第15回当事者研究交流集会 民間学・在野学としての当事者研究
第15回当事者研究交流集会へ。
当事者研究の幅は、場面緘黙、ジェンダー、支援者とだんだんに広がっている。向谷地さんや熊谷さんは当事者研究のネットワーク化を考えているという。
いいと思う。一方で今後当事者研究がどんどん広がっていくというイメージがどうも持てない。
当事者研究は良くも悪くもコアなのだと思う。ある程度以上の苦しみをもった人にとっては適合していると思う。しかしそれほど苦しみが意識に浮上していない人にとっては、見たくない部分を認めていくというのは難しいのではないかと思う。そもそもやろうとは思わないのではないか。「色」がついたものにに近づこうとはしないのではないか。プライバシーの問題もある。当事者研究はかなり赤裸々なものだ。
今回、午後に様々な分科会があって、僕はそのうちの一つ、こども当事者研究に行った。そこは発表者がてつがく対話をやっている人たちだった。僕はてつがく対話と当事者研究は通じるところが多いと思っている。そして必ずしも赤裸々にプライバシーを公開する必要もない。もし当事者研究的なものを広げようとするなら、看板は当事者研究ではなく、てつがく対話でいいのではないかと思う。てつがく対話のなかに、バリエーションとしてコアな「当事者研究」があるというように。
また、当事者研究が幅を広げていくと、何が当事者研究なのかがだんだんとわからなくなっていくのではと思う。関西当事者研究交流集会で非モテ男性の当事者研究があって、会場は大ウケで内容も秀逸だったのだが、この当事者研究とこれまでの当事者研究はある種ジャンルが違うと思った。どっちが正統とかよいとかそういうことでなくて、別々のものだと思った。できたら別々のものが両立しうる環境が作られればいいと思うのだが、毛色の違ったどの研究も当事者研究という言葉でなんとなくよんでいると、何をやっているかが掴みにくくなっていくのではないかと思う。
「当事者研究」を真ん中に置いてどんどん押していくよりも、実質的に当事者研究もできる枠組みを設定したほうがいいのではないか。
たとえば、当事者研究をいわゆるアカデミズムとは異なる知の体系としての「民間学」とか「在野学」のようなもののなかに位置づけたらどうか。いわゆる学問的な証明のようなことがきっちりかっちりできなくても、学問で対象としずらいようなところでも、自らの感性と経験で探究、研究していくような学としての「民間学」、「在野学」だ。
たとえば、幻聴に人格を与えて人として扱ったり、お茶を幻聴に与えたりして、「対話」していると幻聴はだんだんとマイルドになっていくということが当事者界隈的には確認されている。この現象を学問で証明できないからといって探究を中断するのは勿体無い。当事者は自分の必要にあわせて、どんどんと探究していけばいいではないかと思う。別にそれを義務教育の教科書に載せるというわけではないのだから。自分たちが探究していくなかで、発見されたり、支持される仮説はそれとして探究していけばいい。それはいずれ学問とも接点を持つかもしれない。
大地の再生講座という環境改善をやっている矢野智徳さんは、地表の下の水の通りに注目し、土壌を改善している。だが矢野さんの感性で確かめられ、発見されたことと、現在の土木の常識は違っている。土と木という字があるように、矢野さんのやり方では、土中に管を通し、その周りに炭や木や葉っぱなど有機物を混ぜて埋める。そのほうが改善したことの効果が持続的なのだ。しかし、一般的な土木工事では、そういうふうに土中に有機物を混ぜることはNGとされる。
さくらももこさんが民間療法で寿命を縮めたみたいなこともあるかもしれないが、民間療法がエセ科学だからと強烈にバッシングしてもやる人はやるだろう。むしろバッシングに隠れてやってしまうよりも、バカにしたり責めたりせずにやっていることをオープンにしても大丈夫にして、現代医療も含め、様々な見方がそこに入ってくるようにしたほうがましなのではないか。常に盲信に気をつけ、探究的であること、リテラシーを深めていくことで、危険は抑えられるのではないか。
「民間学」や「在野学」として、個人が実践的に自分の興味を探究し、それが発表される場を作ればいいのではないかと思う。ジャンル難民は割といるのではないか。すでにあるカテゴリーにはまらない、複数分野や境界領域の探究をする人たちが作るオルタナティブな知のあり方を盛り上げていくのはどうか。当事者研究だけをどんどんおしていくよりも、個々人に学びと探究を取り戻した「民間学」、「在野学」の土壌を作ろうという方向で流れを作って行く時、当事者研究もまた自然と盛り上がりと展開を持つのではないかと思った。
広瀬正『マイナス・ゼロ』 記憶のあり方と喚起 そしてノスタルジー
広瀬正『マイナス・ゼロ』。
タイム・トラベルものということで、紹介されているのを見て、気になっていたのを読む。
タイムファンタジーやパラレルワールドものには強く関心がある。
1945年の東京。空襲のさなか、浜田少年は息絶えようとする隣人の「先生」から奇妙な頼まれごとをする。18年後の今日、ここに来てほしい、というのだ。そして約束の日、約束の場所で彼が目にした不思議な機械――それは「先生」が密かに開発したタイムマシンだった。時を超え「昭和」の東京を旅する浜田が見たものは? 失われた風景が鮮やかに甦る、早世の天才が遺したタイムトラベル小説の金字塔。
ここでは、過去に行って過去を変えるとその時点から未来が全部変わっていくという設定。映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」などもそうだった。一方、ドラゴンボールなどでは、タイムマシンがあって、過去で何かを変化させても、世界は分割されるだけで、悲劇の世界は悲劇のままであり、一方にその悲劇を回避した世界が生まれるという設定だ。
内容については、はてなでもいくつも紹介記事があるのでそちらにお任せする。
タイムトラベル 今ここはマイナス・ゼロ - 本を読んで社会をのぞき見
広瀬正『マイナス・ゼロ』読了。 - nekoTheShadow’s diary
内容、特に終盤の構成がとても面白かったが、あとがきに一番興味をひかれた。作者が実際にした体験が紹介されている。米兵に殴られ、意識を失った筆者は一年間の記憶を失い、しばらくの間、今が戦時中だと認識し、なぜ空襲がくるのに灯りがついているのかとか、自分や周りの服装がおかしい、などと混乱してしまう。
私は一度、ほんのしばらくの間だが、記憶を失ったことがある。
終戦の翌年の春、私は東京八重洲口の前にあったキャバレーで、ダンスバンドのバンドマンとして働いていた。ある夜、仕事を終えて、鍛治橋のあたりを歩いていると、向こうから四、五人の米兵がやってきた。すれちがいざま、米兵の一人がいきなり私にアッパーカットをくわせ、私は歩道の上にのびてしまった。(当時は、よくこんなことがあったのである。)
どのくらい時間がたったかわからないが、私は息を吹き返して、立ち上がった。頭のなかががんがんしていた。あたりの様子もどうもおかしい。
・・・あかりがたくさん見える。なぜ灯火管制をしていないんだろう。空襲があったらどうするつもりなのだ。それに自分は変なハデな服を着ている。どうしてゲートルを巻いて、防空服装をしていないのか。
確か十分ぐらいで、正常に戻ったと思う。その十分の間、私は約一年ぶんの記憶を失っていたわけである。
この話をSF作家の友人にしたら、「十分間、過去の世界へいっていたわけだね」と笑った。しかし、私はその反対だと思う。
一年ぶんの記憶を失った私は、主観的には”空襲中”の人間だった。それが、辺りを見まわしてみると、”終戦後”の世界にいたので、驚いたのである。つまり、私は”未来”の世界へ行った体験をしたといえる。私はこういう物の考え方が好きで、それをいくつも積み重ねて行くうちに、「マイナス・ゼロ」のストーリーが出来上がった。
筆者は自分が体験したのは未来だという。まあ体験としてはその通りだともいえるだろう。だが僕が取り上げたいのは、過去の認識体制が現在としてそのままよみがえるというところ。
僕は人間の精神の世界は時系列を持たず、過去のものも同時に現在にあるようだと思っている。認知症で時系列の認識ができなくなる場合があるが、あれがもともとのベースの状態なのだと思う。時系列がなく全ての記憶が現在にあり影響を受けている。
そのうえで、時系列という便宜上の処理が重ねられて、過去と現在が分けられて認識されるのだと思う。
新しい脳は悪口をいう時、自分以外に言っているとわかるが、同時に古い脳はそれがわからず、自分に言われているように受け取っているという。認識は少なくとも二重に行われており、意識上は新しい脳の判断が受け取られるが、古い脳はダメージを受けているというようなことがおこっている。
そんなふうに、現在と未来は意識上は分けられるが、同時に時系列が関係なく現在に存在しているように感じられていると思う。
過去のことは、現在からは失われており、無いものと意識される。ところが実際にはずっと影響を与え続けていて、40年生きていたとしたら40年の記憶が現在に同時的に生きている。だが過去の記憶はあまりに意識をあてられる機会がない。
ヨーロッパなどで、何百年も前の街並みの姿が維持され重要視されるようなことは、そのことによって、そこに5歳の時の記憶も、20歳の時の記憶も、70歳の時の記憶も同時に喚起されるからだと思う。今まで生きてきた全ての部分が重ねられ、喚起されることは豊かなことなのだ。
接点を失っていた古い記憶が何かの刺激や誘因で浮かび上がる時に喜びを感じると思う。風景が変わると、あれは5歳の時の風景、あれは30歳の風景とそれぞれが引き出されるための刺激や誘因が変わってしまう。精神は、できるだけ多くの記憶が喚起され、引き出される環境が好きであり、そのことで活性化されるのではないかと思う。
あと、タイムファンタジーものには、失われたものともう一度出会うということが含まれている。
人間は失われたものに対する強いノスタルジーをもっている。それは知恵の実を食べ、言葉を手に入れ、過去と未来を手に入れた代わりに、世界との一体性を奪われた疎外された人間がもとの一体性を希求するためだと思う。故郷は遠くにありて思うもの、なのだ。失われていることによって、それは本来のリアリティを持ちうる。
時系列を踏まえている状態では、時系列がないもともとの状態を体験することができない。言葉をもって世界を認識しているとき、言葉以前の世界を体験することはできない。ただ、「失われたものに出会う」というかたちをとらせることによって、「たとえ」としては、感じることができるのだ。
折に出会う本
藤沢周平の『一茶』、考えてみれば小説を一冊読んだのは最近珍しいかもしれないと思った。
ここ最近で少しマシになったけれど、本を読む負担感が大きい。藤沢周平は例外的に苦しくなく読めるなと思っていたけれど、短編は読めても一冊はちょっとしんどいなと思い、読まないままになるかもと思っていた。
けれども結局読めた。一茶自身というよりは、登場人物に魅力があった。たとえば、一茶の仕事の口を見つけてあげる露光。露光は元御家人だが家を捨て、俳諧師になっている。仕事の口を紹介した時には一茶にうどんと女を奢らせている。卑屈なところもあるが、一茶の才能を見抜き、一茶に道を与えた。一茶は時に露光を金にたかる厄介者や自分の餌場を奪う者のように思う時もあるが、露光には一茶が思う以上の矜持があり、一茶に自分のようにはなるなと吐き捨てる場面もある。露光は旅先で行き倒れ、それは本望であったとも思われたが、俗な一茶には露光のような最後は決して受け入れたくないものとして感じられる。
豪商であり、一茶の俳諧の師匠でもある成美も底が見えない人物で、次に何を言うのかが登場のたびに楽しみになる。
成美は、元夢の話を聞きながら、眼を垣根の先の林に向けていた。そこには梢を漏れる午後の日射しが、欅の白っぽい樹皮の上や、地上に斑らな光を投げかけている。
弥太郎(注:一茶)は、時どき眼をあげて、成美の顔を盗み見た。成美は四十前後の年恰好で、面長で、艶のいい顔をしていた。広い額や、引き緊った唇のあたりに、内側に鎮静している才気がうかがわれる。
「ほう、俳諧師に?」
不意に成美が言って、弥太郎に眼をむけた。切れ長の、濁りのない眼だった。商人の眼ではなかった。その眼に、弥太郎はいきなり心の中をのぞきこまれたような気がして、眼を伏せた。笑われるかと思ったが、成美は笑わなかった。柔らかい口調で、成美は問いかけてきた。
初対面の自分の前で、不自由な足を隠さなかった成美に、少し度肝をぬかれていた。やがてそれは静かに心を揺さぶってきた。
ーー人はあのように生きるべきなのだ。
貧しさも泥くささも、卑屈な心さえも、隠すことはないと、成美の踊るようだった身体が言ったような気がした。
俳諧師になりたいなどと言ってきた男が、じつは信濃の百姓に過ぎないことを、成美はいち早く見抜いたに違いなかった。蔑まれないのは不思議だったが、そのわけが呑みこめたように思った。好きなら、なればいいと成美は考えているのだ。
正直、現金な一茶には奥行きがあまりないのだが、一茶と関わる人たちは見えているものの向こうに何かがある感じがする。
さて、ある時期の自分にとって必要なものと出会うということがある。中学校の不登校の時に、父親が司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を買ってくれたのだが、封建社会の秩序が壊れていく時代の志士たちの個性や生き方は、レールから外れ、どこに行くのかもわからなかった自分にとって、ある種これからのイメージをくれるものだっただろう。
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北海道へ行き、1年で愛媛に帰ってきて全日制の高校に通ってまた行き詰まって、大阪の通信制の高校に行くと決めた時、ふと本屋で気になって手に取ったのは、それまで一冊も読んでいなかった村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』だった。空虚な主人公が誰かに運命を操られているかのように不思議な出会いを重ね、導かれる。主人公はかつての恋人の足跡をたどっていくなかで、不登校の子どもと出会い、当時は遠い存在だった同級生と出会う。
彼らのやりとりのなかで、互いが喪失したものが確認されていく。その確認は彼らにちいさな救いを与え、回復を与える。彼らはそれぞれの世界のなかで行き詰まり、閉じ込められている。そしてそこでおこった回復は、より大きな喪失を受け止めるためのものだったように思う。そうしてそれぞれの閉じた世界や状況はどうしようもなく壊され、開かれる。
『ダンス・ダンス・ダンス』の内容は、全日制の高校にあわず、また家族ともあわず、大阪に行こうとしている自分と符号しているように思えた。何の予備知識もなく、直観的にとった本が自分の行く先を支持しているように感じた。
藤沢周平の『一茶』もそのような本なのかもしれない。途中で43歳になった一茶に、江戸で名をあげることを諦める時期が来る。世知と才気を兼ね、時流にのる俳諧師と一茶の明暗は残酷なほどはっきりしていた。と同時に、一茶の句に一茶ならではの味がのってきた時でもあった。
自分もちょうど43歳だ。バイトと畑と活動で好きにしているとはいえ、その継続が何か世界を開いていくと確信があるわけでもない。むしろ閉じていくのではないかとも思える。活動を展開させようとはしているが、それに本腰を入れられるのかどうかが自分でも半信半疑なところがある。
世間で生きていけるように、着実に何かを積み立てていくようなことはしていなかったし、今更するつもりもおきない。農民の出のくせにクワも握らず、旅先でわらじ銭をもらう一茶、露光のような末路をおそれる一茶と自分は変わらない。
困難があってもやっていく気概があるわけでもない。一方でキリギリスのように惨めなつまはじきになる覚悟があるわけでもない。このままの気分でやっていって開けるような気もあまりしていない。が、とりあえずやっていこう。好きに生きていて、年取ったら実家の財産を横領する一茶の身もふたもなさ、そういう自分の地に着く機会にもなるかもしれない。
藤沢周平『一茶』 自律的なものと繋がること 刻まれたものの変化
藤沢周平『一茶』。
朝帰りする一茶に村の老人が「ふん、いい年して」と吐き捨てる。老人は自分の息子夫婦を含め、誰かに悪態をつくのを生き甲斐にしている。
惨めさ。自身に受けたことへの不条理感。自分がこのようにひどい目にあい、惨めで救われないのに、そんなことを気にすることもなく、のうのうと生きている人たちへの怒り。嫌われているのに、日々の生きるエネルギーはきちんと獲得されている。
それは甘えるということなのだろうか。甘えるときにエネルギーが獲得される。自分の痛みを人に味あわせるときの甘え。無論周りからは疎まれるから、長期的にみれば自滅的ではあるけれどエネルギーを獲得する「主体的な」行為でもある。
主体的であるといわれる状態は、何かを自意識だけでやっているのではなく、自意識に属さない自律的なものとつながっている状態だ。ただ自律的なものは未分化なエネルギーであるので、つながりながらもそれが破壊的にならない通路を作ってあげる必要がある。
自律的なものとのつながりを無視するほうが生きやすい環境に入れられて、自律的なものを感じないようにしていると、世界の見え方、感じ方が変わらなくなってしまい、その分余計に意味や刺激を求めるようになる。
ある環境が息苦しいとは、精神の呼吸が止まった状態、つまり更新のプロセスが必要なのに得られないという苦しさなのだと思う。それは意味に強迫され、恐怖や不安のほうに動かされいる状態だと思う。あるいは環境が自分に提供する体験が貧困で、必要な体験が得られないような状態ではないか。
意味への強迫が薄れているとき、人は、子どもから今までに体に刻み込まれ、止まっている記憶の時間を動かす行動を自律的にはじめるように思う。自分がしているその行動の意味などわからなくても。
老人は主体的といったが、しかし一茶に悪態をついた老人は、日々のエネルギーをその場その場で獲得しながらも、全体的な体力が落ちるように疲弊していくだろう。より必要なことをみたすことにはつながっていないからだ。
エネルギーは得るものの、強烈な刺激で感覚をマヒさせていて、また人からも攻撃されるだろうから、より繊細な求めを感じることが難しくなっている。罵倒でエネルギーを得るという、一旦出来上がった体制が不十分でもそれにしがみつく。
生きものは、いびつになろうが何だろうが、何が何でも生き残ろうとする死にきれなさに駆られ、同時にその場しのぎでやり過ごそうとする。長く生きることより、その場をしのぐのが重要になる。それが長期的には不利になったとしても。
最悪の状況は一度だけしか体験しなくても、それが延々と続くという設定が精神の体制のデフォルトになる。何が何でも生き延びるためだ。しかし、何が何でも生き延びようとするがために実際上はそれが不利に働くという本末転倒もおこる。
そういう元々の生の偏りを解除していったり打ち消していくのが、文化ということになるだろうと思っている。偏りといってもそちらが元々なのだから、文化とは放っておかれた状態から逸脱であり、過去のくびきからの逸脱なのだろうと思う。
老人の体制がいつもの通り働かないような状況での出会いが、自分自身の体制に閉じ込められた老人を解放しうるのかなと思う。もしそういう状況へのつながりに恵まれるのならば。
在野として探究することの短所 補いと出会い
月曜日に大阪の当事者研究の会、通称「づら研」(正式名称は「生きづらさからの当事研究会)で発表の機会をいただいた。
づら研やづら研の母体である「なるにわ」については、以下の書籍にも詳しく載っている。
先月17日にあった関西当事者研究交流集会で配布された抄録に書かせてもらった文章をづら研を主催している山下耕平さんが読んでくれて、これを発表しませんかとお誘いをもらった。
僕は博士課程に進学して、その先アカデミズムの仕組みのなかで自分がやっていけるとは思わなかったし、自分が近づきたいことに近づくにあたってはその場所は迂遠だと思った。
僕にとっては、自分が見つけたことを他人に証明したりする必要はなく、見つけたことが自分に「効く」かどうかが重要だった。
自分の知りたいことは、大学の外で探究していく。自分がここだと思ったところにおもむき、必要なことを受け取る。落ち穂拾いをしていくように。
それは自分なりに自分の求めを進めていく工夫であり、自分にあったやり方だった。だが、当然デメリットもある。それはまず自分の関心や探究が深まっても、それを共有したりフィードバックしあえる「人間環境」がなかなかないことだ。
大学であれば、たとえば同じ研究室仲間だったり、学会での出会いなりがある。また院生なり研究者なりの肩書きを背負っていれば、民間の私塾や学びの場のような、大学の外で自分の探究を話す機会もやってくる。アカデミズムの看板があるから、招くほうもその研究者の存在を知れるし、招くことにも安心できる。
だが在野だと、そのような公的のネットワークから外れていて、「私」の環境しか持ちにくい。世界の広さは、自分が直接どこかにいって人間関係を結んだ範囲になってしまう。もし同じような関心や探究ができる人間環境があれば、探究は進むし、日々はより充実するだろう。
自分が何かの企画や活動をすることは、この「私」の環境や関係性に限定されてしまいがちな状況に対して、不足を補う役割がある。何かの活動をすることで、自分と共通する関心を持つ人が集まるし、既に知っている人も活動を通して関わると一本の糸のようだった関係性が、筋繊維のように複数の糸でよられたようなものになる。
在野で探究していくものにとっては、探究を続けていくためにも、人間環境を豊かに充実させていくための環境づくり、仕組みづくりが求められてくる。限られた自分の裁量でそういうものを不足なく作っていくということはなかなか難しい。
そして大学の看板がないということは、権威も保証もないということなのだが、そういう人の言うことや考えることを、それほど真剣に受け止めてくれる人はあまりいない。同じことを言ってたり考えたりしていても、これは誰先生が言っていてとか、著名人を引きながらでないと、あまり受け取られない。探究は、人にわかってもらうためにやっているのではないが、人間環境の広がりがないと探究環境も貧困になるので、人に関心を持ってもらって、機会をもらい、人間環境を広げることは重要になってくる。
できること、整えられることはやっておく。それは僕にとって、考えをより練っていくこと、凝縮させていくこと、端的な言葉でその問題となっていることの核や構造を示せるようになっていくことだ。本気で探究している人は、常に問いのヒントを見つけようとしている。通りすがりの短い言葉や表現であっても、それを拾う。同じ方向性を持ちながら、別のあり方で探究をしてきた人。言葉を凝縮していくことには、今この時点の探究のためだけでなく、いつかそういう人に出会いたいという動機もある。
さて、当事者研究交流集会に載せる文の依頼を僕にするということは、看板や肩書き抜きのことだ。看板や肩書き抜きに、その部分を信頼してもらったということだ。そういうことはあまり起こりえないことだ。それだけでも大きなものをいただいたが、その機会がまた「づら研」での発表という次の機会につながった。づら研で機会をいただいたこともまた、看板や肩書き抜きの中身で受け取ってもらったことだ。
づら研にはこれまでも参加者として何回か参加させてもらっていたが、今回発表ということでづら研のみなさんとまた新しい関係性が生まれた。一本の糸だった関係性のあり方が二本に、あるいはもっとたくさんの糸がよりあわされた状態になった。すると世界の広がりがおき、今後におこってくることの広がりが変わってくる。ここからまた何か縁をもらったり、話しをもらったりという可能性が開かれる。
自分が生きていくといっても、出会うもの、向こうからやってくるものに自分の生は依存している。自分ができることは整えまでであって、「人事を尽くして天命を待つ」というと大げさだが、できることをしてゆだねる。そのことで生が成り立っている。
つい、自意識としての操作、コントロールで生が成り立っていると思ってしまう。すると生は重荷になる。背負いきれないものを背負ってしまう。自分がやったから当然の結果として生は獲得されたのだと思うと、獲得していない人だと自分が認識する人は努力をしていない人だ、甘えている人だとなる。自分にも相手にも不幸なことだ。
それは「人事」を放棄するということではない。投げやりに生きることではない。より繊細に生を理解することだ。人事や努力だけで状況が成り立っているのではない。それが見えないと自分を追い詰めてしまう。自分の操作とは関係ない世界の流れがあり、そのなかで生きている。生まれたこと、生まれた場所、誰から生まれたか、どのような体をもったか、何に、誰に出会ったのか。多くの決定的なことは自分の操作外のところにある。
何かの活動をするのは、つまるところ、ゆだねるべき何かをゆだねるためだ。自分の操作外の自律的なものの力を貸してもらう。そのことによって、自分は重荷から解放される。そして逆説的だが、あくせくかき集めていた時よりも多くの豊かさがやってくる。強迫に埋め尽くされている精神に空間と時間を提供する。そのことで自分と世界は変わっていく。
降りるとはどういうことか 場の震えとその受容
ここ最近、幾つかの場に出た。自分の求める話しの場はどんなふうな場だったらいいのか、少し考えられた。
当事者研究界隈の人とは「降りている/降りていない」という言葉で通じるが、そこを共有しない人にはどういえばいいか。
個人的な理解では、降りているというのは、自分のコントロールだけでは自分はどうにもならないことが受け入れられていて、話しの場で自分の弱い部分を出せる状態。それは場に対するシェアになる。その時、場は震える場となっている。
その震えは磁場のようなもので、その磁場が発生している時、各人の思考や発言は影響を受ける。そして影響を受けた状態で自然に思い浮かぶこと、出てきたことを話すと場は重層的な豊かさを持っていく。
自意識が何かを獲得しよりマッチョになるためでもなく、さりげなく自分の自慢をするのでもなく、場の震えを受け入れるとき、浮かんでくることがある。その働きは自律的な働きであり、直接的な自意識の操作やコントロールに属するものではない。
そしてここで震えを受け入れることによって、止まっている自分の「時間」が揺れ動き、流れはじめる契機が生まれる。その流れに自意識が降伏することによって、降りることができる。その時、精神は重荷から解放された明るさと知性を獲得する。
明るさは既知の自分、この自分を操作することでしか生きていけないのではないことを知るためであり、知性はその既知の自分ではない新しいもの、自律的なものとの関わり方を知るためだ。当事者の知性はここにあると思う。
せやろがいおじさん 差異化された差異 解放としての笑い
せやろがいおじさんのインタビュー記事があった。
せやろがいおじさんは、沖縄にあるオリジンコーポレーションというお笑い事務所に所属しているリップサービスというお笑いコンビの榎森耕助さんだそうだ。
――しかし、なんでこんなにウケたんでしょう。
ネットとかで意見を発してる声の大きい人たちって、ちょっと言葉が汚かったり、偏っていたりすることが多いと思うんですよ。「せやろがい」も、「自分の意見はこれですよ」っていうのをはっきり言うけれど、「相手のスタンスもわかるけど」と理解を示した上で、汚い言葉は使わないようにしています。
そのうえで「笑かしたいんです」といったのが受け入れられたのかな。
せやろがいおじさん、バランス感覚なのだろうと思った。現実を追究したときに、伝わるということがどういうことなのか。「正しいこと」はたとえ妥当であっても、別の側面では強迫と何かしなければいけないような押しつけがましさを与えてもいる。
正しいか正しくないかをおいて、多くの人に何かを伝えるには、直接的に訴えるのではなく、まずそのことを受け入れられる基調、基盤をその人に提供する必要があるのだろう。
また人に対する表現はまず贈る行為なのだということでもあるだろう。波及効果を目指すなら、義務や強制を感じさせるより、喜びや解放のほうを贈るのが目的であると先方に感じ取られる
矢原隆行さんの『リフレクティング』にはアンデルセンの言葉が引用され、人は自分と距離(差異)が大きすぎるもの受け取れないこと、「適度な差異」が変化を生むと述べられている。相手に何かを伝えたい際に工夫することができるなら、提示する差異を、気づかないような小さな差異、受け取れない大きすぎる差異でもない「適度な差異」に調律することなのだろう。
ベイトソンが情報とは「差異を生む差異」であると指摘したことはよく知られていますが、アンデルセンは、それを踏まえてさらに「差異を差異化する」ことの重要性を指摘しました。そこで示されるのが、「小さすぎて気づかれないような差異」「気づかれるのに十分な差異」「システムを壊してしまうような大きすぎる差異」という三つのタイプの差異です。これらの差異のなかで「適度な差異」だけが次なる差異、すなわち「変化」を生み出すことができます。アンデルセンは「意味を創造する者たちが、お互いに他の者から丁度良いずれをともなった意味を生み出すなら、彼らは相手のアイデアを受け入れることができるだろう」と述べています 矢原隆行『リフレクティング』
意見が極端になっている場合、そこに「正論」はもう通じないのだろう。排外主義など極端になっている場合にも、そこから移行するには情報のグラデーションが提供されることが必要なのだろう。
あと笑いということがそもそもどういうことなのかなと考えたとき、高まっている圧力が解放されることなのかと思う。人を蔑み馬鹿にするような笑いも、背景にはその人のなかに高まる耐え難い圧力の存在がある。ガス抜きというような言葉もあるように。その圧力が高まれば、人は不適切なことでさえやってしまう。
日常でも様々な場面で笑いがある。それは放っておいても圧力は自然と高まって人を圧迫しているということなのかと思う。高まる圧力は新しい行動や創造的な活動につながるものでもあるので、単に圧力が解放されたらいいというものではない。圧力に乗っ取られず、自分が自分としてある方向で、その解放をめざすことが重要なのだろう。
せやろがいおじさんの動画は、贈るものとして、綺麗な海の映像やお笑いとして日常で高まる圧力を抜くと同時に、メッセージも一方だけの価値基準の宣告でない、ほどよい差異化がされている。ドローン撮影でおじさんが芥子粒のように小さく消えていくのもアップでのメッセージや圧力の強さや圧倒性の副作用、おじさんが強く正しくなり過ぎてしまう効果を打ち消すものだろう。
ところで、見過ごしてしまいそうだったが、一点気になるところがあった。「笑いの純度100%」という言葉だ。
本当は笑ってほしいんです。実はこれって卑怯な動画で、笑いの純度100%の動画ではないんですよね。僕は漫才という笑い純度の手法でしっかり注目集めたかったんですが、10年近くやってそれができなかった。
だから、とりあえずみなさんが興味のあることを喋って、そこにちょっとでもお笑いの要素を入れれたらな、みたいな。ある種芸人として悔しい部分もあったりする感じですね。
もちろん漫才での勝負も並行してやってて、全然諦めてないです。せやろがいおじさんが入り口になったらいいなと思います。
「笑いの純度100%」というものはあるのだろうか。非政治的な笑いだろうか。社会問題と関わらない笑いだろうか。ある笑いが「笑いの純度100%」だという思想があるとき、僕は逆にそこにとても政治的なイデオロギーがあるとしか思えない。あらゆるいびつなもの、強迫的なものは笑いの対象たり得るだろうと思う。
「純粋な笑い」とは、笑いを「こうあるべきもの」と権威化していて、そこに序列化をもたらすものともいえるだろう。そんな笑いの権威化もまた笑いの対象にしていいのではないだろうか。
おじさん、ブログも書かれているようだ。