降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

「ワークショップ」である必要は

土日は連続でワークショップする人を育てる講座に。

講座は来月もまだまだある。

 

「ワークショップか・・・・。」自分がいるところと違うグラデーション。アウェイなのを知りつつ、しかし、行かないよりは行ったほうが知り合いもできるし、今後の状況が展開する材料もできるのではと思い、行くことを決めたのだった。

 

しかし、特に今月に入ってからの講座は、ぶっちゃけた現実の話しが多くなり、ほっとしている。他人同士の合意形成などそんな1回や2回のワークショップでできるはずがない、と講師が言う。しかし、そこからどうするか、という話しになっていくと面白い。ワークショップについてじゃなくて、現実にどう対応して欲しいものを得ているのか、現実にどう食い入っているのか、という事例が参考になって面白い。

 

今日は森栗茂一さんという人が講師だった。阪大教授にしてまちづくりファシリテーターだけれど、その場に居る人とのやりとりは、芸として確立されている感あり。具体的で現実的。この仕事があっているらしく、カフェとかでじっくり話したりするのは苦手だとかも言われていたが。

 

お昼ごはんの後のコマだったが眠くならない。「合意形成は後からふりかえってあるものであり、合意形成という到着点も実体も存在しない」など、名言続出。


森栗さんの言葉で「合意のプロセスを経れば何かが次につながる」というところがあった。聞き覚えがあると思ったら、中野民夫さんが紹介していたジョアンナ・メイシーさんの言葉だった。

 

「質問が出発点です。孤立しないで集い合い問い合うことが力です。すぐに答えがでなくても必ず次につながります。」

 

国連の人権保障理事会のアナンド・グローバーさんは、あきらめないで対話をすることを何度も強調し、対話とは単なる話し合いではなく、繰り返し学ぶために質問をなげかけること、それを通じて、自らの無知を改め、他人にも問題に気づいてもらう、対話は相手を尊重し相手とともに変わるためにあるのだと指摘した。


人権と民主主義の回復が原発事故における鍵ー京都グローバーシンポジウムに参加して - 細々と彫りつける

 

アナンドさんの対話の定義は、深く核心をつき、重要な要素を余すところなくを提示しているように感じる。この言葉が練り上げられる過程で、アナンドさんの出会ってきた現実とはどのようなものだったのかと想像し、そしてその困難をのりこえようとする明晰な意思が世界の自分の知らないところにもあったことに力をもらえる。

 

 

ところで、ざっくばらんな森栗さんは、ワークショップ嫌い、とも言われていた。確かに、ジョアンナ・メイシーさんやアナンド・グローーバーさんの対話のあり方に沿う時、それが「ワークショップ」である必要はない。

 

孤立せず、集い合い、問い合う。あきらめず繰り返し質問を投げかけ、自らの無知を改めるとともに、他人にも問題に気づいてもらう。対話は相手を尊重し、相手と共に変わるためにある。

 

どのようなかたちであれ、この要件を満たす状況、仕組みを設定すればいいのであって、それが「ワークショップ」でなければいけない理由は思い浮かばない。受講者の一人が言葉にしたように、意見をひろいあげる場所があって、また別に意見をまとめる場所があればそれでいい。

 

徳島県海陽町では、老人の自殺が10年以上も起こっていない。このまちの人たちには移民が多く、背景の違う人たちがうまくやるために、年齢や男女に関係なく、脱退も加入も自由な話し合いの場を昔から持っているが、これは「ワークショップ」ではない。ファシリテーター認定資格をもった人がやっているわけでもない。

森栗さんが「ワークショップ」が嫌いというとき、それは一時的なかきまぜと方向性の提示では、不十分だということではないかと思う。たとえば医療の現場において「ワークショップ」が状況の変化に効果をもたらすのは難しいという。医療の世界が、それ自体の「カルチャー」によって、一度何かの試みをやっても、その日が終われば、現場の人が次の日から全てを定量的な価値に組み替えていくのでやったことの意味が保持されないらしい。

 

「ワークショップ」というとき、型はないはずなのになぜかイメージや型が生まれるように思う。大抵は一時的なもので、ファシリテーターのような人がいて、グループワークをするという型。

 

しかし、何であれ、そこで集い合い、問い合いを始め、それを続ける人たちがいればいいわけだと思う。医療の場合は、特に内部に。それは「ワークショップ」のようなかたちではないかもしれないけれど、やれば次につながる。何かが展開していく。

 

つまるところ、現実に何かの切実な要請があり、それに対応した状況を設定する、創造するということだけなのだと思う。停滞した現実を変えるために、必要な状況の設定。自由に状況を創造し、設定をデザインする。新しく創造された状況では、新しい可能性が展開していく。