降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

「望まれるように」ではなく ゾンビから人間になっていくために

フレイレは人々が主体であることを放棄させられた時に生まれてくる文化を「沈黙の文化」と呼んだ。そこで人々は受動的な存在になり、他人を主語にした言葉ばかりが使われる状態となる。

 

里見実は次のように述べる。

 

日本の場合は権力者や抑圧者への自己同一化が、ラテンアメリカに比べてもとんでもなく強くて、みんなが自分を小権力者だと思っているようです。それはつまり、人びとの無力感の表明でもあるわけです。子どもが強さに憧れるように、強者に憧れて、そこに自分を投影しています。

いじめについて、学生たちの意見を聞いたりすると、自分をいじめる者の側に仮託して、いじめられる側の弱さをなじる議論が最近はけっこう多くなっています。それほど彼らの無力感が底深いものになっている、ということでもあります。

 

 

日本人が(そのようにいうことを期待されている意見以外の)意見を言えない、自己主張をしないということは繰り返し語られる。そしてそれに対しては大抵、でももっと主張するべきだとか、自分の意見を言うべきだと触れられるにとどまる。

 

個々人がもうちょっと頑張ればいいのだろうか? もうちょっとガッツを持って現実に関われば。

 

事はもう少し根本的なところから考えられる必要があると思う。長い時間をかけて、個々人は望まれるようにしか意見を言わないように教育されてきた。不登校50年プロジェクトのインタビューの中では、かつては不登校でありながら教育の問題を社会に訴える活動をするような元気な子どもたちがいたという。しかしそういう存在はだんだんいなくなったと。

 

フロムは、抑圧者にサディズムの習性がある事を指摘し、次のように述べた。

 

サディズムの目的は人間を物に、生けるものを死するものに変えることである。余すところなく管理し統制することによって、生命はその本質を、すなわち自由を失うからである。

 

日本の社会の現状とは「余すところなく管理され統制され」「生命の本質、すなわち自由を失」った子どもたちが大人になり、親になり、今や社会の大多数を構成していっているというものだと思う。

 

戦後のわずかな年数で、教育における自立した個人を育てる方針はひっくり返された。文部省は個々の教育機関を応援する立場から一転して管理統制を進める主体となった。「沈黙の文化」は一貫して推し進められてきた。個人が個人として育つことができない重層的な環境は年を追うごとに厚みをましていっただろう。

 

個人が他人と違う意見をいえるためにはある程度の自立した基盤が必要であり、壊されていない殻が必要だ。応答的人間関係において、個人の尊厳が尊重される環境において、そうしたものが育まれうる。だがその環境が用意されなければ、個人は自尊感情を持ちえず、権威のあるものを後ろ盾にしてしかものが言えなくなる。

 

そして自身をのびのびと展開させることができず、いびつにされた結果、自分と同じようでない弱者を憎み、抑圧する。その態度は自分が社会からどのように取り扱われてきたのかをそのまま反映させている。

 

必要なものは、それまで社会から「教育」されてきたことから脱洗脳され、リハビリされて自分を取り戻していく空間だ。個々人にもっと主張せよとスローガンを投げかけても意味は薄い。なぜならその主張する基盤、主体がすでに奪われているのだから。

 

その根本の基盤を回復させていくリハビリの場所をつくられる必要があり、時間がそこにかけられる必要がある。それはたとえば市民が自分でつくる夜間中学のような学びの場ではないかと思う。

 

それは、予算が出ないからとか、そういう事は国なりがやるべきだとか、人任せでやれることではないだろう。この社会において、自分が自分として回復していくことは、間隙を縫うサバイバルなのだから。放っておいて殺されるのか、保証もなくわからないところからでもはじめ、生きるのか。

今の社会において、個々人はそれぞれが孤立したケージに飼われているようなものだ。そこでは求められている労働ができさえすればよい。その賃金によって全てはまかなわれる。だが労働を提供した代償の賃金が得られなければ、何も自分に与えることができない。根源的な不安はここにある。無自覚であれ、ここへの圧倒的な依存が人をそもそも不安にさせ、恐怖に揺り動かされてすぐコントロールされる弱い存在にしてしまう。

 

一方、人は世界との繋がりを感じる時、条件づけのない自信を回復していく。孤立したケージから出て、運動不足でか弱くなった足で立ち、直接に世界と人と関わっていくことが自信を回復させていく。自信とは世界との直接的な繋がりの広がりであり、そこに応答されることを知ることなのだから。物質的なものであれ、精神的なものであれ、自分に必要なものをそのような直接的な関係性で自分に提供するように環境をつくっていく。それが次に繋がるエネルギーを自分に充たす。

 

ある人が意見をいうことは、結果的な現象であり、それまでその人がいた環境や人間関係の反映と捉えるのが妥当だと思う。自分の周りに応答的な関係性をつくる。あるいはそのような場所と繋がる。その結果として、内在化されてしまった規範からの脱洗脳がされ、自分が取り戻されていくだろう。どのように小さくとも、応答的な人間関係をつくること、そのような空間をつくることがまず必要だろう。

 

今、日本で権力の後ろ盾のない「強い個人」など絶滅危惧種なのだから、ハッパをかけるのではなく、リハビリと回復の場所を周りにつくっていくことが必要だ。どのように些細であれ、自分が自分として主体を回復していくための場所をつくっていくことによって、そこがコロニーとなり、漁礁となり、生態系を派生させうるだろう。命令をきくゾンビになった自分たちが人間に戻っていく場所をつくる必要がある。ゾンビには自己主張も希望も自信もないのだから。

 

ゾンビ Wikipedia

現実におけるゾンビ
起源
「生ける死体」として知られており、ブードゥー教のルーツであるヴォドゥンを信仰するアフリカ人は霊魂の存在を信じている。こちらについては「目に見えないもの」として捉えている。 「ゾンビ」は、元はコンゴで信仰されている神「ンザンビ(Nzambi)」に由来する。「不思議な力を持つもの」はンザンビと呼ばれており、その対象は人や動物、物などにも及ぶ。これがコンゴ出身の奴隷達によって中米・西インド諸島に伝わる過程で「ゾンビ」へ変わっていった。

 

伝統的な施術
この術はヴードゥーの司祭の一つであるボコにより行われる。ボコの生業は依頼を受けて人を貶める事である。ボコは死体が腐り始める前に墓から掘り出し、幾度も死体の名前を呼び続ける。やがて死体が墓から起き上がったところを、両手を縛り、使用人として農園に売り出す。死体の魂は壷の中に封じ込まれ、以後ゾンビは永劫に奴隷として働き続ける。死人の家族は死人をゾンビにさせまいと、埋葬後36時間見張る、死体に毒薬を施す、死体を切り裂くなどの方策を採る。死体に刃物を握らせ、死体が起き出したらボコを一刺しできるようにする場合もあるという。 

 

自分を自分にしていく対話 自律的空間をつくりプロセスを展開させていくこと

何かの話しを聞いたり、いいと思える方向性を知ったからといって、そのまま自分の世界との関わりが変わっていくわけではない。

 

自分の状態が今の体制から別の体制に変わっていくためには、そのリハビリ、エクササイズをすすめていくに適した媒体が必要だ。その媒体を通して自分が直面するリアリティによって、ようやく行動や認識が再編され、自分の体制が変わっていく。

 

自給やDIYは、それ自体が目的なのではなく、自分の認識や体制を再編していく媒体として捉えるのが妥当だと思う。自給やDIYを通して何をリハビリしているのか、何のエクササイズをしているのか。

 

そのリハビリは、世界と自分なりの繋がる接点をもち、それをひろげていくリハビリだと思う。

 

自分でもよくわからない求めがあり、それを確かめるために世界と色んなあり方で関わり、対話し、その求めを知り、遂行していく。それが順番であり、自分が求める前に提示されるような勉強は学びというものの本質的なところから真逆に行くことだと思う。

 

だが多くの人がそんな条件づけをされている。そのような人を主体として疎外する教育、あらかじめ決まっている知識や技術を受動的にインプットしていく、お金をただ口座に入れていくような「預金型教育」をフレイレが何十年も前に批判したところで、世間はどこ吹く風だ。

 

多くの人が条件づけられた自分を自分だと思ってしまう。条件づけと自分が一体化している。そのことは世間の大多数の道を歩んでいるときはさして不都合でもないが、自分として生きることが必要になってくるとき、行き詰まりをおこす。

 

そのため条件づけから脱し、自分が自分としてあるということをわざわざ取り戻していく必要が出てくる。そのリハビリは自律的な空間を作っていくということによって可能になる。他律的な空間ではやるべきこと、あるべき姿、関わりかたは既に決まっていて、それをしなければならないからだ。

 

だから自分にリハビリする自由を与えるためには、小規模であれ、自己裁量で必要な調整ができる空間が必要なのだ。どのような自由が自分に必要なのか。それも確かめながらその空間や媒体を対話的に作っていく。確かめること、実験していくことと遂行していくことは、ここでは循環的なものとしてある。あることが明確になってくれば、それが基盤となった世界との関わりがまたひらけてくる。そこには終わりがない。

 

自律的な空間をつくること自体が目的ではない。それはあくまで自分が世界とやりとりして変容していくための手段であり、方法としてある。目的は対話だ。自分にとって必要なやりとりを続けること、そこにおこるプロセスを展開させていくこと。そのことが自分が自分として充たされ、更新されていくことを可能とする。

開かれゆく対話の文化祭終了 次のステップに

開かれゆく対話の文化祭が終了。
参加者は60名(?)ほど。

 

修復的司法、リフレクティング、餃子づくり、ドラムサークル、オープンスペーステクノロジー、お気に入り本紹介コーナー、講師へのお手紙コーナー、当事者研究、まちづくり、難民問題、街宣行動まで多様な話題と企画が盛り込まれた。

 

終わってみて、自分にとってこの企画とはどういうものだったか振り返る。会場の雰囲気は関西当事者研究交流集会のような感じもした。それぞれの人が持っている思い、それぞれの惜しみのないシェアが感じられる場だった。個人個人のアイデアや企画が尊重され、可能な限り全て盛り込まれ実行されている。

 

ふと地元愛媛県のお寺のようだと思った。石手寺というそのお寺は、四国八十八か所の札所の一つなのだけれど、好きなお寺だ。万国旗が寺に渡されてあったり、胎内巡りがあったり、そのさきに千と千尋の世界みたいな謎のテーマパークじみた場所があったり、ちょっと小汚いようになった千羽鶴がたくさんあったり、民衆信仰を受け入れ、これでもかと様々な人の思いを受けて、盛りだくさんの場になっている。綺麗さや外観上の洗練をなど全然追究していない。対話の文化祭はその石手寺のような場所だった。

 

対話は「する」ものではなく、「おこる」ものととらえることが大事だと思っている。自意識の直接操作で状況を変えるのではなく、環境の整えをした結果、変容がおこる。対話を「発酵」のようにとらえてみる。意見を押しつけるのではなく、既に決まったこと確認しあうのでもなく、妥協の割合を決めるのでもなく、我慢するのでもなく、発酵という質的変容が自分と相手の間におこるようになるためには何が必要だろうか。あるいは何をその環境や自分たちから取り除かなければいけないだろうか。

 

私でも相手でもない、小さな自律的な力が場に生まれ、自分と相手、場を変えていく。そのことのために必要なのは、いつもなら場を支配してしまう強い力を働かせないようにすること、個々人の内的な不安や恐怖が打ち消されるように、場が整えられていることではないかと思う。

 

加えて、対話が「おこる」ために必要なことは、関わるものが互いに違うものであること、そしてそこに必然を与えてあげることだと思う。ある対話の技法が技法であることの意義は、いつもなら同じパターンで扱われることをそうはさせないようにすること、そして何かと何かが出会う必然を用意することだと思う。

 

企画についてもまた同じで、何か発酵的なことを起こすということは、いつもなら同じパターン、同じ結果になるやりとりをさせない仕組みを組み込むことであり、同時に出会うべくものが出会う必然を組み込むことであると思う。

 

例えば、お気に入り本コーナーでは、参加者は一冊の本を丸ごと読む時間はない。本屋で展示を見るのと同じ感じ、同じように通り過ぎる。本と出会う必然を組み込むと考えるなら、例えば本を置いた人たちがその本について、短いプレゼンをしていくという時間を設ける。すると、その人がどのようなことに関心があるということもわかるし、本自体の概要も入ってくる。次回があるなら、一つ一つの企画のなかに、より対話がおこる必然を組み込むこともできるだろうと思う。

 

今回の対話の文化祭は、言ってみれば、様々な技法や問題、活動の展示・紹介がされたのかと思う。参加者は興味あるものの周辺に対して、来る前よりも見渡しをもったと思う。あんなものもある、こんなものもあるということを知り、感じられた。

 

展示・紹介は、広がりや関わりを生むが拡散的でもある。もし次にステップがあるとするならば、展示、紹介という水準からもう少し上がり、それぞれの活動が何を焦点とし、何を求め、活動の結果どのようなことがおこったのかという「研究」の発表とそこで浮かび上がったテーマについて話し、探究しあうようなことがいいのではないかと思う。

 

ある程度、個々において追究されたテーマを持ち寄り、探究された濃い情報が集まってくる場所。そしてそのうえで話しをする。難民問題、街宣、当事者研究、楽器を使った交流の深化など、会場で紹介されたものの、その後の展開を含めて発表される場。対話の文化祭が、自分の活動や問題意識をブラッシュアップしていける場になっていくというのはどうだろうか。

開かれゆく対話の文化祭 オープニング 想定された規範のブレイク

対話の文化祭、オープニングでは4人が部屋の中心に座って、マイクを真ん中におき、ぼそっと話している。これはみんなに聞こえるのだろうか? こんな感じで大丈夫? と最初は思った。

 

www.kokuchpro.com

 

4人が一旦去り、話したい人が真ん中にということで、自分が真ん中に行って今の話しはみんなに聞こえているのか、伝わってないまま、みんなが戸惑いのまま今、進んでいないかと言ってみた。その後、マイクを置かずに持ってしゃべろうかとか、周りからああしたら、こうしたら、と思っていることを言う雰囲気になっていった。

 

そうなると、ああこういう感じの場の作られ方、かえっていいのかもしれないと思い返した。場を回す役割の人が隙なく回すより、放っておいていいのかというぐらいの方が、周りが動き出す。こうしたら、ああしたら、というアイデアが出て、その提案をそれぞれがすること自体が、勝手に想定されている場の敷居や規範をブレイクしていく。結果として場にはより自由が感じられるようになっていく。

 

他律的に感じられていた世界を自分のほうに引き寄せていく。自分が自分として主体化していくということが重要であり、まず必要なのはそのためのリハビリ、エクササイズだと思う。何かの媒体を導入したり、使ったりすることはその次の段階だろうと思う。

 

マジョリティの心性 深く強い抑圧と自動的な転嫁

マジョリティはマイノリティからしてみれば無意識、無感覚、鈍感だけれど、もともと強い被害者意識を持っている。今でも〜しているのに、なぜこれ以上自分が持っているものを割かねばならないのか、不当だ、となる。それはマジョリティが自分自身に対してより深く強い抑圧を内在化させているからだ。

 

 


 

内在化された抑圧は、自分自身の精神が安らぐスペースを奪う。よって生活水準に必ずしも比例せず、内的には疲弊し、被害者意識を募らせている。マジョリティは、自分自身の抑圧によって自分が辛いのではなく、実は無自覚に自分が犠牲を払って辛い思いをしている「守るべきこと」(それは社会からの抑圧だが)を守らない輩がいるから自分は不当な扱われ方をしていると、抑圧を外に投影する。

 

強いものにその怒りが向かわないのは、その根本的な向き合いを引き受けることによってさらに葛藤を抱えこんでしまうからだ。自動的に怒りは弱者に向かう。自我の防衛機能は葛藤を逸らすことであって、それは無自覚に、機械的に遂行される。

 

誰かが暴力的な行動をした後に、怒りで理性を失ったと釈明されるが、理性を失ったというにも関わらず、強いものにも無差別に攻撃がいくかといえばそうではなく、攻撃対象にはきちんと弱いものが選ばれている。

抑圧への向き合い カプセルの壁を壊して

フレイレは被抑圧者は抑圧者を内在化させていると指摘する。昨日、人と話していて、マイノリティ、マジョリティという言葉より被抑圧者、抑圧者という言葉の方がその指すところがはっきりしているのでは、誰もがある時は被抑圧者でまたある時は抑圧者なのだからそれを含めれば一般的な言葉として受容されやすいのではという話題が出た。

 

確かに内実がはっきりしているし、僕はそう考えて妥当だと思ったけれど、世間をイメージしたとき、誰もが抑圧者であり被抑圧者であるという理屈を伝えても、自分が抑圧者だと受け止められるのはかなり懐の深い人であって抑圧という生々しいリアルな言葉はそもそも忌避され、拒否されるように思えた。被抑圧者と抑圧者という言葉にはその解放に向けた向き合いが内在化されている。

 

そんな向き合いなどしたくない。これ以上私のささやかな時間と安楽を奪うなというのが自己責任の国の態度だと感じる。強いものに加担し、その暴力性には目をつぶる。そのかわりに与えられるカプセルホテル的プライベート。それに満足せよと言われ従う。

 

公的存在、共にある存在であることを放棄して、カプセルに閉じこもり、そこを充実させよ、その牢屋のなかはお前の王国だと。そしてその欺瞞の王国を守るために、秩序を変えようとするものを陰にひなたに抑圧する。連座を恐れ秩序を変えようとするものを押しつぶす奴隷たちの国。それが自己責任の国だろう。現状を変えるつもりなどないからひとかけらたりとも今の自分の分け前と安楽を減らすな。既にその執念の亡者と化している。

 

そんな奴隷であることはもはや割りに合わなくなった人たちが向き合いをはじめる。内在化させた抑圧者から自分を解放していくために、カプセルの壁を壊して他者と世界との対話をはじめる。

 

世界を変えるというのは実は対話を成り立たせるための仮のゴール設定だ。世界が変わらないならやらないというようなギブアンドテイクの消費者が内在化しているなら自分の解放は滞るだろう。

 

そして仮とはいっても本気になれないゴール設定なら自分が変容にいたるプロセスが生まれない。最終的な勝利はやってこないかもしれない。だからそちらではなく、自分の内在化したものを徹底的に解き放っていくための対話をしていくのだと考える。内在化した認識が変容した時に見える世界は新しい。

対話的やりとりという視点が日常を再編成していく

出会い、学び、対話、という共通の要素を含んだ言葉を自分なりに整理し、大まかにそれぞれの場所をふってみている。

 

出会いは更新される事態そのもののことであり、「学んだ」とは更新がおこったということ。「学び」というときは、更新に向かう関わり。ただ本人の意図の有無に関わらず、変容のプロセスがともなうやりとりがあるときが学びなのであり、この変容のプロセスがともなうやりとりこそがすなわち対話であると位置づけられる。

 

単に知識や技術が蓄積され、自分が強化され、自分の殻がより厚くなったものは「学び」とは呼ばない。学びは蓄積でであるよりも、むしろ今までの自分のあり方が解体されること。自分の世界の見え方や感じ方が一新されること。

 

少し前までは学びによる更新と、その更新がそこにある人間関係をより更新がおこるのに適したものに変わっていくことに主に意識がいっていたが、今は対話という言葉の広がりを捉え直して明確にすることよることで、日常で何をどうとらえ、どう関わるか曖昧だったことをクリアにしていけるように思えている。

 

何かを選び、継続的に関わる学びによる認識の更新の前に、まずは管理統制が環境にガチガチに敷かれていること、そしてそれを個々人が内在化している状態を外すことが、その後の学びもにつながっていく有効な手段だと考えるようになった。

 

環境にガチガチに敷かれた管理統制を打ち消す境界的、サードプレイス的な場の設定、そしてやりとりする対象の設定、更新ということに向かえるやりとりのあり方、これらは対話という言葉を置いて整理しなおしていったほうがよさそうだ。何らかの深い認識に到達しなくても、人が人たる感覚やリズムを取り戻していくことによって、ある程度までの行動変容や内在化したものが排出され、代謝される働きが自律的にすすむ。

 

先日改めて認識したのは、対話がおこるということを念頭にしたとき、何を対象として設定し、やりとりをおこすかということ。自分のなかに何かのプロセスが生まれ進んでいくやりとりにおいて、対象は何でもいいわけでもなくて、反応をおこす対象を設定する必要がある。同じ行為をしても相手によっておこることが違う。

 

ある年配の人が、ちいさな自営業をしている自分の子どもとその従業員数人に弁当をつくっているというエピソードを聞いた。その人は料理が好きなのだが、出す相手によって自分が更新されるやりとりになり得るのかそうでないのかが違うということを言っていた。具体的には、子どもと従業員に対する弁当は他人が含まれるということもあり、適当にできない適度な緊張感があり、よって自分の料理に対するこれでいいのかという問いが生まれ、料理との関わりが更新されていく。一方、家の人に作るときはその緊張感が持てずに、残り物でいいかとか、今の自分の更新につながらない、惰性的な行為になりがちだとのことだった。

同じ料理をすることであっても、適度な緊張感をもたらし、自然と自分自身への問いをうながすような対象が、更新のプロセスをもたらし、充実ももたらしていく。家の人対象だったら駄目なのかということではなく、それならそれであえて適度な緊張感をもたらす設定をそこに埋め込む。するとそれは対話的なやりとりになる。

 

対話的なやりとりとは、自分に変容更新をおこすやりとりのことだ。その変容更新によって、人は世界にまたしばらく新鮮さを取り戻す。新鮮さは人の精神が生き生きとし健康であるための基盤であると思う。

 

日常の様々なものとのやりとりは、自分に変容更新をもたらし、世界をまた新鮮なものにする対話的なやりとりだろうか。それが対話的なやりとりになるためには、どのような設定を付与することが必要だろうか。この視点で今の自分のあり方を再点検し、再編成していく手がかりが生まれると思う。

 

話しの場にしても、全然自分が平気で揺れない状態では更新がおきない。



(もちろん偶発的な出会いはいつだっておこりうるが、それは木の株にうさぎが頭をぶつけるのを待っているようなもので、意図して対話的やりとりを引き寄せるということで。)


あえて少し揺れるところで話すと、自分が変容更新をおこすやりとりになりうる。そしてそれをしようと思うと場の暴力性や不安要因を取り除く必要がある。対話的やりとりを成り立たせるためには、自分にとって適度なやりとりの対象の設定、対話的やりとりがおこりうる場の調整が必要だ。