降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

ワークショップのお勉強 林竹二と湊川高校

なんだかんだと言いながら、ワークショップやる人を育てる講座に通っている。が、既に出席日数が足りないから、冬に修了はできなくて、来年の夏とかになるだろう。

 

宿題があって、ネットにアップされている動画をみて、レポートを書く。レポートは一つにつき400字だから大したことないのだが、動画が1本30分とかで長い。文字にすればはやいのにと思いつつ。

 

ワークショップという対話の手法は、アメリカが発祥で、ハーバード大の演劇教育や労働者の現職教育としてはじまったそうだ。アメリカは異なる文化背景をもつ移民達の国なので、彼らは恊働し、合意形成し、社会をつくりあげていく必要があった。

 

ワークショップは、体験型講座と言われたりしているが、実質一方的に教えるだけみたいなものに対してもそう呼ばれるときがある。だが、本来のところとしては参加者が主体となり、そこで何かを創造していくというもの。

 

日常の抑制的な規範や序列関係の構造を取り除きつつ、表現をしてもいい場を保証する。横浜などでは、1000人の人が50年後の横浜をデザインするというような趣旨でワークショップを重ね、そこで新しいNPOが生まれたりということがおこっている。

 

対話は、英語でダイアローグ。diaは、〜を通して、ということで、logueはロゴスで言葉とか、言葉の意味ということだと。だから言葉を通して、という感じらしい。

 

綺麗に整理されていて、もっともなのだが、構造の限界についてはあまりまだ言及されていない。ワークショップで人をかき混ぜることによって出てくるものというのはあるだろうし、それは生産的なものになるだろう。

 

でも人が重要な変化をおこすときには、それなりの整いがいるし、何かのうまいスキルやアプローチを使ったらそれがすぐ起こるようなものでもない。ワークショップで扱うのは表層のところだと思う。

 

人はそれなりに切迫されていないと変わらない。変化の大きさは、事前の動機の高さによる。対話といえばまずソクラテスが出てくるけれど、ソクラテスの対話の手法を使って小学校から定時制高校にまで出前授業をしていた教育哲学者の林竹二という人がいた。彼の授業によって生徒が劇的に変わっていくので、それがビデオにとられたり、本になったりしている。

 

しかし、林竹二は教育の現状に絶望していた。今、公教育を管理し、支配している文科省は、戦後すぐのときは、むしろそれぞれの学校を応援するという関係だった。それが逆転してしまい、管理の度合いはますます強められていた。林竹二はもう故人なのだが、20年近く前に「教育亡国」という本を出していて、戦後の教育改革が教育の荒廃を招いていることを痛切に批判している。

 

病に伏した林だったが、兵庫県湊川という定時制高校に行って授業をしたときに、思わぬことがおこる。そこの生徒は被差別地域の子どもたちで、社会の欺瞞や矛盾に晒されている子どもたちだった。林にとっても勝負だったわけだが、そこでの生徒たちの変化は、今までのどんな現場でおこったものより大きかったという。

 

林は子どもたちの変わりようをみて、教育に対して希望を取り戻し、よみがえる。林は、狼に育てられた少年少女の話しを授業の題材にするなど、人間とは何か、社会とは何かというテーマを子どもたちに突きつけるのだが、一般には不良とみられている湊川高校の子どもたちこそ、どのような学校の子どもたちよりも、林が伝えようとしたものを吸収した。

 

彼らは飢えていたんだと思う。社会のつまらない欺瞞、薄っぺらいきれいごとは彼らには通じない。彼らのあり方は反逆であり、その反逆とは、我が身を傷つけながら、自分とは何か、生きていくとは何かと世界に問うものだった。

 

変化とはこういうところにあると思う。既に重圧を受けて行き場を失っているもの、激しい飢えをもっているもの。飢えがたいしてなければ、どのような即席の技術でアプローチしてもたいして変わらないだろうと思う。

 

もし、希望に燃えてワークショップをがんがんやって人々の意識を高め、社会を変えようとする人がいたら、この現実にであうと思う。この空しい現実に疲れるんじゃないだろうか。今、大して痛みをもたない人は切実になるまで変わろうとしない。生きものだから。

そこで、人の、そして自分の深い苦しみのほうに目を向けるんじゃないかと思う。ものわかりがよくて、賛意さえ示してくれるけれど、でも何も変わらない人たちの相手にすることをやめて。まだ批判してくるほうがいいかもしれない。本気で、自分ごととして一切の妥協を排してぶつかれる関係を求めるようになるんじゃないかと思う。

 

何かを捧げるのは嫌だけど得れる幸せはできるだけいっぱい得たいなという人たちから、既に奪われた人たちへ。どうしようもないところに投げ込まれ、満たされない飢えと歪みを背負った人たちへ。彼らの提示する現実が自分自身の底にある苦しみを救うために必要なんだと気づくんじゃないだろうか。


しかし、なんでこんなこと書いたのかと思ったら、たぶん銭湯の帰りにスティングのwhen the angels fallが頭に流れていたからだと思う。

 

これが私の足。これが私の手。これが私の子どもたち。これが私の要求だ。天使を落とせ。視界から追いはらえ。真夜中に100万の太陽を見たい者はいない。私の手には何も無い。街の通りには何も無い。もう私たちをコントロールできない。もう私たちをコントロールできないのだ。これ以上少しも。 

 

 


Sting - When The Angels Fall (CD The Soul Cages ...