降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

ジャンル難民学会(仮)の活動を展開させるにあたって

思わぬ流れから、ジャンル難民学会(私の探究・研究相談室)を一般社団法人化しないかという提案をいただきました。

 

最終的に一般社団法人化するかどうかはひとまずおいて、この機会に去年から半年間、こじんまりやってきた活動をもう展開させてみようと思っています。これまで考えてきたことを盛り込める機会でもあると思い、挑戦してみます。

 

盛り込みたいと思っているのは、四国八十八か所めぐりをモデルとした、メタコミュニティを派生させる仕組みです。

 

まず四国八十八か所めぐりというのは何かから説明すると、四国八十八か所めぐり(四国遍路)とは、四国に点在する八十八か所の弘法大師ゆかりの寺(札所)をめぐる巡礼です。

 

そこで個々の寺は、八十八か所めぐりのために出来たのではなく、八十八か所めぐりがたとえなくても自立して存在しています。しかし、そこに八十八か所めぐりというコンセプトがあるために、そこにより多くの人が毎年訪れ、札所、そして札所と札所をつなぐ遍路道では札所以上に様々な出会いや交流が生まれます。

一つの寺を一つのコミュニティだと考えます。一つのコミュニティはある一定のまとまりをもち、閉じています。コミュニティは外部との循環や相互作用が弱くなると、だんだんと型が決まってきて、勢いも落ちていきます。

 

だいたいどんなコミュニティも、そんなに頻繁には他のコミュニティと付き合うということはないのかなと思います。しかし、八十八か所めぐりは、コミュニティとコミュニティとの間に絶え間ない人の移動があるので、常に状況が更新され、場が活性化しています。

 

たとえば、僕が住んでいる京都には、様々な学びの場(コミュニティ)があるけれども、個々のコミュニティはお互いをどれだけ知っているだろうか、実際はほとんど知らないのではないかと思って、去年やったのが「学びの場めぐり」という京都自由学校の企画です。

 

ユニークなことをされている学びの場を6か所ほどピックアップし、8人ほどで巡るということをしました。巡ること自体が遊びでもありますし、すぐ定員が埋まりました。そしてそれぞれの場所をめぐりながら、学びとは何かという問いを哲学カフェ的に考えました。

 

その企画はそれぞれの場所に一回訪れるだけでしたが、八十八か所めぐりのようにたくさんの人が絶え間なくその間を巡り続けるということがもしおこれば、それぞれの学びの場を全部含めた大きな場、メタコミュニティともよべるような場が生まれるのではないかと思いました。

 

そんなふうになれば、単にそれぞれの学びの場が活性化し、その情報がひろがるというだけでなく、様々な出会いや交流がおき、そしてその出会いや交流が派生して何かがおこるだろうなと思います。そういうことができないかと思っていたのです。

 

デンマークでもにたような事例があって、デンマークは高校と大学の間にもう一ついける学校があります。私塾なのですが、それが国の補助を受けていてデンマーク全国にあり、高校を出た若者たちは、自分が学びたいことを学べる私塾にいきます。

 

それぞれの私塾は全寮制であり、お金持ちの子も貧しい家の子も同じ場所で過ごすそうです。そうして、自分の学びたいことを求めて、様々な私塾をめぐって、21歳ぐらいで大学に入学するということも珍しくないそうです。そのように、全国にある私塾を若者たちがぐるぐるまわっているわけです。

 

デンマーク原発が建てられるという話しが出たとき、市民は強い行動をおこし、それを阻止できたそうなのですが、その阻止にはこの私塾で作られたネットワークが功を奏していたと聞きました。様々な人が出会い、一緒に住み、関係性を育てることと、個々のネットワークが継ぎ接ぎとなって、大きなネットワークになっていたのだと思います。

 

四国八十八か所における寺が、デンマークにおいては全国各地に存在する私塾にあたるわけです。たくさんのコミュニティがあり、そこを絶え間なくめぐる人がいて、その結果として大きなメタコミュニティが生まれ、政府の決定をくつがえせるほどの力を持ち得たのです。

 

この仕組みをつくることはできないかと思っていたのですが、基本自分のやる催しはこじんまりなので、実現しそうにありませんでした。

 

ですが、ジャンル難民学会というかたちならできるのではないかと思いました。ジャンル難民学会は、自分の核心的な関心の探究や研究を、既存の制度やジャンルに必ずしもこだわらず自由に発表するというものなのですが、この趣旨に賛同してくれる人たちが住んでいる各地で、それぞれに発表する場所を作ってもらい、発表会の際にはそれをコミュニティ外部の人も聞きにいけるというかたちにするなら、相互のコミュニティの間に人の行き来ができて、循環がおこるのではないかと思ったのです。

 

とりあえずそういうかたちにしてみようと思い、FBで声をかけてみると、割に応じてくれる方たちがいました。兵庫県とか、神奈川とかでやってみたいという方も現れました。発表の場をつくるといっても、別にお金がかかることでもないので、やってもらえる方は今後も現れそうに思えます。

 

既存の仕組みや手続きに必ずしもこだわらず、自分の核心的な関心の探究や研究をして発表する場をつくるということ。そして、その趣旨に賛同してもらえる各地の人に同じような発表の場をつくってもらう。そしてお互いの発表が可視化されるようにして、そこに人の行き来を生む。

 

とりあえずこういったかたちを作っていこうかなと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

「時間」のワークショップ@カフェコモンズのレジメ

大阪府高槻市富田町にあるカフェコモンズで「時間」のワークショップをさせていただきました。その際発表したレジメを転載します。

 

6/21 「時間」のワークショップ

◆はじめに  時間と「時間」
 自分の時間が止まってしまったという感覚を持ったことがあるでしょうか。あるいは、逆に自分の時間が動きだしたという感覚があるでしょうか。自分の時間というとき、それは単に何もしなくていい時間のことではなく、自分のなかで必要な何かがおこっている時間のことをいうのではないでしょうか。自分の時間が動くというときの時間は、自分の外にあって数えられる量的な時間ではなく、自分の内に関わる質的な時間ではないでしょうか。

 

 面白いことに自分の外側の量的な時間への意識が強くなればなるほど、自分の内側の質的な時間の動きは止まってしまいます。あるいは意思をもって、やらなければいけないと思うことがあればあるほど、質的な時間の動きは止まってしまいます。逆に、質的な時間が動き出すと、数えられる時間を忘れてそのことに没頭してしまうこともあります。

 自分を外側から管理支配する時間に対して、自分の内側の質的な時間、プロセスとしての時間に鍵過去をつけて「時間」と表現することにします。

 

◆なぜ「時間」を取り扱うのか
 僕は臨床心理学科という心理カウセリングを勉強する学科に入りましたが、治療者と患者という上下関係や誰かを「患者」にして治療を目的にすることは、逆に人の自然な変化や回復を停滞させているところがあるのではないかと思うようになりました。また社会適応して、働けるようになればそれでいいのかという疑問もありました。

 

 回復とは何か。どのように回復していけるのか。上下関係ではなく、水平な関係の人同士の関わりで、「治療」ではない人の回復や変化はどうおこるのか。そしてどうやって生きていけばいいのか。そういうことを知りたいと思い、探ってきました。そこでたどり着いたのが「時間」ということになります。

治療や回復の勉強をしなくても、自分の「時間」が止まったり、動いたりしたときのことを思いだしてみること、人の「時間」が止まったり動いたりした話しを聞くこと、自分の「時間」に焦点を合わせて感じたり話したりすることで、「時間」は刺激を受けて動きだします。自分はただ自分の「時間」の動かし方を知ればいいのだと思います。それをずっと続けていくことで生きていく世界や感じられる世界は更新されていくと思います。

 

 僕が心理学科にいた頃、そこで卒論を書く人はみんな自分の問題をテーマにしているように思えました。なぜ自分の問題をテーマにするのか。実はそれが自分の最も関心のあることだからだと思います。自分の根源的な関心、興味は自分の底にある、普段は感じられないような根源的な痛みや苦しみからきているようです。そしてその根源的な関心に応答することで、人は力を引き出され、卒論のような、大きい課題を終えることも可能になります。鶴見俊輔はこのような自分にとっての根源的な問いを生きることを「親問題」を生きることだとし、自分を抑え、環境に埋没して場当たりに適応することを「子問題」に生きることだとしました。

 

 「親問題」に生きることは自分の根源的な問いを生きることです。たとえ経済的に自立をしたとしても、ただ場当たりの適応をしただけでは自分は回復していきません。回復とは回復を続けることであり、それは自分にとっての根源的な問いである「親問題」に対して、生涯をかけて応答していくことであり、それが自分にとっての充実と古い自分の更新をもたらします。そして「親問題」への応答と、自分の「時間」を動かしていくことはとても密接な関係があります。

 

◆これまでのワークショップで気づいたこと
 誰かの「時間」が止まったことや動いていたことを聞くと、自分の「時間」が止まったり、動いていたときの感覚が触発され、感じられます。「時間」の感覚が活性化すると、「時間」を自分に引き寄せることがよりやりやすくなります。「時間」は意識してやるものというよりは、ある感覚にゆだねることです。

 

 「時間」には色々な深さがあります。何もかもが順調にいっているとき、自分自身の「時間」はあまり動かなくても気にならないときがあります。逆に今までの生活が成り立たなくなったとき、表層の「時間」が止まったように感じられる時を経て、自分の深い「時間」を動かざるを得なくなることもあります。表層の「時間」が止まったからこそ、深く自分を生きられるようになることもあり、一概にどんなときも「時間」が動けばいいということではないようです。

 

◆ワーク 時間についてのエピソードを書いて紹介する。
 自分の時間が止まっていたと感じたとき、あるいは自分の時間が動きだしたと感じたときのエピソードを教えてください。お配りするA4用紙に記入していただければと思います。

どこにもいかない

人間の変化と回復について考えてきた。どうやって回復していけるのか。

 

しかし、一つ前の記事を書いてみて、自分が今知りたいのは回復のあり方ではなさそうだなという感じがしてきた。

 

実際にどう回復するか、どう変化しうるかよりも、自分は納得するということを求めていると思った。

 

回復を求めれば、回復していない状態を否定してしまう。そしてそのことにより余計な停滞がはいる。だから回復を直接に求めないということはこれまで何度も書いてもきた。しかし、それでもやはりそれが結局は回復を目的としているのなら強迫性は自分に対し否定的に影響しているだろう。

 

自分は今、強迫的なものを打ち消す理解を求めている。だからどうやって回復するかより、どうやって世界のありようをより深く納得し、引き受けることができるようになるかが重要だと思う。

 

昨日、自分の仕事に納得ができず、つまらない仕事だと思い、不満をもちながらやっているという人の話しを聞いた。

 

間接的な話しなので、実際や実態は知らないが、これについて思うことは、人がそのように不満をもって、屈辱的な気持ちをもっているのに、なおそこにとどまらざるを得ないということ。

 

人はそんなに簡単に変われるものではないというのが僕の今の理解になっている。それまでに作られてきた強力な殻があり、それが壊れるという契機を得ないと変われない。人は自分自身では変われない。

 

そして変わったとして、回復したとして、それが何なのかと思うようにもなっている。どれだけ回復したか、という競争でもしているのか。

 

「メタコミュケーション力」がアップしたり、やさしくなったりしたとしても、それもまた自分がどれだけ有用になったかという視点から判断しているのならば、競争社会の原理を相変わらず取り入れているだけだと思う。

 

不遇に生き、不遇に死ぬ。それを避けれるか避けれないかは、究極的には、自分の努力ではない。たまたま通り魔に刺されて死ぬかもしれないのだから。

 

表面上何を獲得し何を達成したとしても、本質的にはどこにもいかない。何も変わらない。その地点にいるということを納得するかどうかというだけなのではないかと思う。

 

 

 

 

プロセス そして傷を引き受けること

当事者兼研究者や当事者兼支援者のトークイベントへ。

 

変化していく身体に必要なのは海水と淡水がいり混じる汽水域のような場所ではないかと思う。完全に安全な場所は、同時にその人に弾みをつける何かもまた犠牲にしている。かといって戦場のようなこの社会そのままの塩分濃度に晒されるのは堪え難い。

 

空間はあっという間に、一方に均(なら)されやすく、染まりやすい。だから汽水域は、絶え間なく作り出される必要があるのだろうと思う。

 

自分の弱さ、あるいは被害性だけでなく加害性も語るとき、その人自身が変わっていき、同時にその語りを聞いている人たちの気持ちに何かのプロセスがおこる。プロセスとしての「時間」が動く。

 

糸川勉さんは完熟堆肥だけでなく、半分発酵したものと表層の土をほどよく少量混ぜ、作物に土寄せして、嫌気発酵の害を防ぎながら発酵の際に出るエネルギーも利用するやり方を教えてくれた。

 

変化のプロセスが終わった完熟堆肥のような状態をもって、自分が完全に知っていること、話し尽くしたことをまた話すことは退屈だ。そこでは自分にプロセスはおきない。だが自分の中につながり、震えるところで話すとき、そこでおこるプロセスは周りの人にも何かのプロセスをおこしていく。

 

たくさんの乾いた知識を得ても変わらなかったことが、プロセスが動くとき変わっていく。プロセスが動いていくとき、自分の状態は変わっていく。焚き火にくべた木が灰になり、元に戻らないようにかつての状態はゆっくりであれ、確実に終わっていく。

 

自分を完全に切り離した論には空疎さを感じる。逃げるための論。抑圧し、感じないための関心の逸らし。そういうことが自動的におこっていると思う。

 

マジョリティがマイノリティの言をよくあるとか、大したことないとか、直ちに否定してしまうのは自分が揺れる事に対する自動的な拒絶であると思う。ある人の持つマジョリティ性とはその部分において抑圧が完了して無感覚無思考になっている部分だと思う。本人は自分の価値観で自分で選択した自分の意見であり、常識だと思っているのだけど。

 

場で許されがたいことがおこったとき、どうするかという質問があった。出入り禁止にする、という意見もある。一人は自分もそんな許されないことをしたのに許してもらえた、よくもこんなことをしたなと相手に思いながらしかし自分も許してもらった、とその葛藤に苦しみながら発言している場面があった。そんなに葛藤している姿に心が動いた。

 

あれは石牟礼道子さんのいう共悶え、悶え加勢だと思った。誰かが自分のかわりに自分の苦しみを苦しんでくれること。そのことによって、人は救われる。同様に、誰かが自分と同じ苦しみを体験した話しを聞くことで、自分のどこかが回復する。

 

回復には終わりがない。なぜなら変わり続けることが停滞するとき、人は苦しむからだ。何を達成したとしても、変わり続けるプロセスにあらなければ、そこはメリーゴーランドのように同じ景色が毎日やってくる時間の止まった世界だ。

 

メンヘラ、ひきこもり、非モテというアイデンティティを引き受けることの苦しみとその弊害が語られる。精神にとって、アイデンティティを引き受けることは、プロメテウスが岩山にはりつけられて動けないために、毎日オオワシに内臓をついばまれるような屈辱的な拷問だと思っている。

その否定的な言葉を引き受けず(気づかず)にその言葉が指すような状態を通り過ぎることは僕はあり得るのではと思っている。自分が回復しなければいけない劣った存在、惨めな存在だという傷を受け、そのことによってより回復を遅らせずにある状態を経過させることはあり得ると思っている。

 

と同時に、傷を引き受けた人は同じ思いをした他の人の苦しみを引き受ける存在になるのであり、そしてその余計に受けた傷からの根源的回復に向かう存在になる。その人は、傷が軽かったゆえに自分を深く回復させることもできなかった人の代わりに、自分を深く回復させ、世界を少し回復させる。

6/18 南区DIY研究室読書会発表原稿 奥野克己『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』第13章

次回DIY読書会は7月2日(火)19:45〜、ちいさな学校鞍馬口です。

 


奥野克己

『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』 

概要:ボルネオの狩猟採集民プナン(西プナン)はマレーシア・サラクワ州政府に属し、自動車などの近代的な道具に触れながらも、狩猟採集をベースとした自分たちの文化を維持していた。彼らの子どもは学校も行きたくなければ行かない。結婚はパートナーがいる状態をさすだけで、次々と別のパートナーに変わることも珍しくない。子どもは実子と養子が入り混じる場合が多い。プナンでは、ありがとうに該当する言葉はなく、また反省するという概念がない。

 

◆今回の発表 第13章 倫理以前、最古の明敏
ニーチェの言葉から筆者は「最古の明敏」という言葉を抜き出し、それがプナンにあるのではと投げかける。最古の明敏とは、人間が値段をつけたり、価値を見積もったり、等価物を考え出す、交換するといったことが人類の原初の思考であり、神への感謝(↔︎プナンは感謝しない。)という「倫理」の発生以前の状態にあるのではという。

 

ニーチェの言葉
値段をつける、価値を見積もる、等価物を考え出す、交換するーとこれら一連のことは、ある意味ではそれが思考そのものであるといってもよいほどにまで、人間の原初の思考を先行していた。ここで最古の種類の明敏が育て上げられたのである。 フリードリッヒ・ニーチェ道徳の系譜

(↑なぜその思考を明敏というのかがわからない・・。明敏とは利に聡い思考という意味なのだろうか? あるいは明敏かどうかという語句は重要ではなく、単にプナンが感謝を伴う「倫理」以前の状態だということを言っているだけなのだろうか?)

 

・プナンは雷と洪水を恐れる。ものを持たないので火事はさして恐れない。筆者が滞在中に大きな洪水や様相が現れると数人の女たちは小屋の外に向かい、声をはりあげて祈りの言葉を唱えた。

 →女たちの祈り
うなりを上げ、稲光を放つ 人を石にする雷がやって来た、大地を壊し、大地を台無しにするあなたよ、どうか退いておくれ、わたしたちにそう約束しておくれ

 

・雷や洪水は人間の「まちがった振る舞い」(ポニャラ)に対する「雷のカミ(balei Gau)」憤りであるとされる。まちがった振る舞いとは人が野生動物を苛んだり、動物に対して非礼なことをしたことに帰せられる。野生の動物は狩られた後に名前を呼ばれない。どうしても呼ぶ時は忌み名が用いられる(←プナンは人間の死者に対しても同様に生前の名前を呼ばない)。本当の名前や、家畜の名前をもってそれを呼ぶことは非礼であり、あってはならない。他に(家畜である)犬が糞便をするのを笑ったり、交尾をするのをはやし立てたり、川の魚を獲りすぎたりすることなども含まれる。狩猟の際、リーダーは生きたまま持ち帰った獲物に対して何も言うな、何もするなと、人々に命じた。

 

マレー半島および東インドネシア一帯で天候の激変をめぐる観念と実践は「雷複合(thiunder complex) 」と呼びならわされる。雷複合とはある違反、とりわけ動物に対する違反行為が天候の異変をもたらすという考えと、その考えに基づく行動の体系の複合である。ロドニー・ニーダムは、マレー半島のセマンの人々とボルネオのプナンの間でほぼ同じような信仰の体系があることを報告した。

 

・子どもたちは動物を弄ぶようなことをしがちであり、筆者はだからこそ「してはいけない」と言う禁忌があるように思えると述べる。間違いがおこるのを避けるために、狩猟した動物はなるべく素早く解体し、料理し、食べられる。

 

・筆者の観察では、プナンは獲物に対して「感謝」せず、食べものがありがたいものであるという意識がどこにも見当たらない。一方、日本各地の畜産工場や動物園などにはしばしば獣魂碑や慰霊塔などの石碑が建てられている。筆者は、プナンがそのような感謝を表明しないことこそ、プナンの倫理、あるいは倫理に限りなく近いものなのではないかと考える。

 

・筆者は、プナンが原初の段階では、森や川から取ってきたものを黙々と消費するだけだったのが、獲物がとれたりとれなかったりすることからそれを納得する何がしかの理由を必要とし、その理由として禁忌が作られたのではないかと想像する。
(↑プナンは動物に非礼を働けば洪水と雷がおこるという雷複合に対して禁忌をもっているが、プナンの禁忌が獲物が捕れたり捕れなかったりに対しての感覚とも通じているという言及は本の文章にはない。筆者はこのように論じていいのだろうか。)

 

・筆者は哲学者の前田英樹の論から、倫理は共同体のなかに生き残るための知性によって生み出されているが、それを人間に生み出させる圧力は自然だったと述べる。マルク・キルシュ編『倫理は自然の中に根拠をもつか』においても、生物がその生存の様式を生き残りと適応を確保するために組織したものが倫理であると述べた部分がある。

 

中沢新一は、狩猟採集時代に人は堅固な財産をもっておらず、恵みは全て森の神からのものだったのであり、人間が自然に対していつも礼儀深く、感謝の気持ちをおこたらなければ森の神は贈与を続けてくれるという思考が倫理を発生させたと述べている。また人間が一人で生きていくことのできない、取るに足らない、ちっぽけな存在であることに自ら思い至ることが倫理の発生の基盤としてあるとする。

 

・筆者は中沢を踏まえ、知識や力において圧倒的なもの(神、父母、隣人)への敬念や畏れが倫理が作動する基盤としてあるのではと述べる。しかし筆者はプナンには畏れがあっても、感謝がないことを指摘し、プナンは中沢たちの指摘する倫理以前の状態にあると考える。

 

・グレーバーはニーチェの考えを否定し、ニーチェは人間本性についてのブルジョア的な前提に立っていて、人間を合理的な計算機であると見てしまっているという。グレーバーは計算することや記憶することなど「打算を拒絶する」狩猟採集社会の根源、人間社会の根源の姿をニーチェは見ていないという。

 

・筆者はグレーバーが贈与によって貸し借り計算をして、負債をつうじて互いを奴隷に還元しはじめる世界から遡行して考えなければいけないと指摘することに対して、グレーバーが倫理以前の最古の明敏を考える地点にいるのではないかという。
(↑ニーチェの「最古の明敏」は、グレーバーが指摘するようにブルジョア的な、交換する、値段をつけるという思考のことなのではないか? 話しの筋がわからない・・。 )

 

◆感想
・筆者はニーチェの言葉を各章にいれこむために無理をしていないだろうか? ともあれ、個々の事例は面白かった。前回も書いたけれど、自分には、動物に対する忌み名や死者に対する忌み名、人間に馴らされた家畜に対する態度、そしてグレーバーの打算と記憶を拒絶する狩猟採集社会の態度には通底するものがあると思える。

 

それは聖(人間の所有できないもの・馴らせられないもの・操作してはいけないもの・人間の理屈を敷衍してはいけなもの)と俗(人間が所有できるもの・管理し馴らせられるもの・打算や記憶して一方的に操作する対象とすること)を分けることで、俗、つまり打算が社会を覆い尽くして構造化していくこと、個々人もまた管理操作の対象と認識されるものになることを破綻させるということではないかと思う。

 


 農耕民が神に感謝し、交渉することは、神をコントロールしていることではないかと思える。つまり神は人間に馴らされている。それはプナン的には「聖」ではないのではないだろうか。狩猟採集社会でも獲物をとるための神との交渉の儀式はあるのかもしれないが、プナンは神をコントロールすること(神の所有)を拒否しているのではないだろうか。狩猟採集社会のなかでも、さらに所有の否定水準が高い社会、それがプナンの社会なのではないだろうか。

 


 なぜ神の所有を拒絶するのかというのは、所有(→打算・記憶・管理と近い)が精神を奴隷化していくものであることを本能的に認識しているからではないだろうか。プナン社会において、自然である神を設定することは、俗(打算や記憶)が社会や人の精神を構造化していく必然的な流れを積極的に破綻させる仕組みとして存在しているのではないかと僕には思える。



「この会話を通して、自分も刑務官も心理士もみんなが人間になった」 「責任」から応答へ

ジャンル難民学会発表会、先のイタリアの精神病院の解放や入管法の発表は吉本草蔵さんのものでした。

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 

 

吉本さんの発表は、発表が終わっても日に日にしみこんでくる内容でした。イタリアや入管の話しに加えて、矢原隆行さんの書かれた文章から、リフレクティング・トークというかたちで刑務所内での話しが行われ、そこで受刑者が「この会話を通して、自分も刑務官も心理士もみんなが人間になった」という発言をしたことが紹介されていました。

 

www.ryukoku.ac.jp

 

「人間になる」ということはどういうことでしょうか。刑務官や心理士もまた、それまでは人間でなかったのでしょうか。

 

パウロフレイレは、人間の本質は抑圧的状況からの「移行状態」にあると指摘しました。これまでの古い、自他への抑圧を抱えた状態から、その抑圧を解放していく移行状態を人間の本質とみるとき、自分は既に何かをやっているとか、生物学的にヒトだとか、どこかの文化圏に属しているとか、犯罪を犯していないなどという、既に自分がそうであることは関係ないのです。

 

(これは「回復は回復を続けること」という言葉にも通じます。)

 

今ある状態、自分の持っている価値観に抑圧があるとは、多くの場合人は認めたくありませんが、それに気づき、認め、そして対話(更新に向けた世界とのやりとり・抑圧をかけている自分の内側の状態に対する応答)によって、自身を更新していく時には「人間になる」ということなのだと思います。

 

すると、人間は自分が人間であることに責任をもつ必要があります。既にある自分にあぐらをかいているときは、「人間」ではないのです。

 

強い抑圧を内在化させざるをえなかった孤独な人、厳しい疎外状態にあった人が、周りとともに回復していくとき、周りの人はそれまで単に自分がたまたま環境に恵まれ、その余裕があるために、かえって自分が安易な抑圧(自分のなかにある何かを見ないようにして押さえつけること)を用いて、自分を無視し、自分への向き合いをやり過ごしていたことに気づくのです。

 

人間という言葉が使われるときは、自分が社会から付与された役割上の「責任」、職業上の「責任」だけに限定されず、自分を含めたまるごとの世界全体に対する「応答」することが求められています。自分の責任はこれだけだと高を括ることは、自分とその自分が生きているまるごとの世界に対する「応答」を放棄することであり、実際には無責任になることなのです。その態度は周りの環境だけでなく、自分自身を疎外していきます。世界を倦み、不寛容になり、自滅的な独善性の檻に自ら深く入っていきます。

 

自分が想定している、あるいは持っている「よい自分」「認められる自分」という「あるべき」自己像が下がらないように何かをするのではなくて、誰もが人間になっていくことが必要であると思います。

 

どんなステータスを得ても、今の自分にふんぞりかえっていて、移行状態に入っていないならば、自分は人間になる前の状態です。また一度移行状態に入ったからといって生きている間、繰り返し移行状態に向かうことを続けなければまた人間ではないのです。

 

動いている水は腐らないという言い方があります。その科学的真偽は知りませんが、人間というのは移行状態という「動き」や「プロセス」のことをさし、周りの世界や人との応答性を回復していく存在になることをさすのではないでしょうか。

 

今の自分に移行状態を提供することが、人間が人間になるための責任であり、応答なのだと思います。応答することは、世界に対する信頼の感覚を回復させていきます。それは、世界との応答性を疎外している自分の殻から解放されていくことでもあると思います。

【報告】ジャンル難民学会発表会終了

第一回ジャンル難民学会発表会終わりました。7人の方の発表がありました。

 

フィールドワークをもとにした巨椋池についての発表、マルクスの価値形態論やお金についてのQ&A、対話とソーシャルネットワーク、路上ギャラリーの活動、ライブ当事者研究など様々なかたちでの発表でした。

 

ジャンル難民学会(私の探究・研究相談室)では、既存の制度や分野に必ずしもこだわらず、自分の関心のあることを探究して、そのプロセスをシェアしています。またその探究や研究と自分との関係も同じく重要視しています。

 

文化人類学社会学などのフィールドワークにおいても、自分というバイアスがどのように入っているのかということについてはより意識的になっているのかと思います。

 

最近は、客観的な視点、決められた手続きを厳密に守ればバイアスのない結果が得られるという立場から、バイアスは当然あるとみなし、どのようなバイアスが入っているのかがわかるように、調査の方法やプロセスをオープンにして他者から判断されるほうがより妥当なのではないかという立場のほうにだんだんと移行しているのかなと思いますが、どうでしょうか。

 

ジャンル難民学会は、哲学カフェが哲学の民主化とよばれたり、当事者研究精神分析やカウンセリングの民主化と言われたりするように、探究の民主化を一つの趣旨としています。

 

素人がやることは信頼できないし、大したものができない。だから探究や研究は専門家に任せておけばいいというのは、一面において正論ではあるかもしれませんが、大きな弊害をもたらしていると思います。

 

人が自分自身の感じられる世界を更新していくためには、自分の関心や興味に応答しながら直接に世界とやりとりすることが必要です。それをやめてしまうと人は自分自身の既知の世界を更新することが難しくなります。また情報を吟味する力も弱っていきます。情報の価値を自分の感覚ではなく、誰が認めているのかというふうに、権威の判断にまかせるようになってしまうのです。

 

ジャンル難民の集まりでは、自分というバイアスを歓迎します。自分がなぜそのことに関心を持つのか、それをオープンにして、その人の発表を面白いと思ったり、妥当だと思うなら自分の吟味で取り入れる。それでいいと思っています。結局リテラシーというものも、自分の感覚を使ってトライアンドエラーを繰り返してようやくリハビリされるものであって、それなしでは育たないし、維持されないのです。

 

僕は人の回復について関心をもっていましたが、やがて回復自体を目的にして何かに取り組むと回復が停滞するというジレンマがあることに気づきました。それよりも自分にとっての核心的な興味や関心の探究をするということのほうが、結果的に人を変化や回復に導くという理解にいたっています。

 

探究においては、回復を目的化することによる回復の停滞のような弊害は最小限になり、一方で見えてくる世界、感じられてくる世界が変わっていくということがおこります。自分が深く関心を持っていることに対して応答することで自分の感じ方は変わっていきます。

 

探究とは、自分のなかにおこっているプロセスに応答していくことです。応答を続けていく時、人は最も学び、変化し、より自分自身となっていきます。回復とは回復を続けることというのは、自分の内側からの非言語的な打診に対して常に応答していくということです。「ヨガがヨガを教える」という言葉があるように、応答することで応答するとはどういうことかがより深く理解され、把握されていきます。

 

発表のなかで、イタリアの精神病院が閉鎖されてきた統計が紹介されました。60年代を境にイタリアでの精神科の病床はゼロへ向かっています。一方、1964年にライシャワー米大使刺傷事件がおきた日本では、そこから急速に精神科の病床数が大きく増やされていきます。踊り手が裸で踊ったというだけで精神病院に入れられたという事例のように、精神病院の病床は患者のために増やされたのではなく、米国への忖度を動因とし、国にとって都合が悪そうな人を早くに収容し、閉じ込めるための機能を担っていたのでしょう。

 

また入管法朝鮮戦争からの難民を送り返す意図に基づいて作られていたことなども紹介されていました。古い価値観で作られた制度がその原型をほとんど変えず残っている社会で、国のことは国に関わる人に任せばいいと放っておいた結果が今の社会なのでしょう。

 

発表のなかで「自由こそ治療だ」というメッセージとともに、二つの絵が紹介されていました。全身を牢に入れられた人の絵と、首から下は解放されているけれど、頭だけは牢が残っている人の絵です。頭にかけられた牢屋とは、人の内面が縛られた状態のままであることを示唆しています。

 

頭の自由はどのように解放されるのでしょうか。

 

人間を人間として扱うということに反した古い制度がいまだに残っているこの社会で、内面化された価値観から出ていくためには、自分で自分を更新していくという営みが必要であると思います。

 

現代の人にとって必要なのは、頭の牢屋から自由になることであり、一度内面化されてしまった価値観や制度から自分を解放していくことではないでしょうか。自分自身の深い関心に基づく探究には、自分自身の価値観を更新する働きがあります。専門家などの限られた人だけでなく、誰もが自分自身の関心に基づいて探究することの必要性はここにあると思っています。