降りていくブログ

生き残りながら回復していくために

報告 哲学カフェ 信頼から中動態へ

18日に哲学カフェをやりました。当初「友人とは」をテーマにしていたのですが、場の状況に合わせて友人に関わる「信頼」とは何かでやりました。人を信頼するという時の信頼とは具体的にどういうことなのか。自分を傷つけたり、危害を加えない状態が変わらず…

稽古のレポート3

自転車で転んだあばらも3週間ぐらいするとくしゃみしても痛くなくなった。 今回は座法と臥法(がほう)をやった。座り方と寝方。 ただ座ってはいけないのか、何をしようとしているのかと思っていたのだけれど、やってみて思ったのは意識状態が変わるなとい…

稽古のレポート2

身体教育研究所の稽古、3回目に行ってきました。 野口晴哉さんはいわゆる天才で、できるのが当たり前で説明できない。息子である裕之さんはどうしたら晴哉さんに近づけるのかという問いのもとに設定したのが、明治の人の体≒晴哉さんというものだったようです…

自意識とは何か 自意識からの自由

心理学科に入った頃は心の構造を理解すれば自分がわかるかと思っていたが、どうもそうではないようだった。無意識とは意識できないものであり、そこに直接のアプローチはできない。考えてどうこうなるものは意識できるところしかない。 自意識とは何かが状況…

充実の裏返しとしての根源的苦しみ 救い

先の投稿、一度に一通り書こうと思ったけれど、書けなかったところも多かったので補足。 自分が生きていくという時に、力が弱いように感じていた。社会に放り出されたところでまるで生きていける気はしなかった。根性も能力も何もないが、自分を動かすもの、…

これまでの経緯 このブログについて

このブログ、新しく読みはじめてくれる人もいるようなので、年に1度ぐらい、このブログで書いていることが何を問題にして、どこに焦点を持っているのかを書こうと思う。このブログを描き始めた三年ぐらい前と同じく、僕は週に1度か2度夜勤のバイトをしな…

自給ということ

昨日、畑にニンジンをまきに行った。だが通路の草が伸びていたので気になり、そちらを先に刈った。ニンジンをまかなければと思いながら、草結構あるな、やらねばと思って少し焦燥する心持ちになった。 その時ふと、自分の外部にある畑をやらなければいけない…

当事者研究のスタイル

自分たちでやっている当事者研究、ベースのスタイルは、大体以下のようになってきました。 流れとしては、 1.今日の気分・体調2.ここ2週間が自分にとってどういう2週間だったか(ふりかえり)3.自分の苦労とは何だろうか。(繰り返す苦労など)4.苦労に名…

稽古のレポート

身体教育研究所の稽古にいってきました。まず一つは身体イメージを実際に実感される内観的身体に構成し直すということをやっているようです。 身体イメージはいわゆる解剖学的な身体イメージです。通常はその後天的に目で見て取り入れたイメージをリアルだと…

過大な課題 「成長」から「培い」へ

イリイチとフレイレの対話の翻訳者の方と偶然お会いする。 その方はフレイレの著作の中で多用される「意識化」という言葉に抵抗を感じていって非言語や身体の方へ向かったそう。 確かに、西洋近代が拡張してきた資本主義社会の文脈において抑圧される側であ…

当事者研究の試み

4ヶ月ぐらい当事者研究の試みをしてみている。 当事者研究は、医療機関から診断名をつけられ、受動的に医療に従わなければいけない状態から、苦労と主体を自分のほうに取り戻すためのスタートとして、自分に自己病名をつける。 僕たちがやっている当事者研…

おふくろさん弁当講演会@mumokutekiホール

mumokutekiホールでのおふくろさん弁当の講演会。懇親会ではmumokutekiの経営陣の方たちも一参加者としてみんなに混ざっていたそう。講演会としておふくろさん弁当の活動が京都で紹介されることだけでなく、意志と方向性を持った人同士の出会い、といった印…

徳島の住民運動 姫野雅義さんの文章

90年代の徳島で、吉野川に人工の可動堰が作られる国の公共工事計画を市民が止めた。 国が一度決めた公共工事を市民が止めたのはこのときが初めてだったという。かつて長良川で同様の計画が実行され、川がヘドロのたまる場所になってしまったとき、大きな反…

本当に鳴ること 驚きと内なる世界像の更新

岩倉英数研究会をされている。瀧セージさんのお話しを聞きにいく。4人で行き、2時間充実した対話の時間になった。 エデュケーションは、なかのものを引き出す、というのが原義だということを紹介してもらった。決まった知識を個々の頭に貯金でもするように…

おとあそび工房ふりかえりの会

おとあそび工房のふりかえりの会に参加。準備するからだは後手後手にまわる、など砂連尾さんのお話しはやはり面白いなあと思う。メンバーのそれぞれのリアリティもかなり濃縮された知見で興味深い。 舞台にして観客にみせることと、自由さとか、パフォーマン…

「止めるを止める」=「動かす」 吃音についての話しの会で思ったこと

吃音についてのお話し会。止まるということについて話しを興味深く聴きながら色々と勝手な想像を巡らせる。 脳のある部分に障害がおこると、例えばメガネを目の前に提示されると自動的にかけてしまうときく。止められないということ。また歳をとって常時の手…

コミュニティを更新する仕組み

べてるの家発の集まりや当事者研究とも関わっている方がブログを見てコメントをくれ、やりとりをした。 場を単に人のコントロール下にあるものと考えず、どうあれば自律的な何かが浮かび上がってくるのかという視点を持っていて、何が「いい感じ」なのか、直…

緊張感

スマホにいれていたゲームが面白くなくなって削除した。 最後の方は義務的にやっていた。今までやっていた分の蓄積があるから勿体無いというのがあるので少し削除するのが延びただろうか。飽き飽きしてたのはそれまでもあったけど、もういいやとふとやってき…

魔女の宅急便を今頃 飛べなくなったキキ

友人が竹林で手製のほうきを作った記事へのコメントを見ていたらなぜキキが飛べなくなったのか気になってきた。ジブリの作品というのもあって、すぐに検索候補が表示されてくる。 matome.naver.jp 宮崎駿は、聞かれてもこれが理由だと答えていないようだ。確…

学びとコミュニティ

学びに適した環境とは、そこにいる人たちが防衛的にならずにすみ、自分の揺れ動きを安心して表明できる場だと思う。 こうしなければいけないとか、こう考えるべきだ、と強制されるところでは、変化へのプロセスはおきにくい。OSは更新されず、小手先のアプリ…

学び 自律的な現出

学びの環境を整えるという時、自分のあるべきイメージを達成するために自分は黒子になって、という発想はよろしくないと思っている。 むしろ自分の学びのプロセスを展開させるということをど真ん中に置いてやり、それが逸れて虚しくなったり世間を恨んだり人…

旅としての学び 能動という反逆

学びを将来のアウトプットのためのものと考えるなら、明日なき今を生きている人たちにとっては学びは縁遠いものになるだろう。 先のためではなく、今ここ自体を面白いものにするために入る状態がむしろ学びの核心ではないだろうか。獲得するものは、結果とし…

ハンセン病

岩倉の私塾、論楽社で主宰の虫賀さんにお話しを聞いたとき、ハンセン病の方との出会いが活動に与えた影響が大きかったとのことだった。 ハンセン病に関しては、もともと興味もあった。 ハンセン病ほど多くのことが奪われる病気があるだろうか。ハンセン病は…

生と死の転倒 喪失するアンデッド

変化は喪失であって危機であるので、それを乗り越えられるとは限らない。 気軽に変化を求められるのは、状況や状態を変えることによって、実のところは自分のいるところが変わらないで済むからであるかもしれない。 維持したいというのは、生きものの欲求の…

微妙な揺れ動き 

話しの場をどのようにやれるかを試行錯誤中。 今やっている当事者研究やリフレクティング・プロセスの集まりで、一つは自分に触れるということをしていると思う。 自分自身が確かめたい、もう一度見てみたいという動機があるもとで、ひっかかりが残っていた…

エスコーラ ベーシックインカム 新しい場所

エスコーラで聖なる経済学読書会。話しはベーシックインカムから瞑想までいって面白かった。 ベーシックインカムというのは問いなんだなと思った。 食いつなぐための労働をもししなくてよいのなら私は一体何をしたいのか。何をするのか。 それを空想上のもの…

聞かれるとき

昨日は聞くことについて話した。 あくまで僕の場合、別に危急の時とかでない場合だが、僕は聞かれるとき、基本、心理カウンセラーとか傾聴みたいに聞いてほしくない。話しづらいから。 相手にそうあられると、話す内容に対して、あらかじめベートーベンの「…

出会いの場

学びとは何か。どのようにそれはおこるのか。 考えていった結果、既に型が決定している勉強会のような企画の前に、かつての京大地塩寮のウィークエンドカフェ、高野の月曜ハナレのような、あるいはアサダワタルさんがやっていた琵琶湖の花火大会の時の住みび…

学びの前段階 手段と目的

学びを実際の変容が伴うものと考えるなら、直ちにインプットから始まるのではなく、まず変容可能な状態にする場の整えが必要なはずだ。 攻撃されそう、否定されそう、干渉されそうとか感じる場、自分はここにはそぐわないとひしひし感じる場では、まず自分と…

救いのベクトル

論楽社の虫賀宗博さんの話しを聞いたことがきっかけで、ハンセン病についての本を何冊か買った。 病者は家族を「守る」ために偽名を名乗らされたり、結婚の際の断種手術を強要されるなど人権や尊厳を奪われた。 本名を名乗ることで家族の縁談が反故になり、…