降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

居場所をつくる

第一回左京区まちの居場所塾に参加。
行政の考える居場所ってなんだろうと当初やや半信半疑だったのだけれど、場所をつくっていきたいと考える友人も参加するとのことだったので、一緒に考えられるならいいと思って月1回ペースの7回の講座に通しで参加することにした。自分の考えたいテーマについて誰かと話すことは、いつも飢えがあって本当に毎日でも話せるけれど、そういう変わった人はあまりいない。話しは、それを追求したい動機が高い人ほど話せる。一方的に話しても空しいし、アイデアがそもそも出てこない。話しの成立は相手が持っている熱に依存する。一方で、何かのテーマを追求しないのだけれど、聞いてるだけで満足する場合もある。こちらは、考えの材料をくれる人なので、とにかくのびのびと話してもらうのが嬉しい。

 

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ともあれ、参加してみて驚いたのは、担当しているスタッフがやる気で最初の挨拶とかも自分の思いをもてあまして話しにつまったりしていたところ。そんなに気持ちをもっているんだなと思った。

 

講座への一つの懸念は、居場所というのとても限定的に考えているんじゃないだろうかということだった。ある場所にある店舗やフリースペースみたいなのが居場所だという想定に凝り固まってないだろうか? 居場所というのは、人と人の関わりのありようによって生まれるもので、即、物理的な場所だと限定するのは問題がある。

 

ある場所は、どんな工夫をしてもある層にとって居場所になるけれど、他の層の人にとっては居場所にならない。そこにはそこの個性があり、その個性によって長所があり、限界がある。限界性の認識は重要だと思う。万人を想定してつくると、誰にとっても平坦で魅力もないところが出来上がってしまう。そういうものを作ろうとしていないか不安だった。

 

コンビニの前、病院の待ち合い所、予備校の喫煙所とか「ここは居場所です!」とアピールされていないのも、ある場所が居場所として成立する要素になる。あんまり余計なことを意識しないでいられることも重要な要素だと思う。切実さの水準によっても違うけれど。

そういうこともあって、僕は居場所というのは、副次的、派生的な位置づけと考えるほうが程よいのではないかと考えている。真っ直ぐに第一目標で「居場所」をメインにつくるというよりは、主となる活動があってその副産物として居場所が生まれる、あるいは意図して作るにしても、主となる活動の脇に作るというぐらいに距離をとるのがいいんじゃないかと。

 

あと、ぶっちゃけたところで、結局自分がやりたいことしか継続できないと思う。エネルギーがそれによって得られることしかできない。だから主となる活動は、自分がやりたいことをやる。活動によって、自分が救われていくようなことを軸にする。

 

まずは自分がすっきり納得しているということが、人に対する礼儀ぐらいに考えていいのではと思う。人のためにやっていたら、不本意だったり、上手くいかなくなると人のせいにする。言わなくても何かを恨む。自分も調子悪くなる。黙ってても怒ってたら周りの人には伝わる。一方、自分のやりたいことをさせてもらうという時は、既に感謝、喜びが生まれている。人に譲歩する余裕があり、人の「わがまま」を自分のわがままと水平にみる距離感をもっている。

 

人のためにやっているといっても、やっぱり自分を救うためにやっている。なので、そこは感謝して、勇気をもって、やりたいことをやらせてもらうのがいい。だから僕にとって、居場所づくりというのは、主たる活動をつくることになる。

 

ある人は、どんな人に役立つことができるだろうか。特殊な能力があれば万人に役に立つかもしれない。けれど、そうでなくてもこの自分が、人に役立つこととはなんだろうか。僕は、自分に近い人に役立てると思う。どんな人も自分に近い人がいる。自分が自分を救うために、この世界にまだないものをつくりだす。その時に、自分と近い人たち、自分の周りにいる人たちを力づけることができる。

 

それぞれの場所で、自らを救うために人のせいにせずに何かを創造する。そのことによって、多様性は担保され、多くの人にそれぞれの居場所が生まれるだろう。

 

講座の第一回のゲストは、京都でそれぞれの活動を展開しはじめた二人の方だった。「このゆびとまれ」(←富山の同名の事業所ではない。)というコミュニティカフェを始めた方と、舞鶴で一般法人「ほっこり」をつくられた方。特に後者の方は、自分のお子さんが障害をもっていたということもあって、何がいい感じで、何があまりいい感じじゃないのかという感性が確立されている。表情は明るく、みるからにいい感じ。宇治のゆめハウスさんという団体の主宰をされている方もこんな感じだった。既存の理論をこえた感性が確立されていて、その感性は時代を先駆けている。現実を吟味し尽くしてきて、そのうえでぱっと晴れた表情をされている。

 

講座に来ている人たちは、予想以上に面白い人たちだった。第7回までそれぞれ講師がいるけれども、多分講師の話しをきくよりも、十分に参加者同士の情報ややりたいことを共有するほうが、事がおこるだろうと思った。私見だけれど、講師の話しの時間配分の割合は、50%未満にしたらいいと思う。何でこの場所に来ているのかということをお互いに知り、話すほうが実際にはそれぞれの進展に役に立つだろう。

 

ということで、講座時間外にこの指とまれで呼びかけて、ゼミみたいなグループをつくろうと思う。

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