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降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

絶望が個に返されている 水俣と緒方正人さん

読書 生きづらさ

水俣の漁師、緒方正人さんと哲学者の廣瀬純さんの対談「絶望が個に返されている」を読んだ。

 

緒方正人さんは、水俣病で父親を失い、自身も水俣病になるなかで、国や公害企業と裁判闘争していたが、ある時点で自ら認定患者であることを取り下げて、個人として、チッソの前にいって一人でむしろをひいて、そこを通り過ぎる人と対話したり、てづくりの舟で熊本から東京までいくといった活動をされるようになった。

 

緒方『水俣病の認定で、みんなが、金に目が向いていく。「あなたたち患者には損害賠償を要求する権利がある」と言われる。それは、人間であることを置き去りにして、水俣病患者の認定を権力や加害者、毒をくわせた側に求めるわけで、それが貨幣価値をもってしまう。人間であることよりも、水俣病患者の認定という概念が上位にきてしまう。だけど、苦しんで亡くなった人たちの中に「俺は水俣病患者だ」と主張して死んだ人がどれだけいるのか。「俺は人間だ」と叫んでみんな死んでいったのではないかと強く疑問に思うようになって、水俣病闘争のスタイルだけでなく、制度社会というか、それまでの価値観を全部否定してしまったんです』「絶望が個に返されている」

 

昔は、裁判所なんて行ったことない恐ろしい世界。政治家も自分たちとは違う、言葉の通じない世界だと思ってましたよ。それが、向こうからすり寄ってくる。ただ、そういう制度社会自体がもう壊れてきている。崩壊前夜というか、その時に一人ひとりが絶望を認識するんで、私は絶望が個に返されている時代だと思いますよ。政党政治労働組合にも不信感が強くなっている。組織運動も衰退の限り。逆のいい方をすると、個に返されているんだろうという気がします。「絶望が個に返されている」

 

アカデミックな世界の人でない人が、近代というものを個として引き受け、それをこえた深い思想をもっていることと、水俣という場所がその受難を通して原発事故以後の時代の方向性を模索するにあたって重要な示唆をもつものとして再注目されていることには、勇気づけられる。

 

水俣に関心を持ったのは、10年ほど前だった。当時は亀岡の竹炭クラブというところに時々行っていて、その時に水俣に面白い人がいるので機会があればぜひ行ってほしいと言われた。その方は、沢畑亨さんという方で愛林館という農業や林業を体験できる施設の館長だった。夏休みの時期には、働くアウトドアという名の催しをされていて、そこでは山の下草刈りを手伝うかわりに、ご飯と宿が無料で提供される。WWOOFという泊まり込みで農作業の手伝いをする仕組みがあるけれど、それの林業版といった感じだった。

 

3日ぐらいいただろうか。作業の合間に、川や森の蛍を見に連れていってくれたりした。そこで水俣病関連の施設や場所にも連れていってもらった。行政がつくった施設だけでなく、市民が有志でつくった施設にも連れていってもらった。当時、工場の排水口には漁師が舟をつないでいたという。その理由は、舟底に虫がつかないからだったとか。リアルさが体に残った。

 

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京都に帰り、水俣病になった人たちの語りが載っている本を読んだ。そこに緒方さんの語りがあった。緒方さんは、国や加害企業チッソと闘い続けていたが、自分の暮らしをみたとき、そこはチッソがつくったものに囲まれていた。チッソは自分だった。錯乱状態になった。何もかも信じられなくなり、突き放されていたとき、そこにただ不知火海があった、といったような語りだったと思う。

栗原 彬編『証言 水俣病』

 

緒方さんに関心をもち、『常世の舟を漕ぎて』を読んだ。『スロー・イズ・ビューティフル』の著者辻信一さんが、緒方さんのインタビューをまとめたものだ。僕が大きく影響を受けた本というならこの本だ。本はほとんど持たないけれど『常世の舟を漕ぎて』は2冊もっている。緒方さんのライフヒストリーでもある。緒方さんは突き抜けている。絶版だけれど、図書館のものなど機会があれば読んでほしい本だ。

 

罪は普通、否定的なものとしてしか見られていないでしょう。でも俺はもっと肯定的に、我々の誰もが背負っているし、またこれからも背負っていくものだと思っている。責任がとれるという幻想から自由に、いわば責任がとれないという現実に向き合って生きる。罪に向き合って生きる。責任がとれないということの痛みにうたれて生きる。『常世の舟を漕ぎて』

 

狂って以来、俺、自分のことを泥棒と思ってるんです。イヲ(注・イヲ=魚)をとる泥棒。以前はれっきとした「漁業」と思っていたばってんが。社会という枠の内では漁業でいいんだけど、その外に出ると泥棒。いっぺんこの枠自体を疑ってみる必要がある。枠をとっぱらったところでは、みんな多かれ少なかれ泥棒じゃないですか。スーパーで買えばそれで合法、と言ってすむ問題じゃない。スーパーなんていうなれば、泥棒たちの分配センターで、銭はそこの通行証みたいなものでしょ。我々はそこから持ちきれないくらい、冷蔵庫に入りきらず腐らすくらい、いっぱいものをさげてきて、涼しい顔で金は払いました、と言ってる。 『常世の舟を漕ぎて』

 

自分が多数者になろうということは考えていない。むしろ、多数者になったら終わりだと思ってます。俺がやりたいことは、魂の命脈を楽しくしていくこと。今の我々の世は、システムが肥大化してどうしようもなくなっているでしょ。しかしそういう中にあって、例え夫婦たったふたりきりでも、それに抵抗する火種が残っているんだよと示していきたいんです。俺は爆発のための火種でいいんです。爆発の条件まで自分でつくろうとは思わない爆発するときにはほっといてもするんだから。『常世の舟を漕ぎて』

 

べてるの家の言葉もそうだけれど、緒方さんもいわゆる常識的な捉え方とは反対のことを言う。絶望しないことが大事なのではなく、絶望が足りないために、むしろ人が世界に対して向き合えなかったり、足場をもてないのではといったような考え方とか。

 

べてるの家 - Wikipedia

 

絶望の縁にとどまる時、だからこそ動かずにはおられない。童話で一度履いてしまえば、踊り続けなければならない靴があったのを連想した。最悪な状況であると同時に真っ直ぐに救いのために動くことができる圧を受けとる。

 

国や公害企業チッソに向けていた憎い気持ちがある時反転して自分に向かってきて、分裂病状態のような体験「狂い」を経た後は、こちらの世界に遊びにきているような、感覚になっているという。昔NHKでやっていた伊達政宗の最終回のセリフで「この世には客人としてきているつもりで」というのがあったけれどそれを地でいく感じだろうか。

 

世間や人から自分が離れていて現実感や実感がもてない状態というのは、大抵は病的なものとされていて、本人もそれで生きづらさを感じている場合が多いのだけれど、精神的な健康さのが到達するところとしての客人のような感覚、遊びにきているような感覚というものがあるのだろう。

 

出町柳餃子の王将で「困っても困らない」と言葉がはってあって印象に残っていたけれど、べてるの家の向谷地さんもいうように、精神的な自立とはむしろ、現実の状況が何であれ自分が不幸にされてしまわない、現実との対峙の仕方なのだろうと思う。

 

ドラゴンボールで、人造人間によって人間が絶滅させられようとしている未来からブルマの息子のトランクスがやってきたとき。ドラゴンボールの世界では時間の世界はパラレルなので、ドラえもんやバックトゥザフューチャーのように、過去を変えれば未来が自動的に変化するということはおこらず、こちらの過去の世界が変わってもあちらの未来まで変わらない。

 

しかし、ブルマは、やられっぱなしじゃ悔しいじゃない、といった感じのセリフでトランクスを送り出してきたと思う。マンガではトランクスの話しのなかで出てきただけだったような気がするけれど、その一言のなかに、昔と変わらない向こうっ気の強さや、世界が滅びることを受けとめながらそれを見とどけ、救いを自らつくっていくような人になっていることが凝縮して表れているようで好きなセリフだ。

 

※「絶望が個に返されている」は以前はネットで公開されていたものなのだが、今は読めなくなっている。『絶望論』という書籍に収められているようだ。


革命の不可能性から逃げるために。『絶望論』:Book News|ブックニュース

 


緒方正人『常世の舟を漕ぎて‥‥水俣病私史‥‥』 - カイロじじいのまゃみゅむゅめも

 

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