降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

変化と自意識の関与 楽器が弾けるようになるということ

作曲家の野村誠さんや京都新聞岡本晃明さんたちが東日本震災を受けて避難してきた人の情報共有の意味も含めて京都ではじまったインフォーマルな食事会、続いている。昨日は野村さんの誕生日の前日ということもあり、サプライズの小さなお祝いも用意されていた。


年男ということで次の回り年や、12年前はどういうときだったかという話しに。僕はちょうど12年前ぐらいに野村さんの参加するワークショップフォーラムに参加した。ワークショップという括りにおいてビジネス系やらアート系やら様々な分野で活躍している人たちが10人ぐらい集まった催しだった。参加者は実際にワークショップを体験しながら学ぶというスタイル。


僕のワークショップ観(というか場への見方というか)は、このフォーラムでの野村さんのあり方をみたことに大きく影響を受けている。野村さんの組は自分のワークショップの時間は穴を掘っていた。僕は別の組に属していたので、ちらっとしか見なかったが、何か空気感というか、時間の流れの質が違う感じがした。たとえるならそこの空気には酵母が殺菌されず生きているような。その酵母は息をする人間の体にも入ってきて、場はある意味、酵母の求めに応えようとするような、そしてそれが人間にもいいような感じ。

 

ワークショップという「型」が先にありきの場だと、こういう酵母はさっさと殺菌されてしまう。狙いがあってそれを体験させて学「ばせる」ような、人間を動くハードディスクか何かのように扱って、望ましい行動様式をインストールしようとしているところでは。

 

フォーラムでは、ワークショップ後、各組に別れた組の参加者がその組のファシリテーターとは離れて、参加者だけの「ふりかえり」をするよう求められた。その時野村さんは、当時の僕には「のんびりした」感じの声で、うーん、それはどうかなあ、一緒にやった人が分かれてやるってどうなんだろう、ふりかえりって感じでもないし、そういうのは僕はしたくないなあという感じのことを司会者に言った。

 

野村さんはこの時だけでなく、時々、おかしいと思ったことは進行の途中でも、その場でファシリテーターに伝えるということをされていた。野村さんの話しを聞くと、それまでこれはこういうものかとさらっと流せていたようなことのなかに、自分も実は違和感があったなということを気づかされたり、その指摘が真っ当で鮮やかだった。

僕はプログラムされた企画内容より、その野村さんのあり方に学びを得たと思う。野村さんにとって、ワークショップの最中も会場に一同を集めて司会進行しているときも、そこでおこることの重要性、自分がどのようにあるかは全く変わらないのではないだろうかと思った。

 

個々別々の企画内容ではなく、このワークショップフォーラム全体が、言わば一つのワークショップの場であって、企画者すら知らない何かの自律的プロセスが展開していく場であり、そこでは進行のために黙っておくとか、自分の感じは脇においてとか、そういうことがむしろ会の趣旨を駄目にしてしまうのではないか。発酵に必要な熱をいったん提供して、次は別のことやりますからみたいな、生まれてきた熱をうっちゃってしまうようなことは本末転倒だと思う。

 

その後何年もたち、何でもない一参加者の自分が、野村さんとまたであって、しかも講師と参加者みたいなことでもなく、フラットな立場で話しができたりすると思わなかったし、当時の感覚から見ると何か現実感がない。何となく、なぜか、そうなっている。

 

昨日は、野村さんにどう思うか聞いてみた。たとえば、力をもたない少数者が多数者の社会を塗り替えてしまうということはもしかしたらできないんじゃないか、恒久的な平和であれ何であれ、強いものの理屈でできる社会を全体として変えることはできないんじゃないかと。

 

少数者が逆転して力を持つことはある。しかしそれはやはり別の強いものができたというだけで、全体としての社会が強いものが強いものであり続けるための仕組みになることは、変わりがないのではないか、とか。

 

野村さんは500人が楽器をもち、統制者をいれるということがどういうことか、そしてそれに対してあるいは個々がバラバラに演奏するとき、たとえば別の大きな音を出す楽器にウクレレは打ち消されてしまうだろう、しかし同時に、ウクレレの小さな音が、聞こえるようなことがあればそこに可能性はあるかもしれない、と言われたように記憶している。

 

打ち消されるウクレレが、しかしその騒音のなかで誰かに届くということは、どういうことだろうか。どうやったらそういうことがおこるだろうか。

 

そしてそこと直接関係するかはわからないけれどと前置きして、野村さんは楽器を弾けるようになるということについて、お知り合いの演奏者から聞いた話しをシェアしてくれた。

 

楽器というのは、明日の本番に対して今日練習したからといって効果が出るわけではない。今日の練習が効くのはは3年後とかそういう感じではないかと。できないことはなかなかできない。でも、練習を続けていると、思うように出来なくても、ちょっとそのマネのようなことはできるようになったり、少し今までできなかったことができるようにはなっていく。そしてあるとき、できるようになっている。

 

野村さんの話しを聞いている感じでは、なぜ、できるようになったのかははっきりと自覚を伴うようなものでもなさそうだった。練習を続けていくなかで、ふと、何となく、そういう状態になっている、みたいな感じだった。

 

「諦める」というときには、その背景に大きな期待があると思った。その期待を満たすことはできないだろうという理由で、続けることをやめるのだろう。将来との取り引きとして、続けることをやめるのだ。その一方で、楽器を演奏するそのこと自体への喜び、快楽の存在というところに話しの焦点があたった。それがあるから続けられる。ただやるだけでも快楽があることがベースで、それに加えて少しだけこうやってみたいとか、こうなってみたいとかがあるときに続けられる。

 

それは「成果」を求めているようで、求めてないような感じだなと思った。少なくとも自意識は直接「成果」をコントロールできないし、直接にコントロールできると考えるときには、期待による多大な心理的負担が生まれてくるのではないか。自意識的には「成果」を絶対確実に得ることを放棄していることが、持続すること、結果として「成果」を得ることに貢献している。「成果」がなくとも働きかけ続ける営為を成り立たせるためには、楽器を演奏することそれ自体に快楽があることが重要だということなのだろう。

 

直接に「成果」を得ようとするときには、未来との距離に生きている。だが、今の快楽に根ざして続けるときは、未来や成果は派生としてある。直接のコントロールではなく、変化を派生として位置づけるということは、教育や心理医療など他の分野にも通じることだろうと思う。

 

子どもが、良寛の住まいに来て名前を呼んで良寛が出たら隠れてしまういたずらを繰り返していたという話しを読んだ。良寛は何度やられてもそのたびに表に出るという。良寛は何も覚えないのか。あるいは、おこることに対して、過去を紐付けず、心と記憶の粘着を切るあり方、過去から未来へ一貫して存在する「私」という仮想現実を消失させた反映としてそのようなことはおこっているのかとふと思う。

 

「続ける」という言葉にはぎりぎりした締め付けるような縛りがある。来るか来ないかわからない未来を前提しているからだ。未来というものがたぶんくるだろうけれども、それは「虚」であるととらえてみる。

 

「虚」と「実」は互いに依存したり、反転しあって存在する。最近はこの捉え方が心をうまく説明するような気がする。「お金より大事なものはない」というとき、それは間違いだというよりも、それはある仮定における「実」を表現したものだと思う。と同時にその仮定が「虚」だ。お金より大事なものがなければ何とも交換できないし、インフレとかおこれば意味がなくなる。あくまでその力は、社会が明日も同じであるという「虚」の前提を持たなければ「実」は「実」たり得ない。

 

全てを捨てて生きるのが「実」だ、調和と自然のもとに生きるのが「実」だというのも、想像以上の気候変動とか宇宙から隕石ふってくるとか、究極的には何がどうなるかわからないこの世界において、生き方というものに正しさがあるのかという視点からみれば、こちらも自分が想定した同じ状態が繰り返す限り、という「虚」の前提が必要だ。

 

ともあれ、未来を仮定して生きる「虚」と今しかないという「実」(これ自体も「虚」の仮定だけれど)という視点からみれば、「虚」のために心は犠牲になる。心は今にしかないから。

 

一方で、現実的に生活を成り立たせるのが「実」で、その場限りものというのは責任放棄であり、「虚」なのだというのが、この社会の理屈だ。とてもリアリティをもって迫ってくるし、その仮定を前提するならば妥当なのだけれど、それが「虚」であるという自覚がないから、際限のない強迫が生まれてきて、それによって心が疎外される。生きていくことを豊かにしようとして、生きていることを苦しくしていく。

 

野村さんは相撲にも深い関心を持っていて、一ノ矢さんという元力士の話しを時々される。一ノ矢さんは、大学卒業後小さな体にも関わらず、相撲界に入り、47歳まで現役をつとめられた。最高位は東三段目ということで、世間的一般的には相撲で花ひらいたとは言い難いらしいけれど、その年令、現役最年長まで取り続けられたのは、それが世間に評価されるものではないかもしれないが、常人にはなかなかない何かを持っていたということなのだと思われる。そうでなければ、辛くてそうそうに辞められたことだろう。40歳をこえてもどう体を使うのか、使えるのかを追究していて、年をとるのが楽しみだとさえ言われていたそうだ。今、その追究は書籍となって出版されている。

 

向き合っていたものが、自分のなかの自律性であるとき、何かが学び続けられ、変わりつづけている。このとき、社会でいう「虚」を軸に自分は生きているのだろう。だがその「虚」が「実」だ。これをやったらこれを得られるというギブアンドテイクで生きると心は自律性を失い、疲弊していく。心の状態は社会でいう「虚」に生きていけるようにするけれど、同時にその「虚」は社会でいう「実」に依存している。相撲の世界がこの社会で成り立ってなければそもそも「虚」の追究もできなかった。だから結局は「実」だろうとそちらに走ると苦しくなる。「虚」は「実」に依存しているが、「実」は「虚」としての心を生かし、解放するためにある。

 

目覚ましい「成果」を期待せず、今にあり、世界が変わる前から、今のなかに充実をつくりだす。明日の世界はイメージしていても、今の世界の整えを淡々とやる。そのことが実際に何を生んでいくのかは自意識は知らない。結果は自意識がコントロールできることではない。それを体が理解する時、解放が訪れる。ただ心にとってほどよい整えの結果が変化と呼べる変化、500の騒音のなかでウクレレが届くようなことがおこるのかもしれない。

 

 

音楽の未来を作曲する

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