竹内レッスンと野口体操があわさった「からだとことばのレッスン」2回目の参加。首の後ろとか、後頭部とか、頭頂とか、それぞれの部位を共鳴させて声を出してみる。声を出すのはとても力がいってしんどい、という感覚を持っていたけれど、共鳴を使うと力はいらない。短い時間で学べるところが多かった。
不思議だったのは、一緒にいた人たちも声を出したあと元気になったところ。連日の移動とかで疲れていた人も元気になっていた。
なぜなのかわからないが、和太鼓の響きを連想していて、いい響き、健康な音というのはそれ自体で不健康だったり、滞留しているものをとばすのかなと思ったり。
気功とかやっていないけれど、気(持ち)の通りということが気になる。割りと何をやっても気が「通った」感じがしないので気持ち悪い。いい意味で抜けていくというか、発散していくというか。気持ちいい発散とかあまりない。どこかでやっぱり詰まっているというか、自分に戻ってくるというか、出ていかない。
声のワークのとき、色んな感じで共鳴させて声を出したのだけれど、気の通りがよくなった感じがした。吐いた息が戻ってくる感じじゃなくて、出て抜けていくような感じ。こもった熱が発散されていくような感じ。
抜けていけばそれだけで気の通りがよくなって元気になる。というか、その状態がむしろ本来なのだろうか? ともあれ、周りの人の元気も、カンフル剤打つような元気ではなくて、滞りがとれて、通りがよくなった状態の元気のような感じがした。
出す声で意識状態が変わる。いい音が出る状態でしばらく声を共鳴させるとそのいい状態に意識もセッティングされるかのようだ。
障害があったりして、よく奇声を出す人もいるけれど、奇声も響かせるところをちょっと変わったところにして、気を通らせているんじゃないかと思ったりした。体の調整弁的な働き。たまったものが出る時にそういう突発的な感じになるとか。もし意識的に歌ったり、音出したりしていけば、奇声にならなくても気が通るようになるんじゃないかとか。
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