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ここという閉塞から逸脱していくための考察

「時間」に応答する責任としての倫理 ピーター・シンガー『動物の解放』

ピーター・シンガー『動物の解放』を読む会へ。

 

davitrice.hatenadiary.jp

 

薄々知っていてもあらためて狭い場所での異常な過密監禁(過密が原因で死んだり病気になってもなお詰め込む方が儲かる)による畜産や実験動物を取り巻いた状況は、自分の購買状況を変えようと思うぐらいにはえげつなかったです。

 

人間の奴隷、日本では技能実習生や入管に収監されている人に対してするようなことに加え、豚が出産する子どもの数を自然なら16頭のところを45頭産めるようにするとか、癌の研究をするために遺伝子操作して癌になりやすい体質の動物を作って特許をとるとか、体の中身の仕組みまで平気でかく乱させることに対しては非常に強い抵抗感がでました。

 

状況は改善されて然るべきだと思っています。と同時に、動物福祉というような人間中心主義、自意識中心主義からの発想にも違和感があります。

 

僕は今、「時間」という見方を取り入れることで、世界との付き合いをより回復的なものにできないかと考えています。

 

境毅さんは『「モモ」と考える時間とお金の秘密』においてモモにおける「時間」の意味、「時間」の中身とは「生活」ではなく「いのち」と訳するのが妥当ではないかと指摘されました。

 

www.shoshi-shinsui.com

 

僕もそう思います。ただ「いのち」という言葉は誤解が多い言葉です。

 

片山博文氏は、イリイチの生命観批判の考えについて次のように述べています。

 

彼は、制度的管理の対象と しての「生命」を「生き生きとしていること aliveness ではなく生存 survival に力点を置い ている」概念であると指摘する。これに対して、西洋におけるソクラテス以前、およびそれ 以後の哲学的伝統では、自然とは「生きていること―一つの生命 a life ではなく、生きてい ること alive―であり、一つの母体ないしは子宮のようなもの」であると考えられてきた。ところが近代とともに自然はそうした生気を失い、「自然の死」がもたらされる。彼によれば、 近代におけるこの「自然の死」が、「生命なるものが管理されるべき対象として、また人工知能のように製造されることさえ可能な対象として現れるような文化的空間」を生み出したのである。」 片山博文「ヴァンダナ・シヴァのコモンズ論における生命の概念について」https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180408082209.pdf?id=ART0010482472

 

「いのち」という言葉は残念ながらイリイチが批判するように、本来の躍動性(aliveness)を本質とする「いのち」ではなく、自意識としての主体が所有するものとしての生存(survival)のイメージが既に強くついてしまっているので、「いのち」を使うと誤解のほうが大きくなってしまうという危惧があり、僕は「時間」という言葉を使っています。

 

aliveness(躍動性)の重要性は、survival(生存)としての個体に閉じたものではなく、周りの他者や環境に伝わるものであるところだと考えます。alivenessは個に閉じることはできないのです。そして個人だけでなく意識的な主体が所有することはできないと考えます。(集団であっても管理所有できると考えると簡単に抑圧的な全体主義になるでしょう。)

 

以前にも触れましたが、時計がなかったころは、時間は太陽や月、星の動きや潮の満ち引き、動植物の変化などだったのではと思います。それは実態が伴う、なにかが実際に変化していくプロセスでした。その時、時間は変化するそれぞれのものの数だけあったと思います。

 

そしてそれらは単にそれぞれに閉じた動きをしていたのではなく、それらそれぞれの「時間」が生き生きと動くこと、変化することによって、周りのものにalivenessを与えており、そのalivenessの重なりあい、響きあいとして一個の生きものは存在するのだと思います。

 

閉じたsurvivalとして完結した生命というのは、虚偽なのであって、様々な他者が作り出す「時間」=生き生きとした躍動性=alivenessが重なり響きあった状態が生命の本質であるということなのだと思います。生き生きさの発生は、自己責任論的に一人で管理所有することもできませんし、集団が命令することもできません。ただそれぞれの「時間」が生き生きと動きうる状態を互いに模索することができるばかりでしょう。

 

その生命観に移行した時、動物福祉は「人間がいい仕組み、妥当な仕組みを作り動物に提供してあげる」ような自意識中心主義のものではなく、生き生きとしたalivenessをもらうことを他者や環境に依存している存在であるそれぞれの個体、完結して閉じていない個体が、お互いのalivenessを回復させ、高めるために必要だからということになるでしょう。

 

人間を含めた個々の個体は、他者や環境からもらう生き生きとしたaliveness、それぞれのものが変化していくプロセスである「時間」という生きた響きを与えあい、もらいあうものとして存在しているのだと思います。

 

ここにおいて、倫理というものが、何に対してあるものなのかがはっきりしないでしょうか。倫理は閉じた生存(survival)に対してあるのではなく、それぞれの存在がその響きに依存しあう、本来の意味である「いのち」であり、alivenessをもたらす生きたプロセス、今このとき動いている変化のプロセスである「時間」に対してあるものなのだと思います。

 

癌を発生させるために遺伝子操作された動物の「時間」は、どんな響きとなって周りに影響を与えるでしょうか。監禁され、体の向きも変えられないところで流れた「時間」は、どんな響きを周りにもたらしていくでしょうか。

 

それらはボディブローのように、人間の深層に響いて蓄積され、生きることの感覚を変えていくだろうと思います。人間が得られる豊かさとは、意思によって一律に管理や所有などできないaliveness、「時間」、生きたプロセスの動きの響きを環境から直接的にもらうことによって、与えられるものであるのだと思います。

 

すると、大規模に、一律に人間が「管理」されるような社会の仕組みも、また非倫理的であると感じられてくるでしょう。「効率」自体にはなんのalivenessもありません。「効率」のために、あるものの「時間」が止められ、環境が多重な「時間」の響きあいでなくなるのなら、そこに豊かさや回復などないのです。

 

『モモ』で人々は、時間を貯蓄しようとしました。しかし、個々の生きたプロセスである「時間」を貯蓄したり、後にとっておくことなどできないのです。生きたプロセスはそれぞれ常に今ここにあるものであり、それに応答するしか、生を豊かにすることはできないのです。

 

効率や画一化によって、誰かのプロセス、それぞれにあった誰かの「時間」の動きを奪うことは、生きることのの実質であり、本質的な豊かさである重なりあう響きを減じ、生きること=「時間」を動かすことを停止させることなのだと思います。

 

 

人との接点

臨床心理学科に入ってもあまりカウンセラーとかになる気は無かった。

 

治療者や支援者にはなりきれないし、なるつもりもないけれど、自分と相手がいて、お互いが何か生きるなかで探っていることがあると思う。

 

次に会うときがあれば、何を確かめ、何が見えたのかは聞いてみたいと思う。

 

自分は治療や支援でない関わりをしたい。

 

ジャンル難民の集まりや「時間」のワークショップは、自分が自分としてありながら人と出会う接点をつくったのだと思う。

 

自分が面白いと思わないあり方で、人と出会うことはできないと思う。これが多くのことに関心がない自分が、相手に関心を持って関われる接点。化学反応がおこる接点だ。

 

 

薬指に名前をつけない意味 意思と「時間」の相容れなさ

「時間」が動くことは、自分の感じる世界が新しくなっていくプロセスであるといえるでしょう。ただ、感じかたを新しくするのは、プロセス自体です。

 

状態が変わったことを自意識としての私の手柄にしていると一時的には高揚するでしょうが、やがてプロセスは停滞するでしょう。謙虚な人は、人受けがいいとか、謙虚にすべきだから謙虚にしているのではなく、最も停滞なくスムーズに状態を移行させていくあり方を調整しようとしていて、変化は自意識であるわたしの直接の操作にはよらないというリアリティを持っているからあんな感じなのだろうなと思います。

 

自意識はつまるところ過去であり記憶であるので、それは止まった「時間」であると思います。同時に自意識による思考もまた止まった「時間」であると思います。そしてその止まった「時間」である思考を機械的に現実に反映させようとする意思による行為は基本的に「時間」を止める行為なのだと思われます。

 

意思は直線的に物事を達成しようとしますが、「時間」は迂回的に、ぐるぐるとまわりながら近づいていくように動くものであるようです。何かをやるにしてもいかに自分のなかに既に動こうとしているプロセスである「時間」に乗るかが疲弊を抑え、また思わぬ展開やスピンオフを呼ぶことにつながると思います。

 

意思とプロセスである「時間」の関係は実のところ、非常に相容れにくいものであるようです。先日、通っている整体の稽古において、人差し指に集注する、薬指に集注するという実験がありました。人差し指は意思が直接的に伝わるところであり、より「止まって」います。一方、薬指は他の指には連動しても、薬指だけに意思をいれることは難しいのがわかります。

 

この感覚はたとえば、利き手で字を書いてみて、次に利き手とは逆の手で字を書こうとする時の感覚が近いかと思います。利き手でない方の手でかくことが、逆に自由をもたらすので、絵を描くワークなどではあえて利き手と逆にして描くというやり方もありますね。それが頭で理解できていても、利き手でやるとどうしても余計なコントロールが入ってしまい、つい過去に得た成功体験の反復をしようとしてしまったりするものかと思います。

 

稽古で人差し指に集注しようとすると、体を硬直的にして固めて止まった感じになり、横から押されるとすぐバランスが崩れる状態になります。薬指のほうに集注すると、人差し指との感覚の違いは明らかでした。

 

薬指の状態をコントロールするようなことは違和感があり、また難しくてできないと感じます。そしてそのように止められない薬指の「震え」が体のほうに伝わってきて、薬指に体が同期するような感じになります。すると横から押されたりしても人差し指の時よりも安定します。

 

整体の稽古は、いかに意思(無自覚で自動的なものも含む)を打ち消した状態をつくり、もともと意思とは関係なく存在したものと体を同期させ、その状態を展開させていくということ、自意識や意思と一体化して止まった「時間」と化している体を自意識や意思から切り離していくということをやっているのかなと思っています。

 

非常に面白いと思ったのが、この前の読書会で知ったボルネオのプナンの人たちの言葉では薬指に名前がないそうです。他の指には名前があるのに、その指には名前がないのです。名前をつけてしまうと、それは意思とより連動してしまうので、薬指の役割をもっとも生かすなら、名前をつけないというのが理にかなうことだと思います。読書会参加者によると、薬指は他の文化でも魔法の指と言われたり、名無し指と言われたりするそうです。

 

 

kurahate22.hatenablog.com

 

カフェコモンズでのジャンル難民ミーティング

大阪は富田のカフェコモンズでのジャンル難民ミーティング終了しました。

 

先の見えない時間を生き延びてきた人には「時間」が止まること、「時間」が動くことという言葉は直感的に把握され、そのまま自分の言葉として使われていました。僕がむしろ自分が発表した「時間」という言葉の意味を教えてもらっていました。

 

相田みつをは、「瞳の色が深くなる」と表現していましたが、どうしようもない苦しさを自分なりに引き受け、経過させた人は、社会適応とかいう文脈には乗らなくても、世界の感じ方が深くなるのだと感じます。

しわのない紙がくしゃくしゃにされてまた広がったとき、紙に残ったそのしわは誰かを受けとめる感受性のひだになるのだと思います。

 

「時間」と表現している、動いているそれぞれのプロセスは、目に見えませんが、連動し、お互いに影響しあいます。自分にとっての本当のことをあらわす時の心の震えが別の人の「時間」を動かしはじめることもあります。

 

2/8「時間」の発表原稿

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奥野克己『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』三章まで 南区DIY研究室 発表原稿

今日の南区DIY読書会で表題の本を3章まで要約して発表しました。

ブログを書いてきて5年目、最も長いタイトルになった気がします。

 

 

 

 

 

概要:ボルネオの狩猟採集民プナン(西プナン)はマレーシア・サラクワ州政府に属し、自動車などの近代的な道具に触れながらも、狩猟採集をベースとした自分たちの文化を維持していた。彼らの子どもは学校も行きたくなければ行かない。結婚はパートナーがいる状態をさすだけで、次々と別のパートナーに変わることも珍しくない。子どもは実子と養子が入り混じる場合が多い。プナンでは、ありがとうに該当する言葉はなく、また反省するという概念がない。



筆者:奥野克己

文化人類学者。立教大学異文化コミュニケーション学部教授。商社勤務を経てインドネシアを放浪後に文化人類学を専攻。著書に『「精霊の仕業」と「人の仕業」―ボルネオ島カリス社会における災い解釈と対処法」「人と動物の人類学」(共編著)「動物殺しの民族誌」(共編)など。1962年生。※僕が行っていた京都文教大学の教員もされていた。当時は交流はほぼなかった。

 

◆フィールドワークの期間

 2006年4月から1年間。その後、毎年春夏の2回のペースでプナン居住地に訪問。プナンと行動したのは通算で600日ぐらい。

◆プナンの概要

 マレーシア・サラクワ州を流れるブラガ川上流域の熱帯雨林におよそ500人の規模で暮らしている。プナンはサラクワ州政府から割り当てられた定住地に建ててもらった家屋に住み、焼畑農業にも従事して米をつくっていると共に、しょっちゅう森にはいって、一時しのぎのキャンプを建て、そこを拠点として森のなかに狩りに出かけるという半定住型の生活をしている。またプナンは森林を開発する企業からの賠償金を定期的にもらっている。

 

◆プナンの半定住生活シーン

朝起きて食べ物が何もない。まずは川に投網に出かけ、魚を食べて腹ごしらえだ。本格的に狩猟にいくのはその後にしよう。

 

焼畑で米を栽培し、森の中でサゴ澱粉を調達しなくなった今日でも、市販のサゴ澱粉はプナンの好む主食である。皆で車座になってアメ状のサゴ澱粉を箸でくるくると巻き上げ、それを汁物に浸してから口に運ぶ。

 

ブラガ川上流の森は、商業目的で伐採され丸裸にされた後に、油ヤシが植えられ、今では油ヤシプランテーションが広がっている。油ヤシの実を食べに夜にヒゲイノシシがやって来る。それを狙って、プナンは夜の待ち伏せ猟にはげむ。

 

油ヤシプランテーションの中には企業が建てた仮小屋が散在する。それが空いていればプナンは狩猟のベースキャンプとして一時的に「占拠」する。予め断りを入れている場合もあるが、たいていは持ち主が立ち寄った時に獲物肉などを分け与えて済ませる。

 

◇1章 生きるために食べる 2章 朝の屁祭り

 プナンは「〇〇のために生きる」という言い方をしない。何かになろうとする「自己実現」のようなこともない。

 

食べ物を手に入れたら調理して食べて、あとはぶらぶらと過ごしている。男たちは獲物を取るために朝から森に入っていく。手ぶらで帰ってくることもよくあるが、手に入れた獲物はキャンプや居住地の人々全員で均等に分けられる。

 

 プナンはサラクワ州に用意されたトイレを使わず、定住地やキャンプから少しだけ離れた場所に「糞場」で用を足す。排便後は木の枝切れでお尻の汚れをとる。人々は他人の糞の状態をみて、それを論評したりする。あるプナンの親子は、閉ざされた空間で用を足すこと、そして誰かが一度使用した場所を自分が使うことに拒否感があったとのこと。赤ん坊におしめはなく、便を垂れ流すと母親は特定の飼い犬を呼び寄せて肛門を舐めさせて済ませる。少し大きくなると、高床式の家や小屋の木の板の隙間から用を足し、母親が水で流したり布でふき取ったりする。プナンの朝は、目覚めた人の放屁ではじまる。人々は自分や他人の放屁も論評する。

 

◇3章 反省しないで生きる

 プナンは「反省」のようなことをしない。著者が町で買ってきたバイクを彼らに貸すと、タイヤをパンクさせても何も言わずそのまま返してくる。タイヤに空気を入れるポンプを貸すとトレーラーに轢かれてペチャンコになっても、何も言わず返してくる。プナンは「過失」に対して謝罪もしなければ、「反省」もしない。酒を買う金のために他人の所有物を盗んで売る(チェーンソーの刃、銃弾、現金など)男は、妻や家族が咎めると輪をかけて泥酔するようになった。彼はやってはいけないという自覚があるのかどうかも著者は判別できず、反省している素ぶりが見当たらないという。プナン語には反省するという内容の言葉はない。共同体の話し合いは、個々人が盗まれないように気をつけようという結論づけた。

 

 ある時、共同体のリーダーが木材伐採企業からの賠償金を前借りして、それを頭金として車を買い、狩りを効率化しようとした。しかし得た金を使い込むものがいて、それを咎め立てる動きはなく、計画は破綻し、車は手放された。狩猟や用事で出かけたりする時の失敗や不首尾、過失についてもプナンは個人に責任を求めたり、個人的に反省を強いるようなことはしない。失敗は、場所や時間、道具、人材などについての共同体や集団の方向付けの問題として取り扱われることが多い。

 

 筆者によると、プナン社会には、自死や精神的ストレスが見当たらない。プナンは反省しない、と筆者には思われる。筆者は、プナンがプナン同士では出来事を悔いたり、やり方について思い悩んだりするというやり取りをしないとみている。ある出来事や間違いが残念んであったと、悔やんでいると述べるようなことは、たまにあるようだが、プナンが「〜しなければならない」、「しなければならなかった(ateklan)」という言い方をすることは実際にはほとんどないと筆者は述べている。筆者は、プナンは「状況主義」であり、過度に状況判断的的であるという。その時々に起きている事柄を参照点として行動を決めるということを常としている。またより良き未来を描いてそのために何かをするようなことがなく、生活は「今を生きる」という実践に基づいて組み立てられている。

 

感想: 今日の読書会は「ウンコの話しが一番面白かった」と声がでるほど、ウンコの話しがたくさん出ました。多摩川で野宿している人たちはウンコロードと名付けた道の脇にトイレをしていて、そこを通る時は人のものが気になり、その後も論評していたとか。その他、建築の話しから、欲望形成支援の話しなど。内山節の『時間についての十二章』を紹介していただいてたので今度読んでみようと思います。

 

おそらく時間というのは、昔は複数あって、個別的であり、実態として存在するプロセスと一致していたのだろうと思います。陰暦が植物の生長のプロセスと一致していたように。個別具体的でない、普遍的な時間というものが生まれた時、時間はプロセスと切り離され 、空虚な、ただ計測できるだけの何のプロセスも伴わない時間が生まれたのだろうなと思います。

 

効率化のために、それぞれの人のプロセスは違うのに、たくさんの人を集め、90分一斉授業みたいな、一律にさせる発想がただの刻みでしかない時間の典型的な例だろうなと思いました。

 

 

 

 

chanm.hatenablog.com

 

 

 

「時間」のイメージ4つと動きだした種

2/10日曜日、14時からちいさな学校鞍馬口で「自分の「時間」を知る」ワークショップを行います。10日は正式募集が今日からなので鋭意募集中です。8日は大阪富田のカフェコモンズでも「時間」の短い発表とジャンル難民ミーティングを行います。

発表に先立ち、「時間」というプロセスの捉え方をどう説明するか考えていて、昨日はオンライン当事者研究などでもその相談をしていました。

 

「時間」を把握し、実用的に利用するための4つのイメージがあります。まずは、1秒、1分、1時間というような実際の時間です。ここでは、全ての物事を変化させていくもの、変化のプロセスとしてのイメージをかりています。そもそも「時間」と表現するのは、日常語でも比喩的に「あの時から私の時間は止まってしまった」とか、「そこから私の時間は動き出した」などと表現される場合もあることからです。

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2つ目は「種」のイメージです。種はそれぞれに必要な条件が満たされれば止まっているような状態に変化が訪れ、自律的に生長展開していきます。1秒、1分という実際の時間は止まりませんが、種には止まったイメージがあります。人間の精神におこるプロセスは、必要な条件がみたされなけば動きだしません。あるいはプロセスに必要な条件が奪われれば止まってしまいます。「時間」が動くことは、外面的には種に必要な条件が与えられ、自律的な生長展開がおこるようなことです。「時間」が動き出した人は新しい活動を始め展開させようとしているかもしれません。

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種のイメージは、必要な条件が揃うこと、自律的な展開のプロセスを持っていること、そして止まったイメージを持ってもらうためのものです。

 

3つ目は「たき火」の燃え残りのイメージです。「時間」を動かすとは、燃え残ったものを灰に帰していくこと、消していくことともいえるからです。燃え残ったものを火の中心に寄せたり、燃えかすで埋まって空気が当たらないならかき混ぜて空気を当ててあげます。火の中心、とは自分にとって何でしょうか。また空気をあてるとは自分にとってどういうことでしょうか。

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「時間」を動かすことには、充実や希望、解放感が感じられますが、それは終わらせていなかったものを終わらせるプロセスに対して感じられていることであると考えています。ある人が「自己実現」して外面的には多くのものを獲得するためにやっているように見えても、内面では、それは終わっていないものを終わらせるための試行であると認識しています。

 

4つ目は、研究仲間である珍妙さんから紹介してもらったイメージですが、歯車のイメージです。これは「時間」という捉え方そのものについてのイメージというよりは、「時間」という捉え方を日常に応用する際のイメージといえるかと思います。

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大きな時計のなかに大小様々な歯車が動いています。大きな歯車はゆっくり、小さな歯車は速く動いているかもしれません。ただこの時計は生きている時計なので、正確に1秒を刻むのが目的ではありません。

 

自分の日常が様々な歯車によってできているとイメージするとき、自分にはどんな歯車があって、それぞれの歯車はどんな大きさで、どのように関わりあっているでしょうか。

 

どこかの歯車が調子が悪くなると、全体の調子も悪くなります。大きな歯車が動きにくいなと思うとき、直接大きな歯車を動かすのは大変かもしれません。その時に小さな歯車の調子を良くすることができたらその影響も全体に広がります。

 

その考え方で調子悪いときは悪いなりの機会を生かして整えられることを整えると、やがて整えによって精神の活力が回復していくと思います。

「時間」は見えないプロセスをつかまえ、そこと肯定的な関係性を結ぶ実用的な言葉として提起しています。はじめから考えずに「時間」を中心にできて、自分の行動や実践と「時間」の関係をうまく結べる天才的な人もいますが、つい思考による停滞を招いている人には「時間」という概念を必要に応じて取り入れてもらえればと思います。

 

昨日、ある漫画家の人が龍谷大学に来て行った講演に行かれた方の話しを聞いたのですが、本やネットで受け取っていた感じが変わって、新しい関心や興味がわいてきたそうです。

 

そのことを「時間」の種としてのイメージを通すと、自分も知らなかった種に必要な条件が満たされ、新しい動きがはじまったととらえられます。その新しい動きは種が発芽して生長していくように、これからも続きうるものではないかと思います。

 

自分をたくさんの種が埋まった庭のようであるとイメージすると、そこには自分も知らない種があります。自分の知っている自分の力が今足りないからといって打ちひしがれることはないのだと思います。種のほうから自分になにかの兆しとして打診がきます。その兆しに気づき応じられるように、自分を追い詰めず、なるべく強迫的な状態を減じて整え、待つことが重要なのだと思います。状況を展開させるのは、非力な自意識の力ではなく、種の自律的な展開の力であると思うからです。

 

既知の自分がどれだけ正しいことを考え実行するか、どれだけ能力があるかが自分のこれからを決めると考えると、自意識は追い詰められ、種からの打診や兆しに気づかなくなります。逆に種である「時間」を信頼できるようになると、自意識は余裕をもち、地に足がつき、種の自律的な生長展開をサポートできるようになります。

 

既知のものにしがみつくことは、実のところすでに追い詰められた結果として現れる症状ではないかなと思います。自分のなかには見えないけれど既に動こうとしているものがあり、それが自分を閉じた閉塞から新しい状況に導いてくれることへの信頼を深めると生きていることの感じかたはまた変わっていくと思います。

 

 

 

 

止まった「時間」を動かすために 安田純平さんと捕虜体験者の方から

同じ施設に捕まっていたカナダ人ショーンは帰国後、自宅にあるトイレを自分専用にして家族には使わせないという。鍵をかけたくないし、自分以外の人が入れたり閉じたりできるのも嫌なのだと。いまでも、睡眠から覚めると両手を広げ、あの棺のような独房にいないことを確認して安心するそうだ。我々にしか理解し合えないだろう感覚的な共感があって、いっしょにいて妙な安心感があった。

 


止まった「時間」。精神に強烈に食い込む環境に遭遇すると、そこから解放された後もその感覚は精神に残ったままになるようです。

 

時間がたっても繰り返しみるあの夢。自分は今でもあの場所、あの空間にいる。

 

よく「あの日からわたしの「時間」が止まっている」と表現されるのは、そのせいなのではないかと思っています。

 

日々、様々な経験をするなかで、「時間」が止まったその時のリアリティに近い経験、弱い、象徴的な体験でも効果があるのではと思いますが、忘れていくことはそのように進んでいくのではないかと思います。

 

一方、積極的に止まった「時間」を動かそうとする人たちもいます。そのような人たちは、かつての自分のような存在に、提供されるべきだったものを提供するということを選んでいるようです。助けるものが癒されるという「ヘルパーセラピー原理」もそのことに関係しているのではと思っています。

 

同じ苦しみを経験した人は互いにとって回復を進める存在になります。ヴィクター・ターナーは、それをサファリング・コミュニティといっています。そのことも、お互いが同じ繊細さを持てるということと共に、「時間」が止まったリアリティが喚起され、止まった「時間」がほぐれ、動いていくということなのではないかと考えています。

 

たとえるなら血液が体をめぐるように、気が循環する精神があって、その気の通路では止まった「時間」が通路を部分的にいくつもふさいでいて、流れを停滞させているように思えます。そして気が巡るたびにそこにある止まった「時間」が何度でも体験されるのではないかと思います。

 

言葉をもって生きる人の充実は、止まった「時間」を動かし、溶かして、ふさいでいるものがなくなった感覚なのではないかと考えています。いわゆるトラウマ的な体験だけでなく、個々人には止まった「時間」があり、個人は意識せずにいても、その「時間」を動かすようなことに近づいてしまうようにみえます。

 

ダルク女性ハウスの上岡陽江さんが「その後の不自由」で紹介されていましたが、ダルクには、思い出づくりという言葉があるそうです。

 

私たちのハウスにいるのは、誕生日やひなまつりのお祝いとか、一緒に食事をつくって食べるということをやってもらったことのない人たちです。あるいはそういうたびに暴力にあっていたとか、ひどい思い出しかなかった人たちです。それをみんなで、安心であたたかい体験に差し替えていくわけですが、あるメンバーがそのことを「思い出づくり」と言いました。私はまさにその通りだと思います。そしてこの「思い出」の中身って何かなと考えると、「出会い」と「生き抜く知恵」ではないかと、私は自分のことを振り返ったときに思います。 上岡陽江『その後の不自由』

 

僕は上岡さんのいうこの「体験の差し替え」が「時間」を動かすことであるのではと思っています。実のところは、僕は精神があたたかい思い出で満ちあふれる必要はなく、多分、止まっていた「時間」がほぐれ消えていけばいいのだと思っています。それだけで十分に精神は活気に満ち明るさを取り戻すと思うのです。

 

 

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