降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

希望という言葉

 

森絵都さん、『カラフル』以来だった。こんなテーマも扱われていたんだなと思う。そのときから人間の欺瞞の先にあるものを探されていたのではないかと思う。牛たちの姿は、社会が人間をどのように扱い、踏みにじっているかの実相。牛は、人間の姿。

 

「生きる意味がない」の「意味」は、甲斐ということかなと思う。生きる甲斐がない。見合うものがない。コストパフォーマンスが悪く、マイナスになる。日々ただ生きるだけでは、マイナスなのだろう。大きなものを未来にかけて、それだけが生きる意味、よすがになっていて、それを失うときはそうなんだろうな。

でも救わされなさというのは、強烈な意味や甲斐でマヒさせられているときにも存在している。その救われなさへの向き合いは、往々にして不遇な事故、受難によってはじまる。「希望」という言葉を、もう再びマヒさせるための薬として使ってはならないと思う。救いは、弔いをはじめることによってあらわれてくる。

生きづらい人に伝えたいと思うのは、その身をはった生きづらさ自体が社会の歪みへの反逆であるということ。だからその生きづらさに対して、硬直した社会が否定的なのは当然なのだ。だからもし自分として生き残るなら、反逆者として新しい価値を創造する必要がある。何の保証もなく、世間からの応援もないけれど、間隙を縫い、潜在する仲間に出会い、成り立たせていく。

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電脳マヴォのカウガールでは、奴隷として働く人が牛として描かれる。

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