里見実『「被抑圧者の教育学」を読む』
里見実の『「被抑圧者の教育学」を読む』も今回で最終回。矢原隆行さんの『リフレクティング』も少し引用した。参加者8名。 <発表レジメ>◆はじめに DIYの意義は、特定の分野に閉じることではなく、生活などを含め、生きることまるごとを自律的に自分(た…
フレイレは、対話を単に相互変容、相互更新をおこすものとしてだけでなく、「真の言葉」に近づく手段であると考えている。「真の言葉」は世界を変革させる言葉であるという。 行動の欠落は空虚な言葉主義を招き、省察の欠落は盲目的な行動主義を招く。真正な…
南区DIY研究室読書会。 今回は、里見実『「被抑圧者の教育学」を読む』の第二章と山口純さんによる身体教育研究所の『白誌』の発表。 『「被抑圧者の人類学」を読む』も一章ずつ読むのだったら毎回発表できるし、読むのと考えるのがちょうどいい。自分たちで…
フレイレは被抑圧者は抑圧者を内在化させていると指摘する。昨日、人と話していて、マイノリティ、マジョリティという言葉より被抑圧者、抑圧者という言葉の方がその指すところがはっきりしているのでは、誰もがある時は被抑圧者でまたある時は抑圧者なのだ…
里見実『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』 遠い外国のことではなく、身の回りの社会にそのまま当てはまるようだ。旧支配層が温存された戦後の日本、男尊女卑、セクハラ、ネット右翼の思考パターン、ワタミ的経営者たち、歪んだ体制ではなく、声…
里見実さんが難解と言われるパウロ・フレイレの「被抑圧者の教育学」を解説してくれる本。序章からしてよかったので一部を転載。 対話とはおしゃべりではなく、自分が投げ込まれたこの世界について話しあうことなど、本質が掴まれている。僕は問題を個人の心…