降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

周辺視野のリアリティ

以前にこういう体験をした。 夜勤帰りにネットカフェに寄り、マンガを読んでいたが寝落ちした。目が覚めたとき、ここがどこであるか、なぜ自分がここにいるのかもわからない状態が少しの間続いた。 目の前の光景と記憶がつながらない。やがてそれがだんだん…

エッツ『わたしとあそんで』 話の場と探究すること

自分が呼びかける側のときの話の場は「自分にとって必要な感覚やプロセスが動く」ことと「場にいるほかの人のプロセスが動く」ことが重なるように枠組みをきめています。 そのようにすると、早々に疲れたり、または場で何をやっているのかがわからなくなって…

「当事者研究」批判と自分が「当事者研究の会」をしていたことについて

4年前から2年間ほど「当事者研究」の会を主催していました。今回その時に参加していたメンバーからその責任と自分の言動について指摘を受けました。当時、べてるの家や「当事者研究」についてはその価値を多くの人に知ってもらいたいと思っており、ブログ…

カッコウと人間 存在としての加害性と簒奪性

先日の投稿でフェミニズムの歴史で繰り返されていたマジョリティによる運動の簒奪と「当事者研究」の問題点および今後おこりうるだろう展開を重ねた。 運動を多数派側や力を持つ側のものに変質させていくことは、もちろん意図的なものもあるだろうが、全く無…

ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの』 フェミニズムの歴史に感じる「当事者研究」の既視感

ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの』。1、2章あたりからもう既視感にみちている。現社会環境のシステムそのものが変わらなければならないとするマイノリティのラディカルな立場は、部分的な改良で良しとする白人中産階級などマイノリティ内マジ…

「時間」について 整体の稽古と2/13トークイベント「コロナ禍を歩く」から 

整体の稽古とトークイベント「コロナ禍で歩く」から「時間」について考える。 peraichi.com 野口整体では息というときにさすものは単に肺呼吸のことではなくて、いわば体にいきわたる「時間」の流れのことであるようにも受けとれた。 冷たい水をわざとちびち…

「負」を受けいれるために 「内面」の問題化から構造の問題化へ

心はなかなかに負を受け入れられない。負を内面において受け入れることは、社会的に謝罪することだったり、罰を引き受けること、公的な場において自分の振る舞いを統制することとはまた別のことだ。根本的な問題の改善には社会的な「責任」の全うと内面にお…

個人の変容と社会環境の更新は同時的ではないのか

話しあいの場があり、あらためて考えたことを。 個人の内面が変わっても社会の仕組みが変わらなければ何も変わらないのではという意見がでる。あるグループや組織のなかで、マイノリティの占める割合を多めに固定するといったような海外のアファーマティブ・…

意味と無意味

SNSで下記のブログが紹介されていた。siusiu.hatenablog.jp 筆者は「天国のゲーム」の条件として「忙しさを感じること」と「受動的であること」を挙げている。 「天国のゲーム」には条件があります。 それはプレイ中に「忙しさを感じること」。忙しいときは…

「見捨てられた」個々人ができること

テレメンタリー「私がやらない限り〜性暴力を止める〜」の感想を『「観客席」から降りて』ブログに寄稿させてもらいました。 pirosmanihanaco.hatenablog.com ドキュメンタリー番組 テレメンタリー2020【土曜放送】 - 本編 - 私がやらない限り〜性暴力を止め…

オンライン読書会 パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』を終えて

パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』のオンライン読書会が一段落する。 自分自身は里見実さんを通してフレイレに出会った。まず感じたことはフレイレの言っていることが現在の社会の状況にそのままあてはまること、そして現状を変えていくために環境を分析…

言葉を求めて 歩録:Exhibition/Performance

12時に古書店カライモブックス さんでのチラシづくりワーキンググループが終わり、帰途につく。何か食べていこうと思い、ソーシャルキッチンへ。烏丸通ではマラソンが行われていて人が多い。人と人の間を自転車で抜けていく。ソーシャルキッチンはもしかし…

12/13(日)ワーキンググループを終えて 罪 主体 マジョリティ WGの枠組み

今回のワーキンググループでは、今までネット上での発言を読むだけだった方たちとオンラインでお会いし、テレメンタリー「わたしがやらない限り」の視聴を媒介にお話しをする。医療や福祉、組織におけるハラスメント対策などそれぞれの現場からのお話しから…

気づかない絶望 社会と個人の乖離

新しい問題がおこれば新しい専門家がそれにあたるというかたちで、専門家制度が整えられ、より万全になっていくことで社会の問題は解決していくのでしょうか。 専門家には専門家ならではのできることがあると思います。しかし、だからといって専門家でない人…

ワーキンググループについて 無香料日用品の簡易チラシづくりを事例にしながら

少人数で集まり、学びを趣旨にして自分にとって必要なことをする作業グループをワーキンググループと勝手によぶことにしました。 学びは余裕がある人や勉強好きな人がやるものだと思われているむきもあると思いますが、ここでは学びを自分が既に知っている世…

べてぶくろ性暴力問題 信田さよ子さんの応答と被害当事者からのメッセージ

べてるの家の関連施設、べてぶくろでおこった性暴力は、地域住民との関係性の悪化などを理由に公にすることをべてぶくろによって止められてしまいました。行き場のない状態に追い込まれた被害者に対してべてぶくろからは「当事者研究」をすることがすすめら…

11/28ワーキンググループのあとに考えたこと

世間が当事者に発言の資格を認めるのは、当事者が痛みを持っているからだと思う。たとえ傍観者となっている人でさえ、痛みが発露されるその瞬間には釘づけとなり一体となってそこに没入してしまう。それは自身が自身から乖離させた痛みをその人が自分の代わ…

11/20ワーキンググループをふりかえる

今日行われたワーキンググループで考えたこと。 1 べてぶくろ、近代、社会運動内部において繰り返される人権侵害、当事者からの経験の簒奪などについて → 浦河べてるの家の存在から自分自身は多くを得た。しかし性暴力被害の隠蔽に当事者研究を使い、被害当…

11/8 リードイン 感想

リードイン。 リードインは鶴見俊輔がやっていたとされる集まりで、他者の言葉と自分の言葉を持ち寄って場にシェアするもの。(しかし実際の場に出たことがないので、決まったかたちを知らず、色々実験的にやり方を微調整しながらやっている。) 今回は自分…

南区DIY読書会 『環境と対話 地域と当事者を繋ぐ試み vol.2』 発表原稿

10/12(月) 南区DIY読書会 発表:「環境と対話」研究会編 『環境と対話 地域と当事者を繋ぐ試み vol.2』 前置き:「環境と対話」研究会は『性暴力と修復的司法』の著者である小松原織香さんが主催する研究会。研究会は関東と関西で行われていて僕は関西で行…

香害と脱うさぎ化 非人間化された状況を人間化していくこと、文化をとりもどしていくこと

カライモブックスさんで香害について話す。自分も行き違う人や隣家からのシャンプーのにおいもきつく軽い頭痛がでる。一方で他の人がきついと思うファブリーズとかのニオイ消しの香料や整髪料はまだ気にならない。男性のニオイ消しはCMで異性に嫌われると煽…

尊重は相手のためか 学びの疎外と文化の不在

読書会や話の場で思うこと。 人権や尊重という言葉はあっても中身は空洞化されている。人権とは何か、尊重とは何かはなんとなくのニュアンス以上に知る必要もないと認識されているに等しいだろう。かたちだけの言葉はむしろ実態を後退させ、現状を変えないも…

「理解できる/できない」「愛せる/愛せない」 心理主義をやめることと尊重

自分が持っている「価値観」は自分のものだろうか。理性的な判断と吟味のうえでできあがった妥当なものであり、正当なものであるだろうか。 パウロ・フレイレは現社会において支配的な人たちの価値観を人々が内面化すると指摘している。強い者への憧れがあり…

マイクロアグレッションという陵辱

無自覚な差別意識の吐露についての話になる。本人は自分が差別意識を持っているとは思っていないが、受けたほうは屈辱の経験として記憶される。丸一俊介さんは、マイクロアグレッションとは「日常的な侮蔑や見下し」ととらえている。そしてその侮蔑や見下し…

パペットマン

明確な攻撃や差別発言ではないけれども、それを聞いたり見たりする人を消耗させていく言葉がある。 場において相対的に「弱い」人の立場に対して、自分はできる、やっている、(「望ましい」状態に)なっている、義務を果たしているというような「強い」価値…

錯覚の民主制のなかで

毎月、大家さんに家賃を渡しにいく日は、お互いの問題意識を話す機会にもなっている。 今日は宮城県大崎市の市民条例(大崎市話し合う協働のまちづくり条例)の話しを聞かせてもらった。大崎市の行政は、よくある他の地域の行政とは違い、積極的に主役を降り…

現秩序への反逆としての人権概念

福祉や教育、人権啓発系などの団体が内部では人権侵害している話しがよく聞かれる。企業や大学などのハラスメント委員会や相談機関みたいなものが、実態としては被害者の人権を守るよりももみ消し機能として設置されている話しもまた。 日本には「みんなの迷…

認識の変遷 「場づくり」から「結果的な接点づくり」へ 

大学時代、四国八十八ケ所めぐりをやってみて思ったことは、人は適切な環境とそれを生かす媒体(まるごとの存在が保証されながら同時に固まってしまった自分が揺り動かされる状況が併存するような。)があれば、そこで自律的に変化や回復をしていくというこ…

当事者研究ネットワークに求めたいこと 「当事者研究の悪用」への向き合いを

被害者の告発によって、閉じたコミュニティ内では、主催者やスタッフのような、より強い立場にあるものによって、当事者研究が場でおこった問題を被害者当人の責任に転換し、もみ消すために悪用されうることが明らかになった。 note.com ここでおこっている…

6/26『被抑圧者の教育学』読書会ふりかえり

出てきた話題 ・「被抑圧者と共にあることはそれ自体がラディカルであり、中途半端な姿勢では許されない」ということがどういうことだろうか。 →社会から搾取される少女たちの支援をしている一般社団法人Colaboの仁藤夢乃さんの講演を思いだす。仁藤さんは教…