降りていくブログ 

ここという閉塞から逸脱していくための考察

高円寺界隈の「マヌケ」とべてるの家の通じるところ

臨床心理の学科にいた時は、なぜそこで得ている知見から他分野のものを見ないのかと思っていた。それをしないために自身の相対化もできない。次に文化人類学に移って心理的なことも踏まえたことを考えようとすると、「それは心理の話しでここでは共有されない」と言われる。

 

自分にダイレクトに必要なものは、横断的なところにあった。ある学問は関心分野と被っているけれど同時に半分ぐらいズレている。そして僕は別に新しいことを人に証明したいわけじゃなくて、自分に応用できる知見を発展させたかった。能力に溢れているなら、そのようであってもアカデミズムの世界でやれたかもしれない。しかし、そんなに色々できるわけじゃなかった。ダイレクトにできることでないと動機も強くでないし、エネルギーロスも多い。

 

だから自分の見たいものを見るために、考えを進めるために複数の分野に目をやることになった。絵本やファンタジーなど物語、浦河べてるの家などの福祉領域、林竹二などの教育領域、演劇とか身体系のこと、もともと関心が強かった生物的なこととか、宮大工の話ししとか、そういうものはバラバラの雑学として欲しいのではなく、ある分野で見えにくいことを別の分野でみて確かめ、ベースとなる考えをすすめて、自分が生きていく工夫をしていく。考えは道具としてあった。


ある考えが間違いであれば、自分が行き詰まり、停滞する。というか、ある意味、常に行き詰まりにあってその現状をちょっとでも変えるためにああだろうか、こうだろうかと考えている。この状況を少しでもずらしたり、更新するための道具として考えは常にアップデートする必要性がある。道具をより使える状態にするという動機は強い。現実をどう捉えたら妥当な向き合いができるのか。何かの方向性が導かれたとして、ではそれをどう現実化する方法にもっていくのか。端的にいえば考えているのはそれだけだ。でもそれを考えるためにその目的と自分に適合した色々な分野が必要になる。

 

アナキズムの話しと浦河べてるの家の話しに共通しそうなことを見つけた。キョートット出版代表の小川恭平さんのブログから。

 

guuzen.net

 

ところで、私はマヌケ主義に反対はしていない。大賛成している。私の理解では、マヌケ=アナーキストだ。マヌケは、どこか世界共通で、一瞬で通じあうところがある。マヌケ、またはマヌケの作った場所は、出会うのが初めてだとしても、初めての気がしないものだ。それも一つの「ノリ」で、居にくい人もいるではないかと言われるかもしれない。でも、同質性をもとにした「ノリ」とは違う。それは、うまくいえないけど、インターナショナルで、オープンマインドなものだ。


小川さんの言及は、高円寺界隈で生まれている文化についてのものであるけれど、浦河べてるの家周辺の話しと通じているように感じた。


べてるの家では、個々人の価値観や感じ方に組み込まれてしまった「普通」(=「平均的」とか「通常の」という意味ではなく「社会が要請してくる個人が到達すべき水準」『みんなの当事者研究』)が外在化され、破綻するということがおこっていて、またそれを意図的にもやっていると思う。

 


べてるのソーシャルワーカーの向谷地さんがとんでもない傾向をもった人に出会って、「君はべてるに必要な選手だ」と言ったりするのは、別に表面的な慰めとか体のいいことを言っているのではなくて、通りいっぺんの認識で無難に済ませられていた日々の(偽りの)秩序をその人がもはや成り立たせなくし、その破綻の結果として場に開けが生まれることを知っているから、本気で言っているのだと思うし、たぶん実際にそうなるのだろう。

 


個人の認識に強固に組みこまれた価値観は、そこに妥当性がなく、成り立たないことをあからさまに直面したり目撃する状況・ハプニングを経なければ変わりにくい。

 


「マヌケ」は、条件を備えた人がようやく人として認められていた世界ではなく、その条件(強迫)が破綻したところにいる人たちの関係性や文化を呼ぶ言葉なのだろうと思う。もはや抜けているんだから自分一人では成り立たないし、周りの人も放っておくわけにもいかない。

 

そもそもの破綻、同質になること、自分が一人で成り立つことの不可能性を認められた人と人の間には開けがあり、それが空気を解放しているけれども、何かの共通性をもってまとめようとする時には違いや破綻性をみないための「ノリ」が必要になるのではないかと思う。

 

関西当事者研究交流集会に

べてるの家から生まれ、各地に広がりつつある当事者研究

 

大阪では去年にその全国交流集会があって、参加した知り合いからとてもよかったと聞いていた。今回は全国ではなく関西地区の交流集会ということで行われたようだ。

 

npo-sone.jimdo.com



集会のだいぶ前に、今回の交流集会の実行委員の第一回目のミーティングに参加させてもらったが、場はすでにいい感じにゆるくあたたかく自由な雰囲気があった。当事者も支援者もいたけれど、来ている人が萎縮せず、いいたいことがあれば自由に率直にいえている感じがあった。べてるでは場を肥やすという言葉があるそうだが、これは既に肥えた場と思った。コンポスト感みたいなのがある。


僕は家も遠いので実行委員会には入らなかったけれど、実行委員会は月1ぐらいで何度もミーティングを重ね、直近まで何も決めない(決まらない?)まま思うことを言う話しあいを続けていたそうだ。そこではいろんなものが育っていっただろうなあと思う。何かやろうとしていることが先にあり、それを考えるというのは話しの場をもつ方便でもあったんじゃないかなと思う。

 

話し合うために話し合うのもいいけれど、何かをやるという体で話すとそれとはまた違った質の経験と交流が生まれる。何かを一緒に作る過程では、人と人の関係性は横並びになり、流動状態になる。普段とは違った役割や関係性に移行しやすい。

 

フルーツバスケットという椅子取りゲームがある。鬼がフルーツバスケットと言うと、全員が立って別の場所に移動しなければいけない。わーっと立ち上がって、元の椅子ではない、別の椅子に移動する。

いつもいる椅子を普段の自分、普段の役割だとするなら、いつもはその椅子から人とやりとりしている。わりに安全性とか安定性はあるのだけれども、同時に型にはまって自由な動きがしにくい。相手も自分の椅子に座っている状態でのやりとりなので、回数を重ねても、その関係性で型通り以上のことはおこりにくい。

何か新しいことを一緒にやるということは、お互いにその安定している椅子から離れるということだ。不安定だが思わぬ豊かさがあり、次に落ち着いて座る椅子は前の椅子ではなくなっていて、関係性も質的に変化する。

交流集会は朝10時からはじまっていたが15分ぐらい遅れていった。最初は浦河から来たべてるの家のメンバーが壇上にいた。司会者は、メンバーの当事者研究の関わりとか、その人の個性とか苦労とかを来た人にもわかりやすいように場をリードし、質問したり、メンバーの発言の補足をしたりしていた。

その後、関西で当事者研究をやっている団体の紹介があり、それぞれ壇上に登って自分の自己病名や活動の紹介などをしていた。京都で表立って当事者研究をしているところは1つか2つだけれど、大阪は10団体近くあってこんなにやっているのかと驚いた。弱さを交流の手段として反転させるということは、もしかしたら大阪的で馴染みやすいのかなとか思ったり。

 

来年の名古屋の全国大会の紹介もあり、その紹介の歌とか、なかなか名曲で、感動的ですらあった。当事者研究ってやってるけど結局なんだかわからないよね、みたいなことを歌うのだけど、まるで格好のつかないそのまんまさとか身もふたもなさをユーモアとして生かす技術?の高さがある。ここに向かってさあ頑張って行こうという感じではなく、壁にでっかい穴ができちゃったなあとか、どうしようもないこと、無力であることを笑って一緒に確認してそこに着地してみると、感じられてくる世界が変わる。

会場に多分10年ぶりぐらいの知った人がいた。向こうが僕に気づいたかどうかはわからない。当時も苦労されている感じで、多分その後も苦労されているのだろう。でもこの場に来ているということは、生きていく場があって生き延びてきたんだなと思った。これから当事者研究は、様々に生きづらい人が生きて回復していくための大きな受け皿になるだろうと思う。

何年も前、浦河べてるの家に見学に行った時に、メンバーの一人に「あなたはスタッフですか? それとも当事者ですか?」と尋ねられたことがあった。僕は自分は見学者なのでどちらでもないと答えたけれど、相手はその答えに怪訝そうな感じだった。あとで、別にカルテは持ってないけれど当事者だといえばよかったなと思った。自分は当事者だ。当事者として生きてきたし、当事者として生きていく。そして誰もが生きている当事者だ。自分という状況を引き受けることは、自分にしかできない。

 

kurahate22.hatenablog.com

 

 

 

中学時代からはじまったフラッシュバックが弱まってきても、そこに残ったものは、弱いし能力も根性もなく、人に優しいかというと、別に人への共感性もないし、適応もしにくいどうしようもない自分だった。まるで生きていける気はしなかった。そこからこの自分がどうやって生きていけるのかをずっと探ってきた。一人でやっていたけれど、自分は当事者研究という言葉を知る前から当事者研究をやっていて、いわば今もそれを続けている。

 

自分という実験台で、探り探るなかで一つ一つ確かめてきた。ヒントを得て、必要なものに近づき、出会い、閉塞していく状況が閉じきる前に、かろうじてその場その場を通り抜けていく。

 

わかったこともある。人は自分の既知の世界に閉じ込められていて、そこから出るということを繰り返すものだということ。生きていくのに必要なことは、自分自身で自分が閉じ込められている古い世界を更新していくための自分なりのあり方を知っていくことだということ。閉じ込められている古い世界の更新が、生きることを支える充実やエネルギーを自分に流れ込ませる。

 

この社会では、お金があれば、何もできなくても、何に関わらなくても、身体が維持できる分のものは用意してもらえる。多くの人は、水を自分で引かなくても貯めなくてもいいし、電気を生み出す装置を作る必要もないし、塩を海水から作る必要もない。狩りにいく必要もないし、自分自身が作物を育てる必要もない。自分自身が医療の知識をもつ必要もないし、学びたいなら教えてくれる学校に行けばいい。


しかし、そういうところでは誰にでもある程度合うようとりあえずのものはあっても、自分にぴったりフィットしたものはない。だが生きていくとき、自分にまさに必要なもの、フィットしたものでなければ、先に進めないことがある。それらはどう得たらいいのか。用意された環境で生きることは、自分に必要なものを自分で探し、そこにたどり着く力が育つきっかけを提供しない。自分で生きていく力、自分で自分を更新していく力が奪われている。

 

専門家やシステムに完全依存すると、本来活性化するはずだった力も奪われてしまう。でも誰もそういうことを言ってくれない。そもそもそれを知っている人も少ない。ある特定の問題が解決するという短期的なことではなく、ずっとこの自分が生きていくという時には、あらゆることはある程度自分でケアしたり、工夫したりする力を持つことのほうが重要だし、必要なことの一つ一つを自分で見つけ、新しい状況を自分自身で導くことこそ生きものとしての人に充実を与える。

 

日本で流通している「普通」という言葉は、「平均的」とか「通常の」を意味するのではない。それは、社会が要請してくる個人が到達すべき水準のことである。  熊谷晋一郎編『みんなの当事者研究』p56

 

苦労を奪われた人たち、問題を奪われた人たちは、知らないうちに生きる力を失うだけではなく、人としての充実もまたあらかじめ奪われている。だがそのことに無自覚なのは、当事者研究をしている人たちではなく、むしろ社会で生きている「普通」の人たちのほうであるだろう。「普通」という到達すべき水準を与えられ、それに従う「能力」があるゆえにより盲目的になる。言われるまま合わせることはできても、自分で自分をどうしたらいいかわからず、自信を失い、混乱を深める。あるいは自分を許さないように他人を許さず、自分を痛めつけるように他人を痛めつけて自分の痛みを忘れる終わりのない繰り返しのなかに自分を沈める。

 

当事者研究は、生きづらさをもつ人たちが苦労との向き合いを自分に取り戻すことによって、生きていること、生きていくことを自分たちに取り戻す取り組みだ。だが本当の病理は当事者研究をしている人たちにあるのではなく、それを生み出す社会の構造にある。当事者研究は、この社会においてこの病理を担うことができない「普通」の人の代わりに、人が人として生きるとはどういうことなのかという根源的なリテラシーを社会に取り戻していく運動であるともいえるだろうと思う。

 

 

 

臨床心理学増刊第9号―みんなの当事者研究 (臨床心理学増刊 第 9号)

臨床心理学増刊第9号―みんなの当事者研究 (臨床心理学増刊 第 9号)

 

 

 

 

報告 哲学カフェ 信頼から中動態へ

18日に哲学カフェをやりました。

当初「友人とは」をテーマにしていたのですが、場の状況に合わせて友人に関わる「信頼」とは何かでやりました。

人を信頼するという時の信頼とは具体的にどういうことなのか。自分を傷つけたり、危害を加えない状態が変わらずにずっと続くということなのか。

 

自力をあきらめること、つまりコントロールをかけようとしても意味のないことを知る、ということではないかと思いました。それはゆだねることであるとは思いますが、完全に受け身になるのとも違う感じです。

 

能動的でなければ必然的に受動しかないのか。能動か受動かという二者択一の軸は、意思であると思います。社会通念上、人は意識がある時、全ての行動には意思があるとされます。意識が混迷したり、喪失しているような状態で犯したことは罪がなくなったり軽くなったりします。つまるところ、現代社会で意思は、誰かが何かをやった時の責任(誰が悪いのか)の帰属のために必要とされます。

 


しかし、意思的主体という前提のもとに、意思的主体という前提のもとに、自分自身の思考にも当てはめられます。ぼーっとして一日を過ごしてしまった。やるべきことをやらなかった。これは私の責任だ。意思が弱かった。私が悪いためだ。こういう思考になります。

 

しかし、こういうふうに全ての行動は意思的なものであり、責任があると考えることは、現実には人を同じ状態にとどめ、延々と同じことの繰り返しを招くことが知られています。

 


アルコール依存者の自助グループ、アルコールアノニマスでは、回復へ向かうための12ステップが指標として確立されていますが、その最初のステップが自分が無力であることを認めるというものだそうです。

 


自分が無力と認めるならば、自暴自棄になるのではないかとも思われますが、実態はそうではなくアルコールを断てる人は、自分の意思で克服するということをやめた人であるそうです。

 


自分の意思の力ではないものでアルコールをやめることができるというのはどういうことなのか。そこででてくるのが能動でも受動でもない、中動態という概念です。

 


古代ギリシアでは意思という概念はなかったそうです。寝ること、死ぬこと、誰かを好きになることなどは、自分の意思で操作したり、ボリュームを調整したりすることはできません。そこには自律的な動きがあり、自分はそれに影響されます。

 

自分の状態を自分の意思が支配しているものととらえていると、自分はそれだけでいっぱいいっぱいになってしまいます。しかし、自分の状態は自律的な何かが動いている状態だととらえれば、そこには余裕が生まれ、その状態に対して、別の付き合い方ができるきっかけが生まれます。

 

アルコールをやめられないダメな自分とアルコールをやめられる意思の強い自分。こういった考えにのっとっている限りは、自分は失敗を帰属される強烈なプレッシャー下にあり、そのプレッシャーのせいでいい状態が持てなくなります。そのため、結果として失敗する。そして飲んでしまったのも、自分の責任。どこまでも責めが続きます。

 


そこからスライドしていく。自律的な働きを自分ではなく、第3者と認め、他者として付き合う。結果として、意思があるから何をしても自分の責任という思考のプレッシャーが軽減したほうが人は変われる。能動態と受動態しか認識のあり方がない世界から中動態的認識に移行していくことが当事者研究などにおいても重要になってくるわけです。

 

さて、話しは信頼に戻りますが、変わらないものにしがみつくことが信頼なのではなく、しがみつくことを手放すこと、結果としてゆだねることが信頼なのであると思います。自分自身の支配を諦め、自分の意思ではない、自律的なもの、中動態的なものの働きにゆだねる。それが信頼するということなのではないかと思いました。

稽古のレポート3

自転車で転んだあばらも3週間ぐらいするとくしゃみしても痛くなくなった。

 

今回は座法と臥法(がほう)をやった。座り方と寝方。

 

ただ座ってはいけないのか、何をしようとしているのかと思っていたのだけれど、やってみて思ったのは意識状態が変わるなということ。

 

正座なのだが、まずかかとをぴたっと揃えて、前傾になり、片方の足を平行に後ろに一足分下げる。膝の力を抜き、落とし、膝がついたら下がっている足を前ににじり寄せる。まだ立っている両足首を寝かせ、足首の間にお尻をねじり込むように入れる。

 

普段は正座しないし、正座するとしても座る時わざわざかかとを揃えたりしない。だがやってみると、独特の緊張、テンションが生まれることがわかる。だらっとした感じでなく、ツーっとある緊張。この緊張はもちろん意識状態とも連動している。

この緊張、この意識状態を維持しながら座るということをしているのだと思う。西海岸由来のフリー、リラックス、ナチュラル、みたいなこととは逆を行っているようだ。想像するに、自意識の自動統制状態は弛緩させ、放置したところで、同じことを繰り返す。身につけたものがあるので、そのままではいい状態は導かれない。感受性をあげ、あてにする感覚を更新することをする必要があるのだと思う。

 

リラックスというものがそもそも何なのかということがある。過緊張の反動としての過弛緩なのか。確かに、落としたものをもう一度元に戻すのには負担がかかると思う。電車で次の駅にいくのに座ると立ったり歩く時にかける頑張り、踏ん張りがあえて必要になる。エネルギーの運用効率なのか、立ったままの方がその頑張りや踏ん張りをブーストする必要がないので、むしろ楽だったりする。できるならば、過緊張をかけず反動のこない状態で、常に一定の緊張、テンションを維持するほうがいいのかもしれない。

また緩めることを強制停止機能、緊張機能である自意識でやることのちぐはぐさということもあるかもしれない。緩めるではなく、緩まるにする必要があるのではないかと思うのだけれど、緩めるとして自意識でやる時、身体の一部分の電源を切って、一時的な死体にして、無感覚にするようなことをしているのかもしれない。

過度の弛緩や暇は、依存症患者などの場合、過去のトラウマを引き起こすような自体をおこしたりする。そう考えると、過度の弛緩というのは現在の状態のバランスを崩す働きをするのでは。それがいい結果に働くこともあるだろうけれど、次の駅で降りるのに立ったり座ったりというエネルギー消費の大きさはいらないと考えるならば、緊張を維持する工夫もあっていいだろう。

自意識でやる「リラックス」、「フリー」、「ナチュラル」はあくまで擬似的なものであり、そこを自意識で狙っても仕方がないということなのかと思う。

 

そうではなく、むしろ不必要なもの、大敵とされている「緊張」の自覚的な使い方や設定こそ自由を導くものなんじゃないか、と。


臥法は、正座から両手を前につき、手に体重を乗せていきながら、押さえていた手をさっと放し、落ちてきた体を肘で受け止めながら同時に足を後ろに突き出して、つま先と肘で体重を支える。そして太ももを腰に近いほうからだんだんと地面につけていく。さらに足のつま先を丸める方向に曲げながらそれに釣られる働きで脚をあげ、その時に手は傘を閉じるように体の横に腰に持っていく。そして脱力する。

自然とは程遠い、ほっといて絶対しない寝方。なんでこうするのかというのも、一度作った身体の状態、意識状態を維持するためのものだった。この状態で相手に触れたり、触れられるとき、その感覚が変わる。死んだモノとして触るのではなく、生きているもの同士が同調した状態になるという。確かに手の表面に繊細な振動があるような感覚があり、その上で触れたり触れられたりすると、ボタっボタっと塊で感じられていた手が細かな解像度を持ったもののように感じられる。

ある特定の状態を「良い状態」とし、その状態に持っていくこと、その状態を維持すること、使えるようになることが稽古の趣旨なのだと思う。そして確かにその状態は、精神的にもすっとした感じがあって、僕個人もその状態は良いと思う。この意識状態で日常を送ると割とすっと次の行動に移れる感じがある。

稽古のレポート2

身体教育研究所の稽古、3回目に行ってきました。

 

野口晴哉さんはいわゆる天才で、できるのが当たり前で説明できない。息子である裕之さんはどうしたら晴哉さんに近づけるのかという問いのもとに設定したのが、明治の人の体≒晴哉さんというものだったようです。明治の人の体がどのようにできていて、そこにはどういうふうに近づけるのか。そう問題設定をスライドすることによって、探究の道筋を作ったようです。

 

裕之さんが、自意識の自動的統制(ひいては西洋的身体観・解剖学的な、死体としての身体観)を打ち消し、本来の状態を体感し、体の統制状態を更新するという工夫を重ねてできたのが身体教育研究所の稽古、型ということになるのかと思います。

 


要点になるのは、二つのことだと僕はとらえました。一つは既にある自動統制状態は自意識の直接操作では統制状態が強まるだけで意味がないので、自意識の統制が外れるように、指の間とか、腕と手首の実感の境界とか、意識をそこに集中させることによって、事実上の統制機能停止状態をつくること。自意識は境界に対して自動的な支配状態をつくることができません。

 

このことによって、体の内部の繊細な感覚、淡い感覚を感じる基盤ができます。さらに感受性をあげるために、両手を使うときは右肩の一点に目があると仮定して両手をみるつもりで感じるというようなことをします。

 


自動統制は外さないといつまでもそのままですが、このようにして自意識の統制状態を外しながら感じると、更新することができる。

 

明治以前の家や道具をみると、たとえば急須などは取っ手が短く、指で挟むように持つようになる。するとその緊張によって体や意識がある状態に導かれる。文化とは、ある一定の体や意識状態を導くように、一点にむかっていわばデザインされているものであり、自意識をその度に使わなくても委ねるだけで求める状態が導かれるものだということだと思います。

 


つまり急須をつくる当時の職人は、理屈を知らなくても、いいと感じる意識状態が作られるように急須をつくるわけです。何をしていても、何を使っていても、その意識状態に整えられるように周りの道具や環境がデザインされている。逆に言うなら、これがいいという感覚が自律的なものとなり、人はそこに導かれるということになっています。

 

人は自分からこれがいいという感覚を整えるために環境や道具をデザインし、次は使った環境がより人を導くという循環関係を生みます。これに委ねることが、自意識という過去が主体となり支配者となる疲弊的な生、閉塞的な生を越えて、自意識という遮断を入れない状態で自然や世界に触れ、そこから必要な取り込みができる状態になるというのがこちらの考えだと思いました。

自意識とは何か 自意識からの自由

心理学科に入った頃は心の構造を理解すれば自分がわかるかと思っていたが、どうもそうではないようだった。無意識とは意識できないものであり、そこに直接のアプローチはできない。考えてどうこうなるものは意識できるところしかない。

 

自意識とは何かが状況を変えていくための問いとなった。すると、「治らなければ」とか「成長しなければ」とか「適応しなければ」とか、そういう強迫となった価値観自体が変化をとどめ、停滞をおこしていることが見えてきた。むしろ変化はそういう強迫がどうでもよくなるような瞬間に間隙を縫っておこるようだ。

心理カウンセリングから演劇的手法に軸足を移していった橋本久仁彦さんなどの言っていることもそれを裏打ちしてくれているように思えた。自意識とは、防衛機制であり、強制停止機能であり、たとえるならばベルリンの壁をつくるような遮断がその機能の本質なのだ。だからやろうとすればするほど緊張は高まり、パフォーマンスは落ちる。むしろ余計な自意識が働かない状況の方がパフォーマンスは上がる。

状態を固定化しようとする自意識の圧力を打ち消したとき、自律的な運動、自律的なプロセスが動き出す。この状態がおこるように場面を設定することが重要だと思うようになった。つまりそれは境界を設定するということ。何かと何かの間の場所を設定する時、自意識はどちらに構えをとっていいかわからず、状態を同じままとどめようとする支配力が低下する。自意識の支配とは言葉の支配だ。よって意味と意味の間には影響力を押し通せない。

 

体の場合、自意識は自らのイメージによって身体を支配している。しかし、そのイメージ(解剖学的イメージ)は実際の体の動きとは乖離がある。例えば、実感をたしかめて行くと、肩と腕の境界はかなり腕よりであるし、手首の領域は思っているより腕よりだ。それを解剖学的なイメージのまま動かそうとすると動きに無理がでる。

そこから抜けていくのにもやはり境界を使う。意識を境界に向け、固定することによって、事実上の支配力を失わせ、もともとある内在的な動きの発現を導く。自分とはほぼ自意識であるのだが、自意識は言葉によって決定されていて、自分はピンボール台の中を跳ね回るボールのように、構造のまま動く。境界を設定することは、その決められた動きになる一部分を空白状態にするようなことだ。そこに新しい可能性が生まれる。

自意識である自分をさらに出し抜くような設定をして、自意識という過去のピンボール台から抜けていく。変わったとしても一部分だけだが、まあそれぐらいでも変わらないよりマシだろう。自意識からの自由はこのようにして得ていくことができると考えている。

 

 

充実の裏返しとしての根源的苦しみ 救い

先の投稿、一度に一通り書こうと思ったけれど、書けなかったところも多かったので補足。

 

自分が生きていくという時に、力が弱いように感じていた。社会に放り出されたところでまるで生きていける気はしなかった。根性も能力も何もないが、自分を動かすもの、世界と関わり状況を開いていける力は何かと探した。その結果、根源的苦しみに対する自律的な反発の力を使うのが妥当だという認識になった。

臨床心理学の学生の卒論を見ていると、どうやらだいたい自分の問題について書いているように見えた。自分が自分の問題を書いているとは思ってないようでも、他人としての僕からみればそうに見えた。ちゃんと選んでいる、と。

 

卒論は学部生にとって、学生生活のなかで最も作業量の多い課題で、ある程度のクオリティを求められる。そしてそれは自分の作品でもある。この課題を遂行するためには、最も関心のあること、追究したいことを書かざるをえなくなる。雑学を楽しむ程度の興味関心、一時的に刺激を受けるものぐらいでは続かないのだ。

 

すると、自分が根源的に苦しんでいるものを乗り越える方法やあり方に関わるところを選ぶ。まっすぐにその苦しみのコアに向かえなくても、その苦しみを乗り越える可能性を持つものに強く興味をひかれ、衛星のようにその周辺をぐるぐるまわる。

 

苦しみがあっても、それを解決するために自分の現在の秩序を壊す抵抗は強い。見たり聞いたりした範囲では、多くの場合、事故的なアクシデントがあり、もはや現在の秩序がどうにも成り立たないという状況になってからより根源的な苦しみへの向き合いをはじめる。今までのあり方は成り立たないというのは、状況的なこともあるし、自分として今まで与えられて我慢(と思ってないかもしれないが。)してきたものではまるで割に合わなくなる。それでは救われなくなる。

そこまで行かなくても、結局自分としての充実を感じるのは、自分ならではの苦しみの裏返しなのだ。もともと潜在的に苦しくなければ、さして深い充実や面白みも感じない。「やりたいこと」とは潜在的、根源的な苦しみを乗り越えるプロセスを与えてくれるもののことだ。

 

自己実現」などというと生きづらくもない平均的な人が意思を持ってステップアップしていくみたいなイメージがある。自己実現というピラミッドの頂点に向かうような。だが、人間は先に安定を与えられると生きものとしてそこから動けない。必要がないのにあえてリスクを冒す生きものはいない。たとえ底に苦しみをかかえ、歪つになっていたとしても。

 

むしろ既に生きづらい状況があること、変わらざるをえない状況にあること、たとえとしての「貧しき人」であるような状況でこそ、根源的な苦しみを発見しやすい。どのような状況にあっても、より根源的な苦しみを発見することによって、その状況を抜けていく力が得られる。なぜなら根源的な苦しみの方が、その場当たりの状況よりも苦しいからだ。体は無意識にその根源的な苦しみを乗り換えるための反発力を活性化させており、その力、動機を利用するのがサバイバルのあり方として妥当だ。

表面的に浮き上がってくる苦しみの下にそれらをそもそも苦しみとして感じさせるような苦しみがある。鶴見俊輔はそれを「親問題」と呼ぶそうだ。実在の親の話しではなく、自分が生きるにあたって受ける苦しみを派生させるそもそもの根源のようなもの。ただ、その根源的苦しみ自体を発見しようとするよりも、何が最も充実かと探究する方がやりやすいかもしれない。最も深い充実をもたらすものの裏に根源的な苦しみがあるので、同じことだ。根源的苦しみは生を圧倒しているにも関わらず、直接的には感じにくい。


根源的な苦しみに向き合う時、人間はその場の状況や安定を脱していく動機と力を持つ。状況に反逆し、世間的には「不遇」と言われるような状況に陥ったとしても、満足感は深く、力は減じない。生きる力の本質は、生体レベルから生まれる反発力だ。屋久島の巨大な杉は、多雨に支えられながら、根を張るのが難しい岩盤に対してそれでもなお生きようと根を伸ばす反発力によって生まれている。その巨大さは苦しみの大きさと危機の裏返しだ。一方、豊穣な土壌では杉は屋久島ほど大きくなれず、途中で腐るそうだ。このことは人において大きな成果や達成というようなものが、ただ手放しに賞賛されるようなものではないことも示唆する。そのような態度は欺瞞的で搾取そのものだ。

畑などでは、この反発力を使って収穫物を多くする。わざとトウ立ちが遅れるタイミングでタネを蒔いたり、シシトウ、キュウリなどは、実が成熟する前に収穫する。そうすることによって、株自体がより大きくなったり、長い期間収穫ができる。

人間以外のものに対しては搾取をやっているのに、人間に対してはやるなというのは手前勝手な理屈だが、これはサバイバルをやめたいという願いが強いことを示している。生きものなのにサバイバルをやめる。「合理性」が支配するサバイバルの世界には救いがない。そこでは人の心は自己更新していけない。

強くなければ生きていけない。しかし、優しくなければ、生は、生きるに見合うほどのものでもない。これが人間が文化をつくってきた実感なのだと思う。優しくあることは、サバイバルが支配するこの世界に反逆することだ。その反逆のなかに優しさと自由がある。

生きものでありながら、サバイバルに反逆する。これは生きる苦しみを終わらせるということだ。だから永続的な発展などは、そもそも人間否定なのだ。極言するなら、たとえ滅んだとしても、生の苦しみを生のなかで終わらせることより重要なことはない。それ以外のものが重要になるとき、誰かが抑圧されていく。生きるに見合わない状況にされていくのだ。サバイバルの理屈は、それを良しとする。

僕は自分が充実することをやっていく。それは達成や到達に向けたものではない。この過程にあることが、回復していくことであり、救われていることであると思う。救いのなかにいること、その上でサバイバルという演劇をやっていくこと。それ以外にできることはなく、やる必要もない。