を提供し、そこで実習で学んだ作物を責任をもって育ててもらうことにしました。またあらかじめ1年分の講師料や種代、その他経費をもらうことにしました。参加へのハードルは一気にあがりました。

 

ここでのコンセプトは、仲間づくりということもありました。不特定多数に対して催しをしていっても、そこに関係性が育っていかなかったので、不特定多数への働きかけや告知はやめました。そのことで疲れも減りました。少人数制を守ることによって、関係性の質が守られ、また関係性が育つ実感を得ました。年間を通して関わることによって、たまたま畑に来る時間がかぶり、作業をしながら話す時間も増えました。畑で話す話しは、また家やカフェとはちがった話しが出てきます。豊かな時間です。

 

コンセプトをよりはっきりさせ、あえてハードルをあげることによって、来てほしい人たちが来ました。そして、年間をかけて育てるという仕組みによって、来た人との関係性が育つようになりました。年間参加者は、自営業や自由業を中心にしている人たちです。農業でなく、自給に関心があるというところでも、自分に近い人たちです。彼らとは同じ規範をもつ一心同体の堅固な共同体ではなく、個々が自律的でありながら、同時にコラボしたり、お互いを盛り上げあえる関係性です。

 

今のこの場所、この関係性はささやかなものです。ですが、小さくともお互いのエンパワメントのサイクルをもっていて、自分たちの場所、ホームの基盤であると思っています。ホームは物理的な場所であるよりも、そこにいる人お互いが生かされる人と人の関係性であると思います。

 

ホームは、自分たちの生活上で、もっとも妥当性の高いところ、あるいは切実なところから、その必要を満たすために作っていけるのではないかと思います。アサダワタルさんがいうところの「住み開き」は自分のスペースを他人にひらくものですが、出産した建築士がかってのような仕事スタイルはこれ以上できないため、自分の家で育児講座を始めたように、それは開く人が自分にとって必要なものを満たすために作ったものであり、自助が動機であると思います。


自分のもっているスペース、資源をシェアすることによって、世界との関わりをひらき、新しいもの、必要なものが自分にやってくる循環を生む。もちろんそれには、自分にとって何が持続的にシェアできるものであり、自分が作った仕組みや自分の調整によって何がかえってくるのかの吟味が必要だと思います。

 

自分がライフワークとしてやれるものは何なのか。自分の個としての根源的な求めにそったものとは何なのかが問われますが、それを手探りしつつ作っていくものなのかと思います。おそらく自分の根源的な求めとは、根源的な苦しみの裏返しであって、苦しみは終わりない動機、進んでいく力、喜びが喜びとして成立するための背景なのではと思っています。


5 人口漁礁
これから自分が望む人と人との関わり、自分たちの生態系をつくっていこうとするときに必要だと思われるその場所のイメージは、人工漁礁です。人工漁礁は、沈船、あるいはただのコンクリなど、それ自体で完結し成り立ち安定しているような媒体で、他者に対してそれ以上の余計な干渉や操作性をもたないために、生きものはそこを自由に転用できます。海藻が生えたり、隠れる場所になり、そこには自律的に生態系が生まれます。それとして存在しながら、操作や干渉しないことによって、自律的なものが自律的に展開することを許すスペースとなるのです。

 

愛とは(それが自律的に展開するための)スペースを与えることと、あるボディワーカーが言っていたのをいつも思い出すのですが、相手のもつ自律性がそれ自体の力によって展開することを許された空間を提供することが重要なのだと思います。

 

微妙な話しになりますが、ここは居場所だと明言され、提示された場所は居場所になりません。ここは完全に安全な場所で、あなたが自由になれる場所です、と人に言われたところで自由になれるでしょうか。むしろ意識して余計に不自由にならないでしょうか。言うこときいて、自由に振る舞わないといけないのかな、とか思ったり。

 

「する」のではなく、「なる」のが居場所です。意識でやるのではなくて、意識しなくても自動的に調整されるからこそ居場所です。意識していない自律性が動きはじめるときに、意味のある展開が生まれ、その場限りでない、後につづく変化がはじまります。よって余計な意識に干渉させないか、あるいは逸らすかが重要になります。

 

僕の自給の作物づくりの実習は、目的が「仲間になりましょう」でないので、逆に人は自由になり、好きに関わります。ただ自分が作物を育てるようになるために来ているというドライな建前がお互いを守り自由にします。結果、かえっていい関係が育っていきます。このやり方にして3年目で、3年継続の人が半数以上です。

 

コミュニケーションにおいて、人は既に十分に規範に縛られていると思います。多くの場合、ある空間にはもう目的性があり、既に自律性が展開するためのスペースが奪われていて、自由はもうほとんど無いのだと思います。既に規範があり、価値が決まっている。そこで起こることは、その空間の構造に規定されます。

 

しかしそこに漁礁を置くと、空間は漁礁にのっとられます。漁礁が空間のそれまでの規範性にヒビをいれる。そこに間隙を縫った自律性が展開する。僕の場合、年間の畑の実習で作物づくりを学ぶという設定が漁礁です。それはそれとして成り立ち、完結しているために、それが副次的に生むものを自由に享受できます。

 

陸奥賢さんがされている「まわしよみ新聞」のほうがより漁礁の例としてふさわしいかもしれません。もちよった新聞をまわしよんで、それぞれ気に入った記事を切り取り省グループでプレゼンする。みんなが盛り上がった記事を幾つか画用紙にはって壁新聞にするというだけ。学ぶのではなく、新聞で遊ぶ。だからこそ人が自由になり、話す。そして副次的に仲良くなったり、自己表現の勢いにできたり、あるいは社会に関心をもちます。

 

既に空間は十分に規範で縛られている。意識すると余計縛られる。漁礁を設定し、そちらに意識を奪わせ、規範にヒビをいれ、交流の建前を与えたりしていると、間隙を縫った自律性が浮かび上がり、何かが起こっていく。その変化は力強く持続的なものになりやすいと思いますし、僕自身もそこに力をもらえます。

 

5 自分たちの生態系、生存圏をつくるために

ホームを拡げていくということは、自分たちが直接働きかけ調整できる領域が多くなるということです。生きていくことを、なるべく大きなシステムの理屈に奪われずに、自分たちのほうにたぐり寄せていく。行き着くところは、自分たちが生きていくために必要な最低限の仕組みを自分たちによってつくりだし、成り立たせるということになると思います。その例として、メキシコのトセパン協同組合をあげたいと思います。

 

メキシコのある地域に、金融や医療、教育、農業などのそれぞれの小さな組合が集まったトセパン協同組合という組合があります。組合員は3万人。そこでは、先住民の知恵をかりて、森の中で珈琲、蜂蜜などの輸出用換金作物および、自給用作物、薪や薬草などの有用作物を育てています。一般的な農法では、珈琲畑は珈琲しか植わってないけれど、ここではそれら全ての作物が同じ場所に混在してバランスよく成り立っています。国連の調査では、彼らの収入こそ貧困レベルですが、人々の衣食住は満たされており、何より人々が自分たちの力で自分たちの生活をつくり出しているという実感のもと、生活への満足度と自尊心は高い水準にあります。組合員と持続可能なかたちでケアされた森林から得られる食物によって、人口25万人の町が成り立っています。

 

トセパン協同組合に学校ができたのはつい6年前だそうで、様々な仕組みは発展段階です。しかし、その到着地点ではなく、そこへ向けた過程、道中のあり方に目を向けた時、それはもう十分に豊かなのではないかと思います。人々が何かをつくるきっかけをもって、共に生きる。到着地は、しっかり具体的でなければ道中も成り立ちませんが、この道中こそが生きることを自分に取り戻していることであり、既に高度な達成であると思います。

 

14日には選挙が行われます。低投票率が予想されています。今回色々なところでおかしなことがおこっているのに、なぜ選挙に行かない少なからぬ人は自分ごととして重要だと思わないのでしょうか。僕はそれは、このシステムが生きものとしての人間が直覚できるものでないからだと思います。自分が世界に関与している実感が全くない。実際、権力を持ったものが、力を集め、権力を維持するためにつくったものだからでしょう。

 

自分たちが環境に働きかけ、世界をつくっていく主体であることを取り戻すためには、そのためのリハビリが必要なのだと思います。というか、人はそのような主体であることを奪われるとき、人間として自信を失い、疎外されるのだと思います。トセパン協同組合の例はそれを取り戻した例だと思います。

 

まずはささやかにでも、小さな自律空間を自分たちで持つことから、主体であることを取り戻しはじめることができるのではないでしょうか。昔、京都で月曜の夜だけやっているカフェがありました。そこは営業許可をとっていませんでしたが、カフェでした。学生や面白い活動をしている人たち、国内外のアーティストが沢山やってきて交流して、いつもそこでは何かが始まっているというような場所でした。

 

なぜこういうことが成り立つのか。来る人も含め、私と私の信頼関係が成立しているからです。外の空間に迷惑をかけず、自分たちのことは自分たちで責任をもち、引き受け合う。自分たちの間に世界をつくる。社会がどうであれ、制度がどうであれ、信頼関係があり、お互いにおこることを引き受け合うのであれば、国や社会の制度のひずみや限界を超えることができると思います。

 

同時にこれはそこに関わる人たちの自治意識を育てます。この自治意識の育ちは、選挙など大きなシステムのものに対してもまた派生していくものではないかと考えます。まずは小さな自分たちの生存圏をつくりはじめること。それは人と人が関係性を育てることであり、エンパワメントを始めることでもあります。自分たちの間で、自分たちの暮らしの質を規定する外枠に働きかけてカスタマイズしていくこと。エンパワメントという軸をもって、暮らしの実質を自らデザインしていくことが始められることなのではないかと思っています。

 

京都府南丹市には、るり渓やぎ農園という場所があります。そこでは自給用の作物も植えられ、やぎの乳を使った加工品が販売されています。そこには井戸もあり、水も自給できます。いざ、地震があって公共のライフラインが切断されたり、日本が経済破綻したような場合であっても、自分たちの関係性や生命を守ることができます。今の社会のなかにありながら、それが成り立たなくなったときも大切なものを守ることができるのです。大きなシステムのなかで生きながら、もう一つ自分たちが身体的精神的にも生きられる生存圏を重ねる。トセパン協同組合ほど大きな規模でなくてもいいのです。

 

おわりに

 

現在トセパン協同組合がある地域は、国が勝手に外国企業に開発を許可したことによって、鉱山採掘、地下資源採掘、水力発電の建設が計画されています。組合員はそれが何を意味するのか、周りの人たちに伝え、一緒に考える人として育てながら、反対運動をしています。反対運動の効果か、今のところは工事は着手されていないということです。

 

この世界は、善意を持った人たちがお互いのためにいい生存圏つくっていけばそれで幸せになる世界ではありません。生きものが発生したときから、生きものは常に暴力に晒される世界にいましたし、それは現在に続きます。暴力に対して、勝てる保証はありません。しかし、どのような状況になっても、お互いのなかであるべき尊厳を与え合い、ただ降伏するのではなく、助け合い、最後まで人らしくあることはできるのではないかと思います。運動する先住民のリーダーがマフィアに殺されるこの世界であっても、死の瞬間まで、自分たちに尊厳を与え合い、お互いが人らしく生きる方向に向かうことができるのではないかと思います。

 

到着地は保証されていません。しかし、道中をつくることは意思と工夫によってできる。あるべき人と人との関係性は、意思をもつ人々の間に達成されれば、奪うことはできない。到着地への保証があるという虚構が、むしろ道中を奪っているのかもしれません。どのような状況であれ、ただ、淡々と自分たちをエンパワメントする。あるべき人と人の尊厳とは何かを確かめ、見つけながらこの世界に自分たちの生存圏をつくり重ねていく。ただ、途切れることのないお互いのエンパワメントのなか、その道中に生があるのではないかと思います。