今日も晴れた。
庭にでかい毛虫の群れがきていて、3日ぐらいでミツバやバジルなどほぼ丸坊主にされた。
12月に富野小路三条のH2Oという場所で、ジン(自作の本 magazineのzine)が集まる催しがあって、それに向けてジンをつくっている。
知り合いにジンと言って通じない時もあるけれど、出版社などを通さず好きに作った本や小冊子であって、同人誌やミニコミなどと明確な違いはないようだ。
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一人でやるとできないので、ジンを作る催しにした。浄土寺の甘夏ハウスの林葉月さんと一緒に「甘夏大学ことば表現講座」と銘打って参加者を集めた。
文章は、刺激を受けてその勢いで書いているのだけれど、今回はある程度今までバラバラに書いてきたものをまとめるようなものにしようと思った。やってみるとなかなか難しかった。
刺激に反応して書くときは、感じるものを見ようとする体の求めが高まって発火するような感じになる。その状態に入ると感じていることをつかまえられる。形の無かったものが言葉を置いていくことによって、それが意味をもって現れてくる。その現れ方は自分にとっても新しいものなので、それが面白いのだけど、書こうとして書いたり、まとめようとして書くと全然むこうからやってこない。
結局、今まで書いてきたものを並べて、テーマごとに一文に要約し、その一文をまた並べたかたちで全体をつくることにした。その後は、いつものように刺激に反応して書きながら、合間合間を埋めていく。今はA4で12枚ぐらいだけれど、一度に書けないのがよくわかった。
顕微鏡的にものすごく狭いところに意識があたるのだが、その顕微鏡的な視界では広い全体を概観しにくい。代替的に隣接するところを手がかりに把握しようと努めるがうまくいかず混乱する。とても狭い机でキーワード整理をしているようなものだ。キーワード全部を置けないので、その時その時置いたものに影響されてまとめられない。一方でこの混乱というか、障害のために、得てきた情報を凝縮して把握したいという衝動が生まれていて、それが体を駆動させる。だから原動力でもあるのだが。
今のところ、話しの流れは以下のような感じになる。
1.生き残りのために必要なことの概観
→中学校時代の自分のアイデンティティ崩壊と回復への希求
→人は適切な媒体と環境があれば治療者抜きで自律的に回復に向かうという気づき
→環境設定・状況設定しエネルギーを貯める。貯めたエネルギーを運用する。
→生きられる環境をつくっていく。
2.原動力
→エネルギーを運用し、環境を作っていく際の原動力は、自分の底にある苦しみ。
→喜びや充実は、自身が持っている苦しみを創造的に乗り越える時に生まれている。
→直面する苦しみに対処することで、また底にある苦しみへの対処が可能になる。
→より根源的な苦しみに対して創造的の乗り越えるとき、それは副次的に周りや世界への贈り物となる。
3.社会への対峙
→社会がもつ保守性・抑圧・日常の規範の弊害
→社会が提示する強迫的価値から距離をとる。
→内在化された規範を破綻させる。必要な環境を用意するための小集団。
4.生きものが生きることとは
→人の間の約束の世界と、その基盤となる自然=もともとの不条理の世界。
→二つの世界に生きることでそもそも間隙を縫うゲリラであることと、世界のどうしようもなさへの共感性を取り戻す
→生きものが生きることは、そもそも自然の均一化作用に対しての反逆。自然であれ、文化であれ均一化に対して反逆すること。
以上だけれど、内在化された規範を揺り動かすのに有効な演劇についての言及、あと「明日のために生きる」ということの虚構性も盛り込めたらと思っている。
・・と、書くとちょっと咀嚼できた。狭い机で作業しようとするのは、みかんをただ皮を剥いただけで房にわけず、まるごと口にいれて食べようとするような感じだ。噛みたいのに、口がいっぱいになっていると噛めない。もどかしさと無理やりさのしんどさ。それでも何とか噛んでスペースが空いてくるとちゃんと噛めるようになる。
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